2024年12月 1日 (日)

“たかとり”震災語り ④ 神戸少年の町

阪神淡路大震災から 30 年が経とうとしています。神戸少年の町は、建物は一部損壊しましたが幸いにも崩れることなく、子どもたちはスタッフたちが体を張って守り無事でした。水が止まりその確保にスタッフたちは奔走しました。プロパンガスだったので水が復旧してからは風呂を沸かし地域の人たちへも開放しました。神戸中心部は大変でした。全壊した養護施設などの子どもたちを受け入れ共に生活しました。大変な状況の中にあってもお互い協力し、そして多くの人たちからの支援に感謝しました。

手に負えないゴンタな高校生だった T 君は市内の震災救援基地に派遣されました。多くのボランティアの人たちと共に生活し活動しました。皆に愛され、他のボランティアたちを引っ張っていくほどに活躍しました。家庭や社会から疎外されたかのように思っている子どもたちも、何を隠そう、内に秘めたものは自分でも気が付かないくらいに大きな可能性を秘めている。子どもたちの魅力はそこにある!人生をかけて未知の自分探しをする。神戸少年の町の子どもたちはそのスタート地点に立っている。

2024 年クリスマス
神戸少年の町 神田裕


神戸少年の町は来年 3 月に、児童家庭支援センター(CHILD HARBOR KOBE)を垂水区内に開設します。地域の要保護児童や家庭を支援する専門機関です。ソーシャルワーカーや心理士などが支援を行います。昨年7月から、たかとりコミュニティセンター(TCC)内に児童家庭地域支援室を開設し準備を進めてきました。その支援室は今後も神戸少年の町のサテライトとして運営され、多文化対応を視野に入れていきます。聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会とも協働していく予定です。震災30年が経ち、新たなスタート地点に立ちます。

三田教会 神田裕

2024年11月 1日 (金)

“たかとり”震災語り ➂ たかとり救援基地

『大阪教区が目指す阪神大震災からの「再建」計画は、単に地震以前の状態に復旧することではない。キリストの十字架と復活(過越の神秘)の新しい生命に与る「新生」への計画である。』 

(「教会新生への基本方針」 199522日 カトリック大阪大司教区)

30年前の大震災によって全壊焼失した「カトリック鷹取教会」で、偶々教会内で被災した8人と焼け跡のど真ん中での生活が始まった。駆け付けた近所の信徒や友人たちと一緒に「たきび」で暖を取り、「たきび」で狼煙を上げた。狼煙に呼応するかのように全国各地からたくさんのボランティアの人たちが集まり、「たきび」を囲み 「鷹取教会救援基地」がスタートした。

焼け跡の片づけ、公園での炊き出し、地域医療支援、避難場生活支援、仮設生活支援、言葉や文化が違う人たちへの生活支援などなど。集まったボランティアたちが被災地を自分の目で見て確かめて、感じ取っていったものを自由に考え、そして形にしていった。地元地域住民の震災復興会議も始まり、教会ももちろん参加した。

震災1000日目を迎えた日に「たかとり救援基地」と名称を変えた。名実ともに教区が目指す「新生」へと歩み始めたからだ。5年後の2000年には、NPO法人格を取った「たかとりコミュニティセンター」が立ち上がり、10年後の2005年には、教会も「カトリックたかとり教会」と名称を変更した。教区がどこまで想定して「新生」と言ったか分からないが、現場としては、一過性の言葉ではなく、新しい生命に与る「新生」として重く受け止めてきたのは確かだ。

ただ「新生」への歩みはそう容易くはない。時がたてば、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、「いつまでやってるねん」の声は、この30年間、教会内部で幾度となく何回も聞かされ、圧力もかけられてきた。しかし現場はますます進化している。地域あっての教会とNPOだ。教会と地域とNPOがともに肩を並べ「まちづくりひとづくり」に関わることに終わりがあるのか。

「たかとり救援基地」は、裏方として教会と地域とNPOの大切な繋ぎ役をし続けてきた。そして今も、これからも、教区の「新生」への歩みを軸に希望を持ち、挫けることなく前へ進むのだ。

三田教会 神田裕

2024年10月 1日 (火)

初めてのボランティア

今から30年(注:44年)ほど前の正月のことを薄っすらと思い出しました。とある食堂のボランティアに行ったのです。食堂の奥では、おじさんがトントントントンと食材を刻んでいます。大きな鍋から湯気がムクムクと立ち上がって、刻んだ食材をおばさんがポンポンとほうりこんでいます。大きな炊飯器からはご飯の炊ける匂いがしてきます。味噌汁のいい匂いも立ち込めてきました。私は、食堂のテーブルを拭いて、茶碗やお箸、お皿などの準備に取りかかりました。

いよいよ開店です。入口を開けると、もうすでに長蛇の列。外は寒いです。並んでいる人たちの口元から白い息がフーっと出ています。食堂の中に入るとすぐにメガネが白く曇ります。私はレジの係です。お金は先に頂きます。並んだ人たちは次々にポケットからお金を取り出して渡します。出されたお金に応じて、ご飯やおかず、味噌汁を配ります。真ん中あたりで並んでいたヨボヨボのじいさんが先頭まで来ました。ギュッと握った右手の拳が指し出されました。ジッとその拳を見つめました。力の入った右手の拳が少しずつほぐれて、しわしわの手の中から汗で光った100円玉が出てきました。しばらくジッとその100円玉を見つめていました。薄っすらとした記憶の中に、その手の中の100円玉は今でも鮮明に記憶の中に残っています。きっと精一杯、段ボールを集めた報酬だったのでしょう。

初めての釜ヶ崎。食堂に行くまでの道のりは勇気がいりました。体験したことのない不思議な空間で、正直、背筋がゾクッとしました。目を合わさないように小走りで通り抜けました。緊張の中でボランティアをしていました。でも、そのじいさんの右手の拳が少しずつほぐれて行くと同時に、私の心もほぐれて行きました。ボランティアをすることで、人の表面ではなく、人の人生を思うことが出来ました。

2010年 Volo (ウォロ)7・8月号 (No.457) 掲載

三田教会 神田裕

2024年9月 1日 (日)

でたとこ勝負

ピーッ、ピーッ、ピーッ!突然に大きな音が部屋中に鳴り響いた!何が起こったか理解できぬまま、慌てて音が鳴っている警報装置の電源を抜き、壁に付いているその装置を引っ剥がしてしまった。それでも警報音が別のところから鳴り響いている。少し落ち着いて警報音停止のスイッチを押す。やっと止まった。表示の「ガス漏れ」はついたまま。壁に付いていた装置の電源を入れないと消えないようだ。だがまた鳴り出すかもしれないのでそのままにした。どうも誤作動だ。しばらくすると部屋の入り口をノックする音が聞こえた。覗き窓から見ると扉の向こうに武装?した人が立っている。今日は何という日だ。「どなた?」と声を出すと、「セキュリティです」との返事。そっか、警報に連動してきてくれたんだ。部屋に案内し装置を元通りにして一件落着。それにしても突然は慌てふためく。ここ半月前のことだった。

震災後すぐ NHK ラジオの生放送に出た。「神田さんは揺れている時どうしていましたか?」、「布団を被って一言‘あかん!’と叫んでいました」、「神父さんはそういうときはお祈りしないのですか?」、しばらく無言、「‘あかん’の叫びは(神にゆだねる)祈りそのものです!」と苦し紛れに応えた。地震以上にシビアな突然のインタビューだった。

先月8日夕方、日向灘を震源とする地震があった。そして、南海トラフの巨大地震「注意」が発令された。いよいよやってくるか!一気に緊張が高まった。皆は災害時に備えて食料や水を確保しに走った。イベントも中止され電車も止まった。いざという時のために準備する体制がとられた。ただいくら準備していてもいつ何が起こるかは誰にも分からない。また何も起こっていない時から心配して恐怖に慄いていても何も始まらない。

自然災害だけではない。今日明日何が起こるのかはほんとに分からない。いつも突然だ。そして結局いつも‘でたとこ勝負’だ。何があってもきっと乗り越えられる。決して一人ではないので乗り越えられる。そう信じて今をしっかりと生きることが一番の準備だ。

Ecce ancilla Domini. FIAT mihi secundum verbum tuum.

三田教会 神田裕

2024年8月 1日 (木)

“たかとり”震災語り ② いのちの重み

今年も暑い夏が始まった。そしてお盆には、三田教会でも合同慰霊祭が行われる。三田に来てからもたくさんの方たちの葬儀に立ち会ってきた。家族の方たちを通して亡くなった方たちの生きた証の声を聴いてきた。一人ひとりの尊い命が自らの命とも重なっていく。

震災の時、たかとり教会の人たちは多くの家族が住むところを失い、避難生活を余儀なくされた。ただあの地震で亡くなった方はおられなかった。たかとり教会が救援基地として歩み出す背景には、教会の人がみんな生きていたことが大きな励みとなっていた。

震災後しばらくして、普段からお世話になっていた地域の電気屋さんに、救援基地の電気工事をしてもらった時のことだった。「神父さん、ぼく毎晩寂しいねん。一緒に寝てくれへんか」と言ってきたので、「何を冗談言うてるの。がんばりや」と言って帰した。1週間もしないうちにあろうことか彼はお店の中で感電自殺を図った。地震の時、側で寝ている奥さんを亡くされてずっと孤独から抜け出せなかった。‘冗談’と言って話しを聞かなかった自分自身を悔やんだ。

震災10年少したって、長田で靴の工場を経営していたある人が、「私、実は韓国で洗礼を受けているので教会に来てもいいですか」と言われた。「もちろんです」と応えた。プレハブが立ち並ぶ救援基地の解体を始めていたころ、キリスト像の横の2階建てのプレハブも壁を取り外し始め、ほぼ骨組みだけになって、全部解体する日の朝のことだった。家族の方から連絡があった。「ほんとうに申し訳ないです。父親がプレハブの2階で首を吊って亡くなりました」と言われ驚いた。警察と一緒に引き取ったと。私の2階の部屋からキリスト像を挟んでちょうど向かい側。そばで寝ていたのに全く気が付かなかった。彼は借金を重ね重ねて社員に給与を払い続けとうとう限界が来たのだと家族は言った。死ぬ場所を探すために教会に来ていたのか。キリスト像の背中を見ながら命を絶った。

震災は多くの人の命を奪った。支えることが出来たはずの命も周りの無関心の中でその命を絶った。命の重みと向き合いながらの日々が続いている。

三田教会 神田裕
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2024年7月 1日 (月)

“たかとり”震災語り ① 奇跡のキリスト像

「キリスト像が火を止めましたね。奇跡ですね!」
「いいえ、火を止めたのは人間です」
「キリスト像は燃えなかったですね。奇跡ですね!」
「いいえ、石膏なのでもちろん燃えないです」
「キリスト像は倒れなかったですね。奇跡ですね!」
「いいえ、土台をしっかりと作っていたからです」

今年も半年が過ぎた。そしてあと半年で、阪神淡路大震災から30年を迎える。

あの日、“たかとり”に殺到したマスメディアのお目当ては、焼け跡に残った「奇跡のキリスト像」だった。テレビ、新聞、雑誌などなど。いくら否定しても「奇跡のキリスト像」は発信され続けた。ふと思った。世間の目から見た教会はそうなのかもしれないと。自ら情けなくも思った。悔しかったので、キリスト像にヘルメットをかぶせた。するとカトリック系の雑誌がヘルメットのキリスト像を表紙にした。すかさず匿名の抗議の電話がかかってきた。「なんということをするのか!」と。被災地の様子を聞くこともなくただお叱りの電話。大真面目で反論した。「もし今キリストさんがここにいてはったら、こんなところでボォーッと突っ立ってへんでしょ。ヘルメットかぶってみんなと一緒に働いてはるんとちゃいますか!」と。教会は人の痛みはどうでもいいのか?やりきれない気持ちを持ちながら、震災の日々が始まった。

焼け跡のど真ん中で夜通したき火を焚く“たかとり”に、どこからともなく多くのボランティアの人たちが集まった。教会は被災地の救援拠点となった。避難場にいる人たちの生活支援、公園での炊き出し。ボランティアの人たちへの食事支援をするボランティアも集まり、自分たちの寝泊まりする建物もつくり、まちの保健室もつくり、多言語で情報発信する放送局もつくり、灰色の町にペンキで絵を描いてきた。
そして30年たとうとしている“たかとり”は、日常多くの人の集まる多文化発信拠点として今も進化し続け、ひとづくりまちづくりに貢献している。

キリスト像は今も同じ場所に立っている。みんなここに集まっておいでと言わんばかりに、両手を広げて立っている。キリスト像は奇跡を起こし続けている。

三田教会 神田裕

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2024年6月 1日 (土)

謙遜(けんそん)と謙虚(けんきょ)

謙遜と謙虚の違いがよく分からなくて調べてみた。英語ではhumilityでほぼ同じだ。

「あなた素敵ね。可愛いね。格好いいね」って言われた時、あなたならどう応える?「いえいえとんでもないです」と応えるのは謙遜な人。「ありがとう」とまず言って相手の気持ちを受け入れるのは謙虚な人。謙遜とは自分の能力や価値などを下げて自身を評価すること。謙虚とは相手の気持ちをそのまま受け入れることで、自分の能力や価値などは下げないこと。

謙虚とは自分というものをよく知ったうえで、素直に他者から学ぼうとする気持ちがあることで、好奇心と他者への関心と尊敬があり、そこから向上心が生まれてくるとあった。私たちの社会の中で良好なコミュニケーションをとり自分を磨くためには謙虚がよさそうですね。

「謙遜は世界と教会における平和の源」という日本語訳のタイトルで先月、教皇メッセージが発せられていた。その中で、ラテン語のhumilis(謙遜)という言葉はhumus(土)から来ていると知った。英語のhumilityもそこから来るのだろう。灰の水曜日には「あなたは塵(ちり)であり塵(ちり)にかえっていくのです」の聖書の言葉で頭に灰を受ける。謙遜のシンボルだ。

山上の説教で「心の貧しい人は幸い」とあるのも、マリアの「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」「身分の低いこの主のはしためにも、目をとめてくださった」という祈りも、イエスがエルサレムではなくナザレで生まれたことも、十字架上でなくなったことも、humilisを謙遜と訳する所以だろう。謙遜はキリスト教のすべてだと言える。

この社会の中で人との良好なコミュニケーションには謙虚が必要で、神との良好なコミュニケーションには謙遜が必要ということになる。なぜ謙遜に神とのコミュニケーションを取ろうとするのか、それは私たち人類すべての平和と幸福を願うからに他ならない。謙虚に宗教を語りながらも、謙遜に神とのコミュニケーションが取れないところには、必ずと言っていいほど、争いが生まれるからだ。

三田教会 神田裕

2024年5月 1日 (水)

絶滅危惧種

生きとし生きるものすべては多様性に満ちている。微生物、植物、動物で大きく分けて3種類だが、細かく分けると、分かっているだけで175万種。まだ発見されていない生き物を含めるとなんと3000万種以上にもなるという。なんと多様な生物が存在しているのだろう。動物に分類されている中の70%は昆虫たちだ。寝室に入ってくる虫たちはちょっと苦手だけれど、植物たちと昆虫たちは持ちつ持たれつの絶妙な関係で共存している。この地球にすむすべての生き物は絶妙なバランスで共存している。

6600万年前に巨大隕石の衝突で恐竜たちも含め生き物がほぼ絶滅したとされているが、それ以降も様々な理由で絶滅の危機を迎えてきた。そして今、6度目の生物絶滅の危機に突入している言われている。原因は、ほぼ私たち人間の生産活動にあると言われる。土地の開発や汚染、乱獲や密猟、地球温暖化や気候変動などなど。現在42000種ほどの生き物が絶滅の危機にあるという。

例えば狼。害獣なので絶滅させた方がいいという極端な取り組みをしている地域もある。実際に狼を根絶したところでは大型の草食動物が増え森林が無くなってしまったという極端な例も聞く。聖書の中には、羊を守る良い羊飼いのたとえなどで狼と羊が登場するので、何かと狼は悪者のイメージがあるが、何も羊を狙うのは狼だけではない。その狼とは、多くの弱きものから搾取する一部の力を持った者たちのことだろう。

自然からの搾取だけでなく、戦争によって共食いをしている人間は、兵器によって自らも絶滅の危機に追い込んでいるようにも思える。実は、人間こそ一番の絶滅危惧種なのかも知れない。

さて、ところで、神父も絶滅危惧種に含まれていると聞いたが、本当か?

三田教会 神田裕

2024年4月 1日 (月)

終わり方さがしは生き方さがし

桜は《散る》 梅は《こぼれる》 菊は《舞う》 牡丹は《崩れる》 椿は《落ちる》 朝顔は《しぼむ》 紫陽花は《しがみつく》などなど、花の終わり方はそのあり方を見てさまざまな言葉に表現される。

「花は散り際が美しい」と利休はいう。完全無欠を好まず、完璧を崩すことで、わびの境地へと導く。無駄なものを削りながら、最後に残るのは素の自分。慎ましく質素なものの中に奥深さや豊かさなどを見る。この時代にあって価値を転換、破壊して新たな価値を生み出す。それが茶の湯の世界ということか。利休の最期は、切腹を命じられ、権力者に対峙して散っていく。そして茶の湯は永ごうの命を得ることとなたっと。

完璧なまでに積み重ねられた掟の中にあって、最後に残るはこの掟。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。そして隣人を自分のように愛しなさい」。自己の完全無欠ではなく、完璧さでもなく、無駄なものを削りながら、貧しさの中に真理を見出し、与えられたいのちに気づく。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」。この時代にあって価値を転換、破壊して新たな価値を生み出す。権力者によって十字架につけられ、死ぬことによって復活のいのちへと導かれる。死からいのちへと、パンとぶどう酒の中に永遠のいのちを得る。

茶の湯は仏の教えに悟りを得るが、戦国の世にあって、キリストの教えはその中に見え隠れするのではと勝手に妄想する。道具から空間、そして人そのものへと、そのあり方を追求する。日本文化の中にキリスト教は馴染みにくいとされるが、果たしてそうなのか。

終わり方さがしは生き方さがし。あなたの終わり方は何とする。

2024年、主のご復活おめでとうございます。

三田教会 神田裕

2024年3月 1日 (金)

タボルの山でご変容

あ)べあべまりあうみのほし
い)えずすさまはやさしいな
う)みやまこえてせんきょうし ・・・
た)ぼるのやまでごへんよう etc.

幼い頃に遊んだカトリックいろはかるた。全部は忘れたが、た)は毎年四旬節 2 に読まれる福音のテーマだ。変容という体験をする弟子たち。変容って何だろう。

水から氷にそして蒸気に、ある温度を境に一瞬にして変わること。その瞬間を体験すること。つまり今。それに対して変化という言葉もある。それは時間をかけて変わっていくもの。つまり過去と未来。

いのちは時間の変化の中にある。毎日あれやこれやと考えて疲れてしまう現実。出来事はきっと単純なのに、自分の頭の中の思いは乱れ飛ぶ。年を重ねればますます複雑怪奇になってくる。まさに過去が今の自分を形作っていく。過去は止めどもなく広がって、今どころか未来までも食い尽くしてしまう。そうなると夢も希望もなくなってしまう。そんな過去に縛られて生きることから脱出することができないものか。

今という瞬間をつなぎ合わせて生きることができればどんなに幸せなことか。偏見を取り払い出来事に素直に耳を傾ける。すると気づきが生まれて発見もある。子どものようでなければとは、変容を生きるということになる。み旨のままに生きるとは、変容を生きるということになる。空っぽな今を生きられればどんなに幸せなことか。

復活体験をしていく弟子たちは、変化の中に生きることから、変容の中に生きることとなる。変化の中に現実を見るが、変容の中に永遠を見る。

2024 四旬節に思う
三田教会 神田裕

cf:変容の出来事は今ではタボル山ではなくヘルモン山と言われている

2024年2月 1日 (木)

仕合わせ

なぜめぐり逢うのかを
私たちはなにも知らない♪
いつめぐり逢うのかを
私たちはいつも知らない♪

中島みゆきの「糸」の歌い出しだ。人との出逢いを歌ったものだが、出来事との出遭いにも当てはまるのではないかと。

縦の糸はあなた 横の糸は私♪
織りなす布はいつか誰かを
温めうるかもしれない♪

29 年前に被災した私たちの縦糸に、全国から駆け付けてくれた人たちの横糸。糸を一緒に織りなして出来上がった布は いつか誰かを温めうるかもしれないと。

なぜ生きてゆくのかを
迷った日の跡のささくれ♪
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡のささくれ♪

能登半島での大きな地震で今年はスタートした。一年で一番平穏に過ごしたい元旦に起こった大震災だ。被災地、被災者の方たちのことを思うと心が痛む。神戸が過ごしてきた日々を今から始められるのかと思うともう言葉が出てこない。

縦の糸はあなた 横の糸は私♪
逢うべき糸に出逢えることを
人は仕合わせと呼びます♪

不運とも言うべき災害を通して出会うことを仕合わせと言おう。悲しかったけれど苦しかったけれど、出逢いのすべてを織りなして、未来を温めうる布になって行こう。
そして、幸せになって行こう。

三田教会 神田裕

2024年1月17日 (水)

たきび130号 かんちゃん日記

能登半島での大きな地震で新年がスタートしました。一年で一番平穏に過ごしたい元旦に、地震、津波、火災に見舞われた被災地、被災された方たちのことを思うと心が痛みます。被害は想像以上の大災害であることが日に日に明らかになってきました。神戸が過ごしてきた日々を今から始められるのかと思うともう言葉が出てきません。そんな中、神戸から真っ先に救援に駆けつけて下さっている方たちもおられます。29年の間に培ったノウハウを届けるために、否そうではなく、これまで受けた感謝の気持ちと恩返しと、そして何よりもほっとけない思いをもって駆けつけて下さっている。今は苦しみ悲しみのどん底におられる方たちへ少しでも生きる勇気と希望を無くさないでほしいとの熱い思いを持って寄り添って下さっている。それは何も神戸からだけではなく東北からもみな同じ思いで駆けつけて下さっている。古くからの文化を継承し続けてきた能登でもあります。時間をかけてでも再興して行って欲しいものです。すぐには飛んでいけない私たちも長い時間をかけて繋がりをこれから持って行くことになりましょう。祈りを込めて。

カンダヒロシ

2024年1月 1日 (月)

アンパンマン ♪

去年一年を一言で「酷」と言った人がいた。戦争、難民、気候変動などなど。私たちの心の底に「闇」という言葉が何度もジャブを打ってきた。行きつくところは「絶望」だ。それではいけない。「希望」をなくしてしまったら「祈る」ことさえもできなくなってしまう。みんなの「夢」まもるため年の初めにアンパンマンを歌ってみる♪ 自身を食べさせるアンパンマンはイエスを思い起こさせそうだ。ネガティブからポジティブへ。自ずとこの一年の過ごし方が見えてくるかもしれない。 

三田教会 神田裕

 
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ! 

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
 
そうだうれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
ああアンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため
 
なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ! 

忘れないで夢を
こぼさないで涙
だから君はとぶんだ
どこまでも 

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけがともだちさ
ああアンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため 

時ははやくすぎる
光る星は消える
だから君はいくんだ
ほほえんで

そうだうれしいんだ
生きるよろこび
たとえどんな敵があいてでも
ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢 まもるため 

やなせたかし

2023年12月24日 (日)

未来へのチャレンジ

神戸少年の町が設立されて三四半世紀が経ちました。町の人たち、学校の人たち、教会の人たちなどなど多くの支援者の皆さんと、ここを卒業された多くの人たちに見守られながら、これまで歩んでくることができましたこと、心より感謝したします。そして、神戸少年の町で毎日子どもたちのそばに寄り添い、子どもたちの悩みを親身になって聞き、一緒に乗り越えてくれているスタッフの兄さん姉さんたちに、心から感謝いたします。

今年、神戸少年の町は、新たなチャレンジをすることになりました。神戸の震災から始まった多文化な活動の拠点へと出かけて行き、その“まちづくりひとづくり”に交わるため、児童家庭地域支援室を長田区の“カトリックたかとり教会”敷地内にある“たかとりコミュニティセンター”内に設けました。神戸にはたくさんの外国籍の方たちも暮らしています。そしてその子どもたちも益々多いです。普段からその支援活動に携わっている人たちのサポートができればとの思いです。

そして、未来へ向けては、神戸少年の町としては再チャレンジとなりますが、児童家庭支援センターを立ち上げる準備を始めました。地域社会の中に自ら飛び込み、子どもたちを取り巻く家庭や社会に積極的に深く関わって行きたいと思っています。

未来への新たなチャレンジへと動き出した神戸少年の町をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

理事長 神田裕

 

2023年12月 1日 (金)

話せば、わかる? 離せば、わかる!

先日鹿児島で行われた高校生の文化部全国大会で弁論部門のスピーチでの出来事。弁論の途中で 10 秒ほど無言になり会場が静寂に包まれたとのニュースを見た。発表の K 高校S さんはディベートに魅力を感じ弁論部へ入部するも、高校生活ではコロナの影響で会話しないことが新しい生活様式となってしまい残念な経験をすることとなった。

そしてスピーチでの沈黙。その 10 秒は緊張のあまり言葉が出なくなったのではなく 10 秒のメッセージがあった。沈黙自体は何も伝わらない 10 秒だが、お互い理解し合うためには話すことが大切であることを再認識し、自分を理解してもらい相手を理解することで自他ともに生かし合うことの大切さを伝えていた。いくら思いを抱いていても黙っていれば何の意味も持たないというのも確かなことだ。

しかし、この 10 秒は何も伝わらない 10 秒ではなく、話すこと以上に話したいことが伝わった 10 秒だとも言えるのではないか。話す言葉を頼りに相手を理解するだけでなく、互いを理解するために沈黙という「ことば」もあるのではないか。

沈黙と言えば、神はなぜ沈黙するのかと問うことも多い。聖書には、「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった」とヨハネは語る。そうであるならば、沈黙の神の中にある言(ことば)を探してみたいと思うのだ。

実は、タモリさんのメッセージを聞いて、何だかとても納得しながら、ここまで飛躍してしまったのだった。

「人間、お互い話せばわかる」なんてウソだから。
話せば話すほど言葉にだまされて、ますますわかんなくなる。
だから、
「話せば、わかる」じゃなくて
「離せば、わかる」だよ、
本当に。 

by タモリ

 

三田教会 神田裕

Silent Night... 

クリスマスの静寂の中で沈黙の「ことば」を探しましょう

2023年11月 1日 (水)

平和を求める祈り

平和の源である神よ、 今なお激しい戦闘が続くウクライナとガザでは、 平和を望む多くの人が犠牲となっています。 苦しむ人、虐げられている人を支えてくださるあなたに祈ります。 国々の指導者を正しく導き、 憎しみではなく愛を、争いではなくゆるしを、 分裂ではなく一致を求める心をお与えください。 住む家をなくし、恐怖と不安の中での生活を強いられている人々を力づけ、 心と体に安らぎをお与えください。 すべての人に、争いや暴力を退け、 平和を実現しようとする強い意志をお与えください。 いつくしみ深い神よ、 この世界に聖霊を豊かに注ぎ、 敵対する人々の心から怒りの炎を消し去り、 絶望にあえぐ人々の心に希望の火をともしてください。 あなたが望まれる和解と平和が、一日も早く実現しますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。

2023年10月 1日 (日)

Stand By Me ♬

Stand By Me ♬

When the night has come
And the land is dark
And the moon is the only light we’ll see
No, I won’t be afraid
Oh, I won’t be afraid
Just as long as you stand, stand by me
・・・・・

小学生のころ毎朝早く起きて教会までミサに行っていた時期があった。ある日、教会に辿り着くやいなや、おばさんが教会入り口前に現れて突然に話しかけてきた。「あんたら毎日教会に行ってるみたいやけど、神さん信じてんのん?神さんなんて見えへんやん。見えへんのん信じておかしないか。神さんなんておらへん。ハハ」って言われた。

ミサが終わった後に、さっき知らんおばちゃんにこんなこと言われたと神父さんに言ったら、「空気見えるか?見えへんやん。でもその空気を吸ってみんな生きてるやん。神さまは空気みたいなもんや」って言われた。「あ、ほんまやー」と、小さいながらにも納得して嬉しかったことがあった。

神さんはおるんかおらんのかなんて考えている人がいるけど、考えなあかんぐらいのもんやったらちっぽけなもんや。考えておるとなってもそれは考えた神さんや。考えた神さんを押しつけ、恐怖をあおり私利にする人も一杯いてはるけど、それもちょっとちゃうんちゃう。

たった一回の短い人生や。中々思い通りにはいけへんけど、どんなに傷ついた時でも、どんな悲しい時でも、どんな寂しい時でも、暗く孤独に生きるより、そよ風のように静かに見守ってくれてる神さんと一緒に歩きたい。生きてるのではなく‘そよ風‘に生かされている。そう思ったら優しい気持ちになれる。どんなことがあってもちっぽけなことやと自分を笑って強く生きれる。隣り人に共感することもできるようになる。そんな人生を歩みたい。

映画にも使われたこの原曲歌詞の思いもそういうこととちゃいますか。

三田教会 神田裕

2023年9月 1日 (金)

すべてのいのちを守るための月間

カトリック教会は、毎年9月1日の「被造物を大切にする世界祈願日」から10月4日のアシジの聖フランシスコの記念日までを 「すべてのいのちを守るための月間」とし、エキュメニカルに協働し活動を行っている。今年のテーマは 「正義を洪水のように、恵みのわざを大河のように、尽きることなく流れさせよ」。

教皇フランシスコのメッセージの中に鼓動という言葉が使われていた。 「母なる地球の鼓動が聞こえてきます。母の胎にあるうちから、赤ん坊の鼓動が母親の鼓動と調和するように、人間として成長するためには、わたしたちのいのちのリズムを、わたしたちにいのちをもたらす被造物のリズムと調和させなければなりません」 「自分の鼓動、母や祖母の鼓動、被造物の鼓動、神の鼓動、そうした鼓動に耳を傾けてください」と。その鼓動が今や調和せず、ばらばらになっていると言われる。

確かに、自然と人間との鼓動は乱れてきている。地球環境が悲鳴を上げているのは、私たちも身をもって感じてきている。いのちを育むはずの自然が、いのちを脅かすものになってきている。この夏の異常なまでの暑さや巨大化した台風、世界各地で発生している山火事や海面の上昇などなど。

私たちにもできること、それは、自身の生活スタイルを変えること。自然に関心を持ち、無駄な消費を控え、リサイクルに関心を持ちごみを減らすことで脱炭素を意識することなど。身近で精一杯できることはあるはずだ。

自然との共存を今まで以上に意識をしなければならない時に来ている。それは人と人との共存を考えることと何ら変わらない。こんな時に、争いなど起こしている場合ではないはずだ。未来のこの地球に暮らす人たちのために一緒に知恵を出し合わなければ。

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2023年8月 1日 (火)

わたしは、私。

あなたは一つ歳を取る その度に 年相応にとか いい歳をしてとか
そんなつまらない言葉があなたを縛ろうとする あなたは耳を貸す必要はない
世間の見る目なんて いつだって後から変わる
着たことのない服に袖を通して 見たことのない自分に心躍らせる
他の誰でもない私を楽しむ 年齢を脱ぐ 冒険を着る
わたしは、私。

SNSで、ある動画を見つけた。樹木希林さんが語る短い動画だった。思わず引き付けられて何度も繰り返し見てしまった。彼女自身の言葉なのか台本があるのか分からないが、彼女の生きざまを見ていると彼女にぴったりとはまっているかもしれない。

「わたしは、私。」を貫くことは簡単そうでとても難しい。それが実現できるとすれば、「私」を信じて許してくれる仲間の存在があるからと、ある人は言う。それはそうだなと素直に思う。

「わたしは、私。」 これを聞いて、私は、自分勝手に生きると言うよりも、自分に自信を持って生きると捉えた。つまり、Discover myself。
人の目が気になり、世に振り回されると、実は人にやさしくなることなんてできない。「私」が確立して初めて人にやさしくなれると思う。「私」を大切にできれば、他の「私」も大切にできる。そういう意味での、「わたしは、私。」なのだと思う。

私たちは和を大切にしてきた。とても素敵なことだと思っている。ただ、「私」に自信を持てなくならないように、「私」を見失わないようにしなければ。

隣人を自分のように愛しなさいと聖書は語る。愛するということが、どれだけ人を受け入れられるか、どれだけ人に共感できるか、とすれば、「わたしは、私。」があって、「あなたは、貴方。」と初めて言えるのではないか。隣人に共感できるかどうかは、弱さも愚かさも自ら知りつくした「わたしは、私。」があってのことだと思うのです。

Discover myself な旅、年齢を脱ぎ、冒険を着る旅は、いつまでも。

第3回祖父母と高齢者のための世界祈願日の日に
三田教会 神田裕

2023年7月 1日 (土)

こども 家庭 祈り

神戸少年の町(KBT)とたかとりコミュニティセンター(TCC)は互いの特徴を活かし子どもと家庭を守るプロジェクトを始めます。その準備として、まずKBT児童家庭地域支援室(仮)をたかとりコミュニティセンター内に設けます。

児童養護施設、乳児院として長年こどもたちを見守り育ててきたKBTと阪神淡路大震災以降に多文化なまちづくりを担い普段から多言語で相談業務などに当たってきたTCCとがタイアップすることで特色のある児童家庭支援センター設立を目指します。

これまで児童相談所などで長い間働いてきたプロの人たちとの出会いがあり心強い4人をキーパーソンとして動き始めます。あと1年半後には震災30年を迎えますがTCCとしては新たな出会いとなって行くことでしょう。

折しも先日、神戸西方面でとても悲しい残念な事件が発覚しました。このようなことが起こらないよう地域情報を把握し関係機関と密な連絡を取り適切な対応をしていくことが大切です。行政サービスではなかなか動ききれない状況の中にあって自由に動ける特徴を活かして行ければと思います。ゆっくりではありましょうが、地域社会の中に着実に浸透していきますようにと祈ります。

ところで先日ミサの共同祈願でカゲオ君(Y)が祈っていました。
わたしたちの祈りが希望を繋げていきますように。

子育てで悩んでいる親たちのために祈ります
社会から疎外された環境の中でストレスがたまり
子どもたちへの虐待へ繋がっていくこともよくあります
虐待を受けた子どもたちは自信をなくし
生きていく上で大きな支障になっていくこともよくあります
子育てが孤立しないように私たち周りも
支えていくことができますように
by Y

2023年6月 1日 (木)

水分補給

日常では、水分補給は割とマメにする方で、ろ過フィルターのついたボトルに水道の水を 入れて毎日持ち歩いている。朝はミドリムシなるものを白湯に溶かして飲むことから一日が始まる。夕方部屋に戻るとムギ茶を水出しして手元に置いている。コロナが始まる前に TV の番組で口内細菌の健全化にはカテキン茶でうがいをするといいと言っていたのでコロナ禍の間も実行していた。ただうがいだと勿体ないのでそのまま飲み込んでいるのだけれど。コーヒー も豆から挽いて時々嗜んだりしている。日常的には体の健康のことも考慮し色々と工夫をして水分補給をしているつもりだ。

非日常では、枯山水の庭を見ながら、また小さな部屋の中でお茶を点ててもらうことがある。 何だか色々と作法があったりして、茶碗の表裏を見ながら茶の道具を語ったり、季節を語っ たりする。水分補給をしている効果はなさそうだし、和菓子の方が気にもなるのだが、周りの 新鮮な空気を飲んだような気になる。

茶の道にも色々と流派があるらしいが、あるところでこう教えてもらった。茶道では5つの話 題にしてはいけないことがある。「我が仏」「隣の宝」「婿舅」「天下の軍」「人の善悪」なのだそ うだ。つまり、お茶を点てている今この時は、宗教、人の財産状況、家のなかのごたごた、政治の話、人の悪口はしてはいけないということだそうだ。酒を飲みながら愚痴を言って憂さ晴 らしをすることとはちょっと違うようだ。

今の世の中あまりいいニュースを耳にすることは殆どなく、心の荒ぶことがなんと多いことか。 勿論、み言葉を頼りに問い続け語り合うことが大切なことだ。ただ、こういう時だからこそ、ちょっと一服しながら、茶碗を見て、気分補給をする時間を持つのも、やっぱり大事かなと思う。

三田教会 神田裕

2023年5月 1日 (月)

孤独

35年前に、あるお母さんから話しかけられました。「いよいよ神父になられるのですね。独身を通されるのですね。寂しくないですか?」。少し間があいて、「でもね、一人で寂しいのはまだいいと思うよ。二人でいるのに寂しいのは悲しいよ。」とボソッと言われたのです。二人でいるのに寂しいとはどういうことなのだろう。寂しいというのは孤独だということなのだろうか。言われた真意がまだよくわからないのです。二人の間に会話がないということなのだろうか。心が通じないということなのだろうか。

私はいつも仲間をつくってきました。出会いを大切にしてきました。なので寂しいと思ったことはあまりないのです。それは悪いことではないと思うのですが、別の見方をすれば、孤独になるのを避けてきたということなのかもしれません。人と一緒にいることで自分を確認してきたと言ってもいいかもしれません。

ただ二つの転機がありました。一つは震災の時で、人生3回分ぐらいの出会いがあり、出会いを形にしてきたのですが、さすがに出会いが多すぎて自分の確認どころか自分を見失いそうになりました。もう一つはコロナ禍の中で、人と一緒にいることができなくなり、否が応でも孤独と友だちにならざるを得なくなりました。そんなこともあって、少しずつ孤独を大切にしなければと思うようになりました。

私の中で変わってきたものを感じます。これまでは人と一緒にいる時にこそ神さまを感じてきましたが、孤独にあるときももっと神さまを感じることです。孤独を大切にすることで、誰しもが孤独であることを知り、だから孤独な仲間たちとの関りをこれまで以上に互いに大切にしていこうと思うのです。

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三田教会 神田裕

2023年4月 1日 (土)

グーしてみ! (コンパッション)

小学校の時、クラスの中に誰とも喋らない女の子がいた。授業中に先生に当てられても喋ることはなかった。ただ一度だけ、国語の時間に朗読が当たった時、教科書で顔を伏せながらボソボソと読み始めた。その時だけが、初めて彼女の声を聴いた時だった。

授業が終わり、教室の掃除も終えて、放課後は運動場でドッジボールをよくした。ある日一緒に遊ぶ仲間が少なかったので、中庭で待機して家に帰る友だちに声をかけていた。そこへ彼女が通りかかった。ダメもとで「一緒にドッジボールせぇへんか」と声をかけた、立ち止まってこっちを振り向いていたが返事はなかった。もう一度尋ねてみた「一緒にドッジボールせぇへんか」。でも返事はなかった。やはりと思い仕方がないので他の友だちを探した。

その時一緒に声をかけていた仲間がもう一度彼女に声をかけた。「一緒にドッジボールせぇへんか」。やはり返事はなかった。彼は彼女にもう一度尋ねた。「ドッジボール一緒にするんやったら、グーしてみ」と言った。すると彼女は黙ったまま、右手でグーをした。そう!彼女はグーをした! 私にとっては衝撃の出来事だった。その後ドッジボール遊びがどんな様子だったかは全く覚えていないが、彼女がグーをした出来事は今でも鮮明に覚えている。

彼女は喋れない子ではなくて喋らない子だった。喋らない子なのでおかしな子ぐらいにしか思っていなかった。喋らない理由は分からなかったし考えてもみなかった。今だと発達障害と言われるのだろうか。喋らなければ友だちになれないと思っていた。でもそうではなかった。彼女はグーをしたのだった。そして何よりも、グーをしてみろと言った仲間のことの方が今でも忘れない。きっと彼女の表情を見て咄嗟に言ったのだろう。発想の転換は子どもだからできたのだろうか。私にはできなかったけど。

コンパッションという言葉がある。同情や憐れみと訳されるが、思いやりと言ってもいいかもしれない。優しい言葉だがなかなかできないことだ。相手のことを思いながらも自分の価値観に近づけようとするからかもしれない。そのままの相手と共にいることなんてなかなかできることではない。でもこのグーは、コンパッションの言葉の持つ意味を少し教えてくれた出来事だった。

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三田教会 神田裕

2023年3月 1日 (水)

コンプレックス

京都のとある大学で学長を務めていた方のインタビュー番組を見ました。アフリカはマリ出身の彼にとって、日本での生活はとても困難なものであったこと。日本人の表情が読めないのと何を考えているのか伝わってこないことで自分との距離感が難しかったといいます。

ある時、日本人の仲間とマリを訪れた時のこと、その仲間が体調を崩して病院に行った時に、医者がまず握手をして、熱があるなといい、体を触りながら話しをしたという。道具を先に使うのではなくて、人間的な触れ合いから診断が始まったというのです。日本人の仲間はそのことに感動したのだそうです。実は、彼はマリのそういった部分は自分にとってはコンプレックスだったそうで、あまり触れたくなかったことだったそうです。

このことがあって、あらためて、そのマリに見逃していた大事なものがあるのではないかと考えた。そして思い出したのが、マリの各家にある中庭だそうです。みんなが集まるその中庭では、それなりにルールがあって、コミュニティーができていて、皆がちゃんと一日を過ごせるように、ケンカもしながら調整しながら生活する場所、それが中庭だったというのです。他の人も受け入れながら自分のこともちゃんと伝えていく。お互い認め合うような姿勢をつくっていく場だそうです。多様性とは個々人お互いに違いがあることを認識すること。違いを足しあうことによって新しいモノや体験ができる社会が生まれることが大切だと思うと彼は言います。

彼は、自分の出身地のコンプレックスがあって、コンプレックスがあったときはマリの良さも見出すことができなかった。コンプレックスを取り去ると、実は見えなかった本当の良さが見えるようになったということですね。

コンプレックスとは、色んな意味があるようですが、私たちが普段使うこの言葉の意味は、劣等感。つまり自分の嫌いな部分ともいえるでしょうか。なので人からも自分自身からも隠そうとするのですが、実は、そのコンプレックスは、他にない神さまから与えられた大切なタレントだということに気がついたとき、それを自分の強みに生かしていくことができる。そういうことではないでしょうか。

四旬節は荒れ野での神との出会いの原点に立ち返るとき。着飾った自分ではなく、本当の自分に向き合って、自信をもって力強く歩みだす機会にしたいものです。

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三田教会 神田裕

2023年2月 1日 (水)

ルルドの水

2月11日は「ルルドの聖母」の記念日です。カトリック教会は、その日を「世界病者の日」と定めました。

ルルドと言えば「水」です。家庭祭壇にも容器に入れられて置いてありました。行かれた方にもらったようでした。病気になったとき飲めば治ると言われましたが、いつからこの水が置いてあるのだと思い、それよりも薬をと思っていました。

20年ほど前、教会の人たち何人かと一緒に、世話になったパリミッション会の神父さんを訪ねてフランスまで行ったことがありました。その時、足を延ばしてルルドまで行って一泊しました。大聖堂周辺では、容器を買って蛇口から「水」を入れて飲む人や持って帰る人、浴槽の「水」に体を浸して癒やしている人がいました。世界中から病を抱えた人々が来ていました。病に苦しんでいるのは私だけではないのだとの一体感も自分を強くすると思いました。それだけではなく、ホテルの中も、バスに乗る時も、車椅子で移動する時も、すべてがハンディを抱えた人たちのことを一番に考えて町がつくられていることに気がつきました。フランシスコ教皇の言う「野戦病院」とはルルドのことでもあると思いました。

それらしき容器に入れられた「水」はアマゾンで高値で売られていてびっくりしました。苦しいときは藁をもつかむ孤独な心理をくすぐっているのでしょうか、気をつけた方がよさそうです。病や障害を抱えても、孤独にならずにすむ社会があれば、アマゾンで買うこともないのではないでしょうか。

「ルルドの水」とは、祈りに支えられて、誰一人切り捨てられることのないまちづくりやひとづくりに、私たち一人一人が使命として関わることが、そのメッセージなのではないのかと思うのです。

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三田教会 神田裕

2023年1月17日 (火)

たきび129号 かんちゃん日記

あの日あの時はずいぶん昔の出来事のようになってきたが、家族を失った人たちの記憶は決して過ぎ去らない。こうしていればという悔しい思いは今も続いている。また、その日から始まった復興そして新生のプロセスも、過去のことではなく、人との交わりの中で、被災地では今もリアルタイムで日々の出来事が続いている。

南海トラフで巨大地震が発生する確率も高くなってきた。大災害が再びいつ突然襲ってくるかわからないので不安な気持ちは無くならない。少しでも被害が少なくてすむように普段からの心がけを忘れないようにしたいもの。何が起こったとしても、時を重ねつつ未来へのプロセスを歩んできた希望と勇気は忘れないでいたいもの。

自然がもたらす災害での破壊は、避けることができずに恐ろしいことだが、私たちが自然の中の一員として、自然と調和しながらして生きて行くことで、気づきを重ねて、恐ろしさから少しずつ解放されて行くことだと思う。しかし、、、

人間がもたらす災害での破壊は、避けることができるはずなのに、そうはならない恐ろしさがあり、残念でならない。始まってしまうと、破壊し尽くしてしまうまで終わらず、憎しみで傷ついた心のプロセスは、時を超えて癒えることなどほとんど難しい。

自然の脅威などは、ほんとうは何もなくて、自然は常に恵みをもたらすものだと思う。脅威なのは私たち人間のおごり高ぶりなのだとつくづく思う。

カンダヒロシ

https://youtu.be/uOUjj3GSFXo

 

2023年1月 1日 (日)

2023年 TCC新年挨拶

https://xgf.nu/RRX9

みなさん、新年あけましておめでとうございます。たかとりコミュニティセンターの神田裕です。神戸市長田区海運町にあるFMYYからインターネット放送を通して新年の挨拶をお届けしています。

1995117日に発生した阪神淡路大震災。その時、全国から救援に駆けつけて下さった仲間たちと共に、私たちの活動はスタートしました。そして、もうすぐ震災から丸28年を迎えます。

新型コロナウイルスが世界に猛威を振るい始めて3年が経とうとしています。ウイルスは、収まったかと思えば、また姿かたちを変えて、まるで終わりがないかのように今も私たちを翻弄し続けています。

私たちは、大自然の驚異を経験して、形あるものは永遠ではないことを知りました。しかしそれだけではなく、人間の仕業によって、自然が搾取され、環境が破壊され、戦争によって自らの命をも蝕んできました。この地球にとってはまるで私たち自身が暴れまわるウィルスのようであります。世界が、形あるものを奪い合うのではなく、互いを尊重し分かち合うことによって、初めて、人々の真の幸せ、平和を築くことができると、固く信じています。

世の中は不安でいっぱいですが、こんな時にこそ、自分のことだけではなくて、隣の人のことを思いやれますように。小さな優しさ、小さな喜びが、希望となり、平和をかたちづくってゆく勇気となりますように。

8年前の阪神淡路大震災から活動が始まった たかとり救援基地は、今も元気に活動を続けています。アジア女性自立プロジェクト、ベトナム夢KOBE、多言語センターFACIL、ひょうごんテック、ひょうごラテンコミュニティ、リーフグリーン、AMARCJapan、野田北ふるさとネット、そしてFMYYです。

震災の時、私たちはお互いを励まし合うため声をかけ合いました。声をかけ合うことによってお互いを知ることができました。お互いを知ることによって、まちづくりが始まりました。たかとりコミュニティセンターはこれからもそのことを忘れません。一人一人が大切にされ、誰一人忘れ去られることのない まちづくりひとづくりを目指して、今年もあなたの元へと飛んで行きます。

2023/01/01

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

Merry Christmas & A Happy New Year !!

主の降誕を迎え、新年初日は、神の母マリアの祭日です。コロナや戦争で明け暮れたかのような去年でしたが、今年もまだまだ晴れやかにとはいかないのでしょうか。神父になった若き頃、勉強会でお母さんたちと語り合いその生きざまの逞しさに勇気づけられ投稿しました。その再編集投稿です。イエスの誕生を迎えその成長を共にした母マリアに思いを寄せて。

赤ちゃんの誕生を迎えた家族は幸せいっぱい、希望に満ち満ちている。お母さんは思う、「りっぱに成長しますように」と。ところが、それは苦難の始まりでもあります。
夜泣きがあまりにひどいので、薄壁一枚の隣から文句を言われ、自分も泣きべそをかいてしまう若いお母さん。
喧嘩して怪我をさせてしまった子どもの家へ、ただただ誤りに行くお母さん。お前のしつけがなってないからだと、なぜかお父さんに叱られるお母さん。
「お宅の子どもさんは絵が上手ですが、この象の色がピンクなので良くないんです」と、学校の先生に言われ、「この子はピンクが好きだからいいんです」と、頑張るお母さん。
女の子の部屋を覗いたからと学校に呼び出されたとき、「息子が男の子であることが証明されました」と、豪快にも言い放ったお母さん。
中学でいじめられて学校へ行かなくなり、高校へ行ってもいじめられて学校をやめ、仕事をし出してまたいじめられ、この一年ほど家に閉じこもりっぱなしの息子をかかえ苦しんでいるお母さん。
でも、そんなに苦労して育てた子どもたちも、みんないつかは離れ、一人で人生を歩み始める。お母さん、それは嬉しいことですか、悲しいことですか。
イエスの母マリアも、子を思う気持ちは同じだったでしょう。自分の手元から離れて行動する子どものことが、心配で心配で仕方なかったことでしょう。でも、その子の成長をじっと見守り、すべて「心に納めて」いました。そして最後まで子どもと共に生きました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と祈りながら。

<声誌巻頭言 (1992/05)再編集>

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三田教会 神田裕

2022年12月 1日 (木)

谷口剛義理事が退任されました。

神戸少年の町はもうすぐ75年を迎えようとしています。その歴史の中でも今はコロナによって子どもたちやスタッフたちは否応なく翻弄される日々が続いています。そんな中、コロナだけではないもう一つのエポックを迎えることとなりました。

谷口剛義理事が退任されました。1969年から神戸少年の町で活躍下さって以来、敷地内の建物でご家族と住まれながら、児童養護施設長および乳児院長を歴任して頂き、法人全体の常務理事などの重責も合わせて担って頂きました。気が付けば実に53年もの長きに渡り、神戸少年の町の熱き魂として存在し続けて下さいました。温かく人間味あふれる神戸少年の町の魅力は、谷口氏の愛情いっぱいの感性や素朴な手作り感がもたらしたものであることは間違いないでしょう。

神戸少年の町は新しいエポックに入ります。これから未来へ向けてあり方や姿かたちは変わって行くことでしょう。ただ谷口氏が残してこられた熱き魂はこれからも神戸少年の町にとって忘れることのない大切な魂として受け継がれて行くことでしょう。
感謝を込めて。

2022年クリスマス
神戸少年の町
理事長 神田裕

新しいぶどう酒は新しい革袋に

11月27日の待降節第1主日からミサ典礼の日本語の言葉が少し変わりました。

振り返れば今から半世紀以上も前には、カトリック教会のミサは世界中で同じ言語、すなわちラテン語でミサが行われていました。1960年代に入って第2バチカン公会議を経て各言語でのミサが行われるようになりました。それと同時に、ミサの形式も変化しました。司祭は信徒に背を向けて祭壇に向かいミサを行う背面式から、祭壇を中心に司祭と信徒が祭壇を取り囲むように対面式になったのもその時からでした。それは大きな時代の節目でした。
それから数十年にわたって日本語でミサが行われてきましたが、今回は文言が少し変って改めての正式版となりミサ曲も変わり、再び時代の節目となりました。

教会内の出来事だけではなく、地球環境の変化で暑さ寒さも極端になり、自然災害や疫病、戦争や経済の混乱など、周りを見渡してみると何だか頭を抱えたくなるような出来事が一杯で、時代に振り回されてこの先どうなるのかと心配になってきます。人類の歴史の中でも大きな節目の時代に生きているようです。

そんな中にあっても、毎日新たな一日が始まります。朝起きて一日が始まるときはいつも節目かもしれません。人生はいつも新鮮な一日の積み重ねです。「新しいぶどう酒」は新しい一日、「新しい革袋」は今日も生かされている私たち。世の中が落ち着かなくてもどんな時代であっても、神の知恵の言葉にこの身を託し、時代に振り回されず希望を持って今日を生きて行きたいものです。

老いも若きも、同時代に生きる仲間たちと一緒に!

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三田教会 神田裕

2022年11月 1日 (火)

11月は死者の月

11月は、諸聖人の日(1日)、死者の日(2日)と続きます。私たちキリスト者が死のかなたの命への希望に生きるように励まされ、目にみえない世界に入ったすべての人との繋がりを意識する日です。教会は、生きている人だけでなく亡くなった人を含めた交わりの共同体です。亡くなったすべての人々のために祈り、また同時に、私たちのために執り成してくださいと祈ります。主と共にあって、死者との交わりを祈ることは、私たちを孤独から解放し、安らぎをもたらし、生きるためのエネルギーとなります。亡くなられた親しかった人たちもあなたにエールを送ってくれています。苦難に負けることなく力強く信仰の中で歩むことができますようにと。

緑の牧場に♪

緑の牧場に伏させてくださる 主はわたしの牧者
憩いの水辺にともなってくださる 主はわたしの牧者
たとえ死の陰の谷を歩んでも 災い恐れない
あなたが共にいてくださるから 乏しいことがない

わたしの魂を生き返らせる 主はわたしの牧者
正しい道に導いてくださる 主はわたしの牧者
あなたの鞭とあなたの杖が わたしの慰め
あなたが共にいてくださるから 乏しいことがない

あなたは敵の見ている前で 食事を整えて
頭には油あふれた杯 わたしのためのこと
神の恵みと御いつくしみに 生涯伴われ
とこしえに神の家に住まえば 乏しいことがない

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三田教会 神田裕

2022年10月 1日 (土)

台湾の「希望の灯り」建立式典へのメッセージ

9月21日に台湾大地震から23年を迎えた。それに先立ち、阪神淡路大震災以降、神戸で灯され続けている「希望の灯り」が17日に台湾でも灯されることになった。当日、台湾被災地へメッセージを届けた。

台湾(埔里)の皆さま、こんにちは。お元気ですか。神田神父です。「ペーパードーム」のシンボルを通してこれまで互いの絆を深めてきました。この度「希望の灯り」が灯されることで新たな一歩を踏み出します。私たちは、大自然の驚異を経験して、形あるものは永遠ではないことを知りました。しかしそれだけではなく、人間の仕業によって、自然が搾取され、環境が破壊され、戦争によって自らの命をも蝕んできました。“ともに暮らす家”であるこの地球にとっては、まるで私たち自身が暴れまわるウィルスのようであります。世界が、形あるものを奪い合うのではなく、互いを尊重し分かち合うことによって、初めて、人々の真の幸せ、平和を築くことができると、信じています。“強いものは下に、弱いものは上に、子どもはてっぺんに”です。時代に翻弄されないよう、未来へ向けて「希望の灯り」を灯し、平和への弛まぬ歩みを誓い、心を合わせてともに祈って行きたいと思います。

cf: 教皇フランシスコ回勅 「ラウダート・シ」 “ともに暮らす家を大切に”
cf: “強いものは下に、弱いものは上に、子どもはてっぺんに”
神戸少年の町と同じくフラナガン神父の影響を受けスペインで生まれたシウダー・デ・ロス・ムチャチョス(少年の町)。ベンポスタ子ども共和国と呼ばれている。子どもサーカス団を編成し世界で巡業してきた。そのサーカス興行のテーマがこれ。

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三田教会 神田裕

2022年9月17日 (土)

教会が潰れて燃えて初めて「教会」に

教会が潰れて燃えて初めて「教会」に
ゆるゆる多文化 いとをかし
たかとりコミュニティセンター
阪神淡路大震災から 10000 日

まちが燃え教会が燃え、消火活動もむなしく疲れ果て、近くの中学校へ避難した。教室にはすでに入りきれないのか運動場に 20 人ほどが車座になり石油ストーブを囲んで暖を取っている。よく見るとストーブの上にはなんとステーキがのっている。食べろと言われたが食欲もなく断った。すかさず声が聞こえた。「神父さん、こういう時はちゃんと食べなあかん!」。一口食べ、心強い言葉に安心し、震災初日、彼らと一緒に毛布にくるまり満月を見ながら運動場で寝た。

その時一緒にいた子たちが言った。「どこから盗んで来たんやと言われた。潰れた自分の家から食べ物を取り出し皆で分けて食べていたのに。悔しい!」。命からがら海を渡ってきた彼らのたくましさに勇気づけられながらも、この社会の中では偏見の中で暮らしていた。地震の中であっても変わらなかった。

1995 年 1 月 17 日 5 時 46 分。大地震が発生。一瞬にして街は崩壊し瓦礫と化した。教会の聖堂もなくなりなすすべもなかったが、日曜日にはみんなミサに集まってきた。避難所から教会まで歩いてきた。「主よ、あわれみたまえ」に涙した。たかとりの信者たちは、家も財産も失い、瓦礫の中に閉じ込められ、けがをした者もいたが、幸いにしてみんな命は助かった。着のみ着のままに集まった。生きて出会えたことを喜んだ。笑顔があった。その笑顔を見て思った。教会は潰れて燃えてしまったが、それでもここに「教会」があると。

たかとり教会は、1927 年に設立された。神戸市長田区に位置し、アジアの人々が多く暮らす町の中にある。教会には同じアジアの日本人はもちろんのことコリアの人たちも多く、多文化な教会としてスタートした。1950 年には幼稚園もでき地域とのつながりが深まっていた。1980 年代からはボートピープルとしてやってきたベトナム難民の人たちも加わるようになった。

1993 年に、ベトナムからキリスト像がやってきた。ベトナム、コリア、日本の人たちがともに手を取り合って暮らしていくことを約束したたかとり教会のシンボルだ。その台座には、思いの詰まったタイムカプセルが入っている。台座の前面には「互いに愛し合いなさい」と聖書の言葉が 3 か国語で書かれてある。聖堂の脇に立っていたので、被災したが、キリスト像は崩壊せず立ち続けた。「奇跡のキリスト像」と言われ、震災復興のシンボルとなった。

震災後すぐに、教会敷地内で「たきび」を起こし、暖を取りながら非日常の日常がスタートした。知った人も見知らぬ人も、どこからともなく二人三人とリュックに水と食べ物を入れて救援に駆け付けてくれた。そして、集まった人たちとともに、「鷹取教会救援基地」として活動が始まった。瓦礫の片づけや公園での炊き出し、避難所支援、仮設支援などなど。

大阪教区もすぐに住吉、中山手、たかとりを救援拠点として支援体制に入った。震災後、教区の基本方針、「大阪教区が目指す阪神大震災からの<再建>計画は、単に震災以前の状態に復旧することではない。キリストの十字架と復活(過越の神秘)の新しい生命に与る<新生>への計画である」が出された。教区は現場の判断を大切にしてくれた。

たかとりは明石、垂水、北須磨、鈴蘭台のバックアップ体制の中で活動が続けられた。大阪教区内外の小教区や個人も自主的に支援を続けてくれた。物資の支援はもちろんのことだが、何よりも直接に駆け付けてともに過ごしてくれたことが大きな励みとなった。

震災後のベトナム人支援として動き出していた学生たちや支援団体の人たちが教会に集まり出した。そして救援基地の中に「被災ベトナム人救援連絡会」が立ち上がった。震災後の神戸で最初に立ち上がったNGOだ。

長田の町はコリアの人たちが以前から多く住み、震災後もコリアの人たちの救援活動も独自で始まっていた。そして彼らが、ベトナムの人たちに思いを寄せてくれることで、電波を使っての救援活動が始まることになった。教会内にFM 放送局が誕生することとなり、多言語で震災情報を発信する活動が始まった。

大阪教区は、全国のカトリック医師会と連絡を取り、被災地の医療支援をはじめた。その拠点の一つがたかとり教会内にでき、近隣の診療所が再開されるまでの期間、全国のカトリック系の病院から医師や看護師を派遣してくださった。1995 年 4 月 16 日の復活の主日にその活動を終え、そのあとは、たかとり独自で「まちの保健室」として活動が継続されることになる。リーフグリーンの前身だ。

コリアの人たちの支援で動き始めた FM 放送は、その同じ復活の主日に、ミニ FM 放送局ユーメンとしてベトナム語他 4 言語でスタートすることになる。そして半年後の 7 月 17日に、「韓国語ミニ FM ヨボセヨ」と「ベトナム語ミニ FM ユーメン」が一つとなり、「ミニFM わぃわぃ」となる。

その後、全国からの支援金をもとに株式会社を設立し、教会敷地内に大きなアンテナを建て、1996 年 1 月 17 日に正式にコミュニティーFM 放送局として開局し 10 言語で震災情報を流し始めた。

震災救援活動は長くても3年で終えるはずだったが、震災からちょうど 1000 日になった日に、名称を「たかとり救援基地」と改め、これまでの救援活動から、日常生活への支援活動へと移り変わっていくことになる。すでに教会外で始まっていた活動と教会内で生まれていった活動も互いに連携しながら、日常の活動へと進化していった。

2000 年には、たかとりコミュニティセンターと名称を改め、特定非営利活動法人格を取得し今に至っている。地元地域の人たちに言われた。「教会に幼稚園がなくなって敷居が高くなっていたが、再び幼稚園が戻ってきた。子どもも大人も集う多国籍な幼稚園だ」と。

なぜ、教会内にこのような活動が今も続けられているのか。それは、ここに集う人たちが、「弱い立場に置かれた人々と共に歩む」教会としてキリスト者として生きているはずの私たちと、同じ使命をもって同じ目的をもってこの社会の中で生きようとしているからだ。単なる活動のテナント貸しでは決してない。

キリスト像の台座に書かれてある「互いに愛し合いなさい」は、教会と地域と NGO の三者が一つになって、それぞれの特性を生かしながら、同じ目的に向かうための言葉でもある。誰一人見捨てられることのないまちづくりを目指して。

震災時のとっさの判断は、思いつきのことではなかった。脳裏をよぎるのは、神学生時代に先輩たちや仲間たちとよく語っていたことだった。生き方の方向性を学んだ。

もう一つは、神父になってからだが、大阪教区の司祭仲間たちと未来を語り合ってきたこと。「勝手にヴィジョンを考える会」という集まりを持っていた。20 年、30 年先の教区を語り合っていた。たかとりでの震災救援もそのことが根底にある。

2022 年 6 月 4 日に震災 10000 日を迎えた。たかとりでの活動は今も続けられている。その活動は、10000 日前の思いと何ら変わることなく続けられている。まちがあり、教会がある。まちの中にある教会が「まちづくりひとづくり」として、外国籍であれ高齢者であれ、誰ひとり忘れ去られることのないまちをつくること。「まちづくりはだちづくり」は教会の言葉にすれば「福音宣教」だと思っている。教会が地域社会の中で福音宣教をするということは、地域に耳を傾け、人として生きるにふさわしい地域社会に貢献することだと思っている。

キリスト教国ではなく、宣教国としての日本のカトリック教会にあって考えることがある。それは、「グローカル」という言葉だ。グローバルな視野を持ってローカルを生きるということだ。カトリック教会はグローバルそのものだ。世界中どこへ行っても私の居場所がそこにある。大きな支えだ。

ただ、ローカルをおろそかにしてはならない。どこの教会に行っても、信仰上のグローバルな価値観は一致するのだが、ローカルな部分では同じであるはずはなく、もっと教会は、その地域の歴史や特性と深くかかわり、ローカルに根差した個性を持った教会であってもいいはずだ。どこの教会に行っても、グローバルなネットワークを強みとしながらも、他の教会にはないローカルな特徴があってしかるべきだ。ひとり一人がみな違うように、教会も違っていて当然ではないのか。

キリスト教国の教会中心ででき上がった町の中にある教会像は、宣教国で同じことをしていては、教会は地域社会の中で孤立したものになってしまうと思うのだが。

3年近く前、日本に来られたフランシスコ教皇が、東京ドームでのミサの説教で、「教会は傷ついた人を癒やす野戦病院」と語られた。この「野戦病院」という言葉に強くひかれた。「まちへ出かけていく教会」と勝手に解釈した。

「教会」は建物のことだけでなく、キリスト者そのもののことだと思っている。ミサから「まち」へ派遣されていく私たちひとり一人が「教会」だ。教会が潰れて燃えて初めて「教会」になったと、震災直後に思わず語った言葉は、今でも色あせることなく、そうだと思っている。

「ゆるゆる多文化いとをかし」と、ゆるやかに柔軟に地域とともに歩む「教会」でありたいとの願いも込めてのキャッチフレーズだ。それはもちろん、たかとりのことだけではなくてだ。

「奇跡のキリスト像」は、崩壊しなかったから奇跡なのではなく、教会と地域と NGO をつないでくださり、今も私たちと共に歩んでくださっていることが奇跡なのだ。

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

TCC壁新聞
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オリエンス宗教研究所
福音宣教 8、9月号

2022年8月 1日 (月)

夏の日に

うだるような暑い夏がやってきた。なつ(夏)の語源は、あつ(暑)、ねつ(熱)からきていると言われるが、なずむ(泥む)からきているとも言われる。泥むとは、なかなか思うように前に進まない。しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと。としをとればとるほど身に染みる言葉だ。しかし夏は泥んでばかりもいられない。

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか 忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら わすれるよりほかないじゃありませんか ♬ (「傾斜」:中島みゆき)

彼女の歌の中でも記憶に残る一つだ。としをとればとるほど人生の記憶が増えていく。嬉しかったこと楽しかったことも一杯あったはずなのに、なぜか思い出すのは悲しいことや辛いことが多くなってくる。困ったものだ。忘れっぽくなることも多くなる、それは神さまからの優しい贈り物かもしれない。そんな風に私なりに聴いている。

教皇フランシスコはこう呼びかけている。
「人間を人間らしくする、気配り、思慮深さ、愛情、これらについてわたしたち老人、高齢者がもつ特別な感受性は、再び多くの人の召命となるべきです。それは、新しい世代に対して高齢者が示す、愛という代案です」(第2回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の日に)

8月15日に世界大戦が終結して77年の夏を迎える。戦争を経験した人たちは忘れっぽくなってもあの日々のことは決して忘れないだろう。私たちに平和の大切さを多く語り継いできてくださった。残念なのは、経験した人たちが年ごとに少なくなってくることだ。

8月15日はお盆の日。日本の古くからの文化で、すでに亡くなられた方々がこの日に戻ってくる日だ。亡くなられた方々にお願いしたい。この日にどうぞ我々の元へ帰ってきて今一度、平和の尊さを語り伝えてほしい。

8月15日は被昇天のマリアの祭日。私たちはこの日にするべきことがある。マグニフィカト(ルカ1:46-55) マリアの賛歌を、心を一つにして祈ろう!

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三田教会 神田裕

<マリアの歌>

わたしは神をあがめ、
わたしの心は神の救いに喜びおどる。
神は卑しいはしためを顧みられ、
いつの代の人もわたしをしあわせな者と呼ぶ。
神はわたしに偉大なわざを行われた。
その名はとうこく、
あわれみは代々、神をおそれ敬う人の上に。

神はその力を現わし、
思いあがる者を打ち砕き、
権力をふるう者をその座からおろし、
見捨てられた人を高められる。
飢えに苦しむ人はよいもので満たされ、
おごり暮らす者はむなしくなって帰る。

神はいつくしみを忘れることなく
しもべイスラエルを助けられた。
わたしたちの祖先、
アブラハムとその子孫に約束されたように。

2022年6月 1日 (水)

ハーモニカ長屋

  下町はハーモニカ長屋の一番端っこの家で生まれた。奥の居間で産婆さんに取り上げてもらった。3800と比較的大きかったが、その後は伸び悩み今に至っている。
  10件ほど並んだ長家は屋根が連なっていて、声の大きい母さんの笑い声は向こうの端まで響き渡った。長屋は2棟向かい合い、その横にも並んでいて20数件ほどが一つの家のような空間だった。右向かいのおじさんが鶏の首を絞め、毛をむしっているのを目の当たりにしてから鶏肉が食べられなくなった。そこのお家の犬の名はペロ。向かいの家の屋根の上に石を投げていたら間違って窓ガラスを割ってしまったが黙って隠れていた。近所の子を泣かしたときは親に叱られ連れられて謝りに行った。自転車に乗って近所の交差点で車とぶつかった。叱られて明日から自転車に乗れなくなると思ったので、足を引きずりながらも慌てて逃げ、バレませんようにと必死で祈った。大雨の中、水はけの悪い長屋の道を通って家に戻るとき、マンホールの木の蓋が流されていて、その穴にはまった。幸いにも両手がつかえて溺れなくてすんだ。家のトイレにもはまった。幸いにも便器に両手がつかえて突入は避けられた。路地横のじいちゃんは毎日リヤカーで廃品回収していた。刺青の入った隣向かいのじいちゃんは夏になると外に出てステテコ1枚で団扇をもってラジオで阪神タイガースを応援していた。私は自室がなく奥の居間に居候。その部屋の真ん前にラジオだったので勉強どころではなかった。ある時、外が騒ぎとなった。正面向かいのおっちゃんが包丁持ったおばちゃんに追いかけられていた。醤油がなくなると緊急にお向かいに借りに行ってその場を凌げた。沢山のものが手に入ったときは近所でお裾分け。二軒隣のお姉ちゃんには世話になった。小学校に行くのが億劫だった頃、毎日誘って学校まで連れて行ってくれた。帰ってからはままごと遊び。お茶碗に入るご飯は向かいの工場のドラム缶の鉄のキリコ。「下駄隠し」「ペコタン」「たんす長持ち」などなど。「びーだん」「べったん」も。毎日長屋仲間とよく遊んだ。歩いて1分以内に駄菓子屋が5軒もあった。母さん曰く、遅くまで遊んでいると遠くから「ガタロ」がやってくる。本当にやってくるので、慌てて家の中に飛び込んだ。
  この度、震災1万日を振り返って原稿を書こうとしたが、人生2万3千日まで遡ってしまった。私にとって長屋のご近所は大きな一つの家だった。「社会に開かれた教会」などと大層なことをいうけれど、私にとってはご近所さん。神父になってからも、派遣されていく教会のご近所さんとは、今でもあの頃と同じように思って過ごしている。(^^♪

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三田教会 神田裕

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2022年5月 1日 (日)

“現実からかけ離れた幸福感”

復活祭をピークに体のガタが出てクリニックに行った。頸椎のレントゲンとMRIを撮り、
診断は、骨の2か所にズレがあり神経を圧迫しているとのこと。慢性的に首が気になって熟睡できない状況が長いこと続いていた。どうも脳がどこかで支障をきたしているのか、体全体がこわばって手も震えてくる。これまで何度か病院で診てもらっていたが「老化です」で終わっていた。やっと「治療しましょう」となった。

まずは薬の処方。いくつか出されて一週間。出された薬は丁寧な説明書付き。副作用もたくさん並んでいる。しっかりと読むと飲むのも怖くなってくる。頭痛、めまい、吐き気などなど。その中で一つ毛色の違うものがあった。「現実からかけ離れた幸福感」。思わず目を疑った。どんな副作用なのか、病気の治療よりも、そのことに興味が行ってしまう。

「幸せを感じるような状況でもないのに幸せに感じてしまう」ということらしいが、よく考えると、薬でこの状況になるということは、薬が切れると逆になってしまうということになる。これはちょっとヤバいな。

ふと思い出した。阪神淡路大震災の時だ。町は焦土と化し、ど真ん中の潰れて燃えた教会で、電気も水道も機能しない中、瓦礫を片付け、たきびを囲みながら過ごした。その時、幸せな現実からは全くかけ離れているのに、幸せな不思議なひと時を過ごしたのだ。出会う人みんな、初めての人であっても、お互い気遣い、声をかけあい、とても優しくなれた、平和なひと時だったのだ。不思議な体験だった。

ところが、電気が通り水道も出るようになるにしたがって、不思議な体験は少しずつ消えて行き、辛くて厳しい現実が始まった。それは、一瞬垣間見た「神の国」だった。神さまは、大変な時に大切なものを体験させてくれる、と思った。

一瞬だったが、「現実からかけ離れた幸福感」は確かにあった。厳しい現実の中で、人との出会いの中で体験できたものだった。忘れはしない。この先どんなことが起ころうとも、お互い助け合って生きることができるのだと、今でも信じている。

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三田教会 神田裕

2022年4月 1日 (金)

祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
(平和を求める祈り )

国を治めるすべての人のために祈りましょう。
神がこの人々の知性と心を導いて下さり、
まことの平和と自由がすべての人に与えられますように。
・・・
すべての権威の源である全能永遠の神よ、
国を治める人々を顧みてください。
あなたの恵みによって、安定した平和、生活の向上、宗教の自由が
どこの国にも与えられますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
(聖金曜日 盛式共同祈願9)

2022年3月 1日 (火)

大きな木

「むかし りんごのきが あって… かわいい ちびっこと なかよし。…」…
シェル・シルヴァスタインの絵本「おおきな木」の始まりだ。少年の成長とともに歩んだ木の話。葉っぱで王冠をこしらえ、木によじ登り枝にぶら下がりりんごを食べる。それで木はうれしかった。少年は大きくなって、お金が欲しくて、りんごの実を全部持って行ってしまった。家が欲しくて、枝を全部持って行ってしまった。旅をするための船が欲しくて、幹を切り倒してしまった。でも木はそれでうれしかった。年老いた少年は、よぼよぼになって木のところに戻ってきた。木は言った。「このふるぼけた切り株が腰かけて休むのに一番いい」。少年はそれに従った。木はそれでうれしかった。
絵本の英語のタイトルは「The Giving Tree」。なんだか切なくて、悲しくて、それでいて温かくて。親と子の関係なのかと想像したり、神さまと私たちの関係なのかと想像したり、思いは巡っていく。

教会にも大きなイチョウの木があって、秋には銀杏の実を実らせ、黄色い葉っぱは敷地の絨毯となり、目を楽しませてくれる。私には大好きな木で、見る度にこの絵本を思い出す。ところが、イチョウの葉っぱは、教会を出て、隣のお家や隣の道路まで飛んで旅に出てしまう。ある晩秋の夜中、教会の横の道路を通っていて気が付いた。近所のおじいさんが背中を丸めて街路樹の葉っぱと教会のイチョウの葉っぱを掃除してくれていたのだ。イチョウの木は庭の隅っこの窮屈なところで、50歳ほどだけどとても大きくなりすぎた。大きく張った根は隣の石垣を侵食し、他の小さな植物たちの栄養も持って行ってしまう。大きくなればなるほど葉っぱたちはもっと遠くへと旅をする。気象変動の大きい今、巨大な台風で倒れやしないかと気が気でない。倒れれば家や道路は直撃だ。私たちの目を楽しませてくれるのはありがたいが、段々と厄介なイチョウの木になってしまった。どうしたものか、イチョウの木よ。「The Giving Tree」になってくれるか。

私たちの住んでいる人間社会にも「木」がいっぱいあって、中にはとても大きな木もある。ところが先月ビックリする出来事を見た。大きな木が小さい木の栄養分を吸い取ろうと露骨にまとわりついてきたのだ。現実の世の中、大きな木はその力でもって小さい木を栄養分として自らを尚も太らせる。人間社会の大きな木はとても厄介なのだ。

絵本の中の大きな木は、単なる理想の夢物語なのだろうか。大きな木が、自らの身を削ってでもちびっこと暮らしたことは、大きな木にとってはとてもうれしいことだったと、言える時代は来るのだろうか。

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2022年2月 1日 (火)

一期一会

教会に来ているベトナムの若者でこの正月に書初めの初挑戦をした人がいた。いくつかのお手本のサンプルの文字の説明を聞き、一つを選んで、見様見真似で書いた文字が「一期一会」だった。その人も遠い日本に来てやはり思うのは、流れゆく時の中で今この時を大切に、だったのだろうか。

先日、教会の前の道で、近所の子どもたち数人が縄跳び遊びをしていた。小学生の頃は毎日縄跳びをやっていた。二重飛びや三重飛びなんかも挑戦していた。大きな縄でみんな一緒に飛ぶのも楽しくて、逆から入るのも得意中の得意だった。見ていて懐かしく、微笑ましく、思わず「私も飛ばして」って言ったら、大きな縄をくるくる回してくれた。よし!背中にリュックを背負ったままで、右手にはスーパーで買った晩ご飯を持って、いざ!!最初の一飛びは上手くいった!すぐに二飛び目がやってきた。ところが、足を上げたつもりが全然上がってなくてもうひっかけてしまった。「あぁ残念。あかんわぁ」と言ってその場を去ろうとした。そしたら、一緒に遊んでいた子が、「ありがとうございます!」って大きな声で言った。え、ありがとうは私が言わなあかんかったのに。私もそれにつられて、「ありがとうっ!」て言った。体力のなさには愕然としたが、ありがとうの一言がとてもうれしかった。子どもたち、ありがとう!!

日曜日の公開ミサがまた中止となる事態になりました。軽症だと言われていますが、この感染拡大の勢いは凄まじく、とても心配です。こんな状況ももう2年近くになりました。早くこのコロナから解放されたい。そんな祈りが続きます。でも、こんな中にあっても、無駄な時はなく、「一期一会」の心を忘れずにと、祈らずにもいられない。

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2022年1月17日 (月)

たきび128号 2022/01/17

<かんちゃん日記>
コロナ禍の中であっという間に時が過ぎていきます。震災から27年が経ちました。思うように人と向き合って関われない寂しい思いの中で過ごすことが日常になってきました。孤独の中での閉塞感からか悲しい事件も増えてきているような気がします。TCCの仲間たちは、それでも、忘れ去られようとしている一人ひとりとのつながりが切れないように、たくさんの工夫の中で活動を続けてきています。手紙一つでも、LINEやメールでも、つながりが切れないようにしていきたいです。27年前にたかとりから発信したメッセージは今もそのまま生きています。カンダヒロシ

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<ベトナム夢KOBE>
ベトナム夢KOBEは、2021年で8年目を迎えました。現在の団体名に変更する前のNGOベトナムin KOBEは2001年に発足したので、昨年はたかとりコミュニティの一員として「在日ベトナム人支援」を開始して20年という節目を迎えたことにもなります。団体発足当時から、私たちは被災時のベトナム人と日本人との協働の精神を忘れずに、ベトナム人と日本人が一緒になって活動を行うことを大切にしています。「ベトナム人のため」でもなく「日本人のため」でもない、「同じ社会の一員としてのベトナム人と日本人のための団体」であるということが私たちの原点です。しかしながら、「一緒に活動を行う」ということは、決して綺麗事だけで語ることはできません。文化の違いを乗り越えようとする場合、往々にしてどちらかが「我慢」をすることになります。これまでスタッフ同士でも「我慢をし合う」ことが何度もありました。でも、最近になって少しずつ感じ方が変わってきました。それぞれが我慢をし合っているのではなく、互いを尊重し合っているのだと感じるようになりました。だからこそ、ベトナム夢KOBEはここまで続けてこられたのだと思います。8年目を迎えた私たちは、これからも多文化社会に暮らすベトナム人と日本人として異なる文化を尊重する大切さを伝える活動を続けていきます。ノガミエミ

<リーフグリーン>
阪神淡路大震災から27年が経ちました。当時幼かった我が家の子供たちも親となり、春には13人目の孫が生まれてきます。今振り返ってみると、あの未曽有の体験が私の人生のターニングポイントであったように思われます。それまでの私はいろんなものに縛られて、ただ生かされてきたようなところがありました。それが、神田神父様から背中を押されて、3人の仲間と「リーフグリーン」を自ら立ち上げることになりました。団体の運営も事業の計画も初めての事ばかりで四苦八苦、資金繰りも大変で救援基地から随分助けていただきましたが、自らの意思で行動することは楽しく、苦にはなりませんでした。「こんな事で困っているから助けて欲しいと思っている人と、こんな事なら提供できるよと思っている人がうまく出会い、助け合ってお互いに幸せであること」を理念に掲げて、これまで歩んできました。私自身、良い関係が築けた時ばかりではなくお互いに傷つけあった事もありましたが、多くの仲間に支えられ、多くの方々との出会いと別れを繰り返す中で育てていただきました。これからの「リーフグリーン」を若いスタッフたちがどう育てて行ってくれるのか、楽しみに見守っていきたいと思います。ヨシモトカツコ 

<多言語センターFACIL>
昨年もコロナ禍に振りまわされた一年でした。1月から9月まで事務所の人数が半分以下になるようにテレワークをしていました。緊急事態宣言の解除後、10月からやっと全員が出勤できるようになり、それまで止まっていた対面の事業も動きだしました。そんななか、医療通訳システム構築事業で培ってきた実績と経験を活かし、神戸市コロナワクチン接種会場での通訳を行いました。7月はハーバーランド大規模接種会場に木曜日と土曜日、日曜日、祝日に、8月から11月まではノエビアスタジアム大型接種会場に土曜日、日曜日に(10~11月は祝日も追加)、英語、中国語、ベトナム語の通訳者が常駐しました。延べ英語39件、中国語18件、ベトナム語465件、計522件の対応をしました。件数もさることながら、接種に来られたみなさんと医療従事者や会場スタッフの方々のあいだの「ことばの壁」を乗り越えるサポートすべく臨機応変に駆けまわる通訳者の姿は現場に大きなインパクトを与えました。地域社会に外国にルーツを持つ人々がたくさん住み、働き、学び、みな同じように不安を感じ過ごしていること、そして同時に「ことばの壁」を乗り越えるために活躍し、多文化・多言語化した地域社会を支える人でもあることが可視化したのだと思います。2022年こそはコロナ禍が収束し、いろいろな人と会い交流できる年となりますように。リユミ

<ワールドキッズコミュニティ>
ワールドキッズコミュニティは、あの震災で気づかされた多くのことの中で、外国につながる子どもたちの教育環境の改善が、日本の教育環境そのものを問い直すことになるのだということにこだわって、活動を続けてきました。日本には、何らかの理由で義務教育を学び直したいと思う人たちの最後の砦となっている夜間中学があります。そこに、不登校になってしまって学べなかった人、貧困により幼少の頃から家業を手伝っていた在日コリアン、外国から親に連れてこられて日本の学校の授業についていけなかった日系人など、識字率の高さを誇っているはずの日本社会で、形式的な卒業をせざるを得なかった人たちが通っています。不登校になってしまっている子どもたちの数がどうして増加しているのか、子どもの貧困状況から生まれている子ども食堂がなぜ必要なのか、どうして日本語が母語ではない子どもたちが授業についていけないのかなど、根本的な解決が叫ばれている日本の教育環境そのものの現状が浮き彫りになっています。外国ルーツの子どもたちの教育環境を、その保護者とともに改善しようという活動の意義が、こうして可視化されてきました。すべての子どもが、楽しく学べる環境は、多様性を生かしたまちづくりにつながっていきます。これからのキッズの活動は、昨年からFACILの一つのプログラムへと移行を進めています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ヨシトミシヅヨ

<ひょうごラテンコミュニティ>
新年あけましておめでとうございます。昨年もコロナによる影響で、大変辛い年でしたが、皆様のご支援のおかげで活動を続けることができました。本当に感謝の一年でした。ありがとうございます。昨年も、フィエスタペルアナやラテンクリスマスなどイベントを開催せずに、情報発信に力を入れました。その成果だったのか、会えなくても遠くても繋がりが広がったと思っています。そうした中で、嬉しいニュースがありました。それは、私たちの防災に関する活動を知り、学びたいと言ってくださるペルーの現地の方たちと繋がれたことです。日本だけではなく、世界で、私たちの活動を見ている人がいるんですね。今年は、その、繋がった現地ペルーの方たちと新しい計画が進んでいく予定で、さらに忙しくなりそうです。また、国内に目を向けても、コロナ終息は、まだまだ先のようですが、皆が明るい気持ちで安心して暮らしていけるように、支援を頑張っていきます。では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。2022年、皆様にとって、幸多き一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。オオシロロクサナ

<アジア女性自立プロジェクト>
今年は団体設立して28年目、2024年には30周年を迎えます。10周年、20周年には、講演会やパネルディスカッションなどを開催し、多くの方に参加いただきました。さて30周年にはなにをしようか、スタッフの間でも話題に上るようになりました。あと2年、まだ先のような気もしますが、コロナの2年間を考えるとあっという間にやってくるように思います。この28年の間で私たちとともに活動してきたアジアの女性たちとともに28年重ねてきました。ライフサイクルが次第に変わり、それぞれのニーズや環境も変わってきつつあります。私たちの側も、新しい感性で新しい活動を展開しようとするボランティアが参加してくださり、大きな力になっています。昨年は新しいフェアトレード製品ラインナップを投入しました。販売環境が厳しいのは承知の上、仕事づくりを支えあうという思いだけで乗り切ってきました。おかげさまで買ってくださった方から「これいいね!」と言っていただけたり、オーダーがすごくうれしいと生産者のアジアの女性たちの励みになったりと、やっててよかった、と感じます。またコロナも相まって人の孤立の問題が深刻になっています。AWEPでも国籍などにかかわらず女性ならだれでも気軽におしゃべりできる集いを定期的に開催しました。とても緩やかではありますが、場を開き続けることでいつでも、だれでもどうぞ、気軽に集いましょうというメッセージを伝え続けたいと思います。今年もみなさんとともにAWEPを様々な活動の場としていきます。ナラマサミ

<AMARC>
新年おめでとうございます。阪神淡路大震災と東日本大震災の経験を活かして、JICAの支援を得てインドネシアで2017年7月から取り組んできた「コミュニティラジオを活用した地域防災力強化事業」が今年3月に終了します。日本とインドネシアにおける「コミュニティラジオと防災」に関する経験を両国の関係者が共有し、互いの活動に活かすとともに、国を越えた人的なネットワークを広げることができました。特に、大きな災害が発生した際に日本と同様にインドネシアでも、情報通信省の省令に基づいて臨時災害ラジオ局開設の放送免許が被災地の団体に交付されるようになったことが大きな成果となりました。臨時災害放送局の制度化は日本に続いて世界で二カ国目です。セミナー開催、地域防災計画の改訂支援、SNSを活用した広報、書籍やブックレットの発行など、可能な限りの活動と手段を使って、災害時にすぐさま臨時災害ラジオ局が開設され、被災者が生き抜いていくたの情報を受け取ることができる、中身の伴った制度にするための活動に現地の仲間達とともに尽力してきました。その原動力となったのは、2004年のスマトラ沖地震・津波以来、大きな災害が発生しても臨時災害ラジオ局を開設できなかったり、あるいは開設が月単位で遅れてしまったことの悔しさであることを、一緒に活動をして感じる場面が幾度となくありました。草の根レベルの活動ですが、こうした思いが社会を動かし、国を超えて協力できたことはい大きな喜びです。昨年12月にインドネシアのジャワ島東部で火山が噴火し、火砕流で60人が犠牲になり、5千人以上が避難生活を送っています。現地の仲間たちが早速、被災地に駆けつけて、火山から近い町で緊急放送を始めています。ヒビノジュンイチ

<FMわぃわぃ>
こんにちは、コミュニティメディアFMわぃわぃです。1995年阪神・淡路大震災、神戸長田にはたくさんの在日コリアンが住み、地域のお役をする人、本名で自分らしく暮らすコリアンがたくさんいました。にもかかわらず、避難所の登録には「思わず通称名(日本名)で登録した」と忸怩たる思いを語る友人たちもいます。その思わず「日本人のふりをした」というこの社会にある圧力や、マジョリティ目線の常識から見落とされる人々の存在を顕在化させる、そのために生まれそして発信し続けているのがFMYYです。違いを持つ仲間がいることで多くの気づきが生まれます。先日一緒にお昼を食べながらふと見たテレビの紛争、難民のニュース、ベトナム人の友人が一言、「わかるわ、あの気持ち」。さっき見たニュースは遠い世界の話ではなく、私の前にいる人が経験したこと、今まさにミャンマーでアフガニスタンの人々が、どんな思いで、自分の住まいを自分の国を捨てるのか、友人の一言に気づかされ胸が迫ります。震災から2週間後に「FM여보세요(ヨボセヨ・もしもし・韓国語)」が生まれ、そして3ヶ月後に「FM Yêu Mến (ユーメン・友愛・ベトナム語)」が生まれ、言語だけではなく、震災という災害が浮き彫りにした社会の中で孤立したり、排除されることがあったり、あるいは声が上げにくい状況にあるいろんな人々がいることを発信し続けてきました。その形態はラジオからネットへと変遷しましたが「誰もが自分のままで幸せに生きる」そんな社会を目指すという基本は変わりません。社会は確かに前進しよくなってきました。しかしながら、暗澹とするニュース、信頼に足る政権とは言い難いという思いがあるのも事実です。たとえ何が起きても、一人ではない、取り残されはしない、排除されたりはしないという温かな社会になっているとは言いにくい?でも震災の時確かにあった「人が他人のことを気に掛ける」そんな声を届け続けるため、FMYYのスタジオはいつでもあなたのおいでをお待ちしています。キムチアキ

<野田北キッズ>
「コロナに勝つには」自然を味方にするがよい。今年は「コロナ」のことばに生活のリズムをふり回されている状態が続いています。最近は、新型コロナウイルスの新型異株「オミクロン株」による感染拡大を止める為のワクチン接種を米国では義務受けると伝えられています。私たちはいつになったら、落ち着いた日常生活を送ることができるのでしょうか。コロナで不登校、ひきこもりの子供が急増しています。2020年度の小中学生の不登校児童生徒数は19万6127人、高校でも不登校数43051人、自主休校9382人となっています。中学では、24人に1人の割合です。近々では、地震や天候異変が発生、日々の生活のサイクルが思うように回っていない実情があります。この状態を見るに、将来の日本の国の展望を深刻に考えなければと思う。ところで、本誌の題名が、「たきび」とあり、毎年それぞれの団体の皆さんからの主張を楽しみにしています。「たきび」とあれば、童謡を思い出し、口ずさみながら登校前を楽しみました。家の前の稲を刈り取った田んぼの真ん中に、稲藁、枯葉、枯れ木、枝豆のさやをおじいさんが燃やしでくれ、束の間の暖を楽しみに近所のガキ大将とたわいのない話をするのが、日課となっていました。たまには、焼けたサツマイモを取り出して振る舞ってくれるのを楽しみにしていたのを思い出します。暖をとりながら、家での話、学校での話、放課後の話等今思い出しても楽しいです。翻って、現在の子供たちの家や広場での生活を見ていると、マスクをつけた子供たちが人数グループになって精々鬼ごっこやゲームかを見るにとどまります。また、自転車に乗ってグループで横道を走りまわっているか手打ち野球などをしているかです。高学年では四阿の下で、ほたえているか、宿題を出して友達と考え合いをしたり、家の中で遊んだりしているのを見かけます。兎に角。戦後の様に群れて遊ぶことを忘れた子供集団が多いことです。遊びをつくり出し、面白さ楽しさ、考えて生み出す。面白くして遊びを楽しむことがあまりないようです。学習することは机の前に座ってすることばかりでなく、自然界に飛び込んで課題を見つけて挑戦することでしょう。野田北部自治会の青少年部では、「キッズクラブ」としてこれまで色々と活動しています。11月13日(土)に「望遠鏡を作って、秋の夜空を見ませんか。」の会を夕方6時から3時間ほどかけて、様子に高校生のOB会、地元の中学生・会社員に応援を求めて開催しました。参加者の感想。「作るのもとても楽しかったし、自分の作った望遠鏡で見てとてもきれかった。夜空はお月様がなくてさみしかったけど、町のかんばんや街灯の光もきれかったです。」と。参加された親御さんは、「3D宇宙旅行を初めて見て感動しました。すごくわかりやすかったです。工作も丁寧に教えていただきうまく作れました。予想以上に楽しかった。また開いてください。」と。参加された親御さんが機して、少し程度が高くても、丁寧にアドバイスすれば、友達やお家の方と楽しく理解きる証となっていることが解ります。この事に気が付かれたてこの催しが来てよかったと思われているのです。「人間的な成長の機会と造る」ことが子供の成長の土台になる。黒田浩平様(希学園学園長)が、書かれていたのを新聞で見て、同じことだと思い大変嬉しかったです。野田北部自治連合会 イワタマサユキ

<ひょうごんテック>
久々のテックカフェを実施しました。2011年の3月と4月に「LibreOfficeオンライン講座です。新たにYouTubeチャンネルを作成し、その内容を公開しています。定例となったオンライン・公開世話人会も、会議はもちろんグチやマニアックな話題もでてきて、世話人以外の方の参加もときどきあります。事務局のオガタさんからたかとりの様子も聞いたりします。9月には世話人会に「最近のパソコン事情ってどう?」というサブタイトルをつけたりしました。興味ある方は tech@tcc117.jpにどうぞ連絡を。ここ数年でNPOのIT事情も変化していきます。クラウドベースのデータベースや会計システムを導入している団体もあります。一方手元のパソコンを中心に作業を行っている団体もあります。たかとり内外でさまざまなパターンがあります。NPOの基本業務も改めてクラウド化が進んでいます。しばらく前にWeb上にある古くからのデータベースが、技術的メンテナンスがなされないままサイトが消滅し復活の必要があるという問い合わせがありました。「最近インターネットが使われ始めた」と言っていたのは昔のこと、古い情報を残すためのシステム作りも重要になっています。そして、多くの人がデータを共有して作業していくときの、団体内・団体間のセキュリティ運用の取り決め作成・確認という話題も出はじめています。することは尽きません。また一年よろしくお願いいたします。ヨシノタロウ

 

2022年1月 1日 (土)

2022年 TCC新年挨拶

https://youtu.be/P6eUHbJ494M

みなさん、新年あけましておめでとうございます。たかとりコミュニティセンターの神田裕です。神戸市長田区海運町にあるFMYYからインターネット放送を通して新年の挨拶をお届けしています。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。その時、全国から救援に駆けつけて下さった仲間たちと共に、私たちの活動はスタートしました。そして、もうすぐ震災から丸27年を迎えます。

新型コロナウイルスが世界に猛威を振るい始めて早2年が経ちました。ウイルスは、収まったかと思えば、また姿かたちを変えて猛威を振るい、まるで終わりがないかのように、私たちはウイルスに翻弄され続けています。

地球規模で起こっているこの巨大な災害時に、きっと世界は、地域の壁を越えて協力し合い、この災害に立ち向かって、新たなつながりを見つけて行くのだろうと希望を持つのですが、現実はなかなか難しいようです。また、私たち自身も地球上のウイルスとなってしまい、生命の母体であるこの地球の環境をもむしばみ続けています。

日々想定外に起こる日常の「出来事」に、私たち自身が振り回されないようにしたいものです。どれだけ準備をしていても、自分の思うように「出来事」は起こってはくれません。すべての「出来事」を心にとめ、その中に意味を見出し、明日へとつなげていくことは、私たちの生きていることの証となるはずです。

私たちの日常の生活は、見えるものには敏感に反応し、身を守る術も学んできました。自然災害が起こった時の経験によって、人の命を守る工夫も習得し始めてきました。しかし、見えないものへの対応は中々難しいようです。見えないものへの想像力が必要です。ウイルスのことでもありますし、一人ひとりのことでもありましょう。

まだまだ不安でいっぱいですが、こんな時にこそ、自分のことだけではなくて、隣の人のことを思いやれますように。そして、人と人とが分断されてしまわないように、お互いが傷つけ合うことがないようにしたいものです。

今年6月には阪神淡路大震災から10000日を迎えます。色々な出来事を一歩一歩踏みしめながら、積み重ねて、10000歩を歩いてきました。去年一年は、地元地域で、震災復興のまちづくりに多大な貢献をして下さった方々が次々に亡くなられました。寂しい限りです。10000日をもって、震災まちづくりの節目が来たのかと思わされます。でも、別れは新たな始まりです。震災から始まった、まちづくりひとづくりは終わりません。震災10000日を迎える6月からは、震災まちづくりのニューノーマルが新たに始まることでしょう。

27年前の阪神淡路大震災から活動が始まった たかとり救援基地には、今も10の団体が元気に活動を続けています。アジア女性自立プロジェクト、ベトナム夢KOBE、多言語センターFACIL、ひょうごんテック、ひょうごラテンコミュニティ、リーフグリーン、ワールド・キッズ・コミュニティ、AMARCJapan、野田北ふるさとネット、そしてFMYYです。

震災の時、私たちはお互いを励まし合うため声をかけ合いました。声をかけ合うことによってお互いを知ることができました。お互いを知ることによって、まちづくりが始まりました。たかとりコミュニティセンターはこれからもそのことを忘れません。一人一人が大切にされ、誰一人忘れ去られることのない まちづくりひとづくりを目指して、今年もあなたの元へと飛んで行きます。

https://youtu.be/P6eUHbJ494M

2022/01/01
たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

2021年12月 1日 (水)

しおやの風

塩屋の山間にある神戸少年の町の一番てっぺんに、祈りの場である聖堂があります。朝早くからこの聖堂に子どもたちもスタッフも一同に集まり、祈ることから一日が始まりました。しかし時は流れて、聖堂は古くなり、物置と化して、共に祈ることもなくなってしまいました。地震では持ち堪えたものの3年前の台風では壊滅状態となり、とうとう解体せざるを得なくなりました。

聖堂の跡地に立って周りを眺めると、六甲山系の西端が見え、海を越えては淡路島が見え、目を閉じれば、しおやの風が吹いています。時に心地よく時に厳しく、この風は75年間、祈りと共に子どもたちの上に吹き、頑張れよと励まし続けてきてくれました。

祈りはとても大切です。形式的なもののことを言うのではなく、子どもたちの成長を心から願うスタッフたちの毎日の働きは祈りそのものです。子どもたちを通して、家族を知り、社会を知り、そして与えられたいのちの大切さを、祈りを通して深く知って行きます。

ここはこれからも、しおやの風に励まされながら、心からの祈りの場所であり続けて行くことでしょう。父と子と聖霊とともに。


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2021年11月 1日 (月)

なんで神父なんかに。。。

なんで神父なんかになろうと思ったのか? と友人たちからこれまでも度々質問されてきた。よほど違和感があるのだろう。敢えて聞かれてしまうと返答に困ってしまう。

教会は老若男女多国籍、ゆりかごから墓場まで。こんなところは他に中々類を見ない。昨日は赤ちゃんの祝福式、今日は結婚式、明日はお葬式と、毎日が人生の縮図なのだ。そう見れば教会は人間味が豊かで面白い。

ただ現実は中々面白いと言ってはおられない。男は女を理解できないし女は男を理解できない。老人は若者を理解しないし若者は老人を理解しない。いわゆる健常者は障がいを持つ者を理解しないし障がいを持つ者は健常者の言う普通というものが理解できない。外国人がマイノリティであるうちは世話をするがマジョリティになってくると目障りになる。長年にわたり教会に関わるものと年月が浅いものの間には溝がある。過去は大事だが未来を見据えない。弁が立つ人は寡黙な人を抑え込む。理屈が先に立つ人は人を傷つけやすく自分を表現するのが苦手な人は傷つきやすい。深入りすると面倒なので浅く関わろうとするが、思い直して何か奉仕をと一生懸命にし始めた途端に、何もしない人に腹が立ってくる。おまけに、善意は仇になって返ってくる。

教会というところは実に厄介なところなのだ。関わらない方がよっぽど心の健康を保てるようにも思える。しかしよくよく考えてみると、教会は何も特別ではなく世間そのものなのだ。ただ世間と違うところは、同じ信仰を持つ者たちが、家族のように否が応にも関わらざるを得ないことだ。関わらざるを得ないから学ぶことができる。教会は社会の縮図なのだ。教会を通して実際に生活をしている社会を理解し、何を大切にして生きるのかの準備をしているのだ。

なんで神父なんかに? それは聖なる生き方をしたいから?! 聖なる生き方とは俗から離れることとは思わない。聖なる神が誰一人見捨てることなく一人ひとりを大切に関わる姿に倣って自らの生き方とする。教会は選ばれし者だけが集う会員制クラブではなく大衆酒場だ。わっさわっさと関わりながら、み言葉を頼りに希望の光を探したい。

2021年10月 1日 (金)

ゴリラネーム

緊急事態宣言が9月末で解除され、10月から若干の日常生活が戻ってきた。日曜日の公開ミサも始まる。とは言え、まだまだコロナ禍の真っ只中で、非日常の最中だ。

26年と半年ほど前にも、私たちは非日常を経験した。震災で全壊した神戸市長田区にあるたかとり教会には、次の日からすぐに救援物資を携えて全国から多くの人々が駆けつけてくれた。水やおにぎり、そして防寒具などなど。焼け跡のなかで焚火を囲み寒さを凌いだ。そして教会は震災救援の拠点となっていった。

人が集まればリーダーが必要になる。その要の役を担ってくれたのはAAの仲間たちだった。つまり、アルコール依存症の人たちだったのだ。AAとはAlcoholic Anonymousの略で、無名のアルコール依存症の仲間たち、と言えばいいのか。普段から毎日どこかに集まって、一人ひとりが語り、今日一日飲まなかったことを確かめ合う。Anonymousなので、お互いを呼び合うのはニックネームだ。社会の中でつけられた名前や肩書では決して呼び合わない。

そんな仲間たちがボランティアをまとめてくれたので、当然の如くに、たかとりのボランティア全員にニックネームがつけられ本名で呼び合うことはなかった。たかとりのボランティアはAnonymous、つまり無名のボランティアたちだったのだ。肩書きや名前はあえて語らず無名だったのだ。たかとりのボランティアたちはゴリラと言われた。なのでニックネームもゴリラネームと言われた。

社会の中で名前や肩書きではほんとうの自分が見えにくく、息苦しくて生きにくい。無名でボランティアをすることは、自分自身を取り戻し、生きることの回復でもあったのだ。無名な非日常は、人生の中で大切な時なのだ。

(シリーズ名前 その3)

2021年9月 1日 (水)

心にもワクチンを

緊急事態宣言が発せられました。そして、教会も日曜日の公開ミサが中止となりました。何度目となるのだろう。宣言が出されてからもコロナの感染者は増加の一途をたどっています。皆さんはもうワクチンの接種を受けられましたか。接種するかしないかはそれぞれ皆さんの考えもあるのでどちらでもいいかと思いますが、接種すれば自らが重症化する確率は減ると言われています。ただ、そうは言っても、感染しないわけでもなく、人に移さないわけでもないようです。まだまだ、マスクや手洗いを怠らないようにし、密を避けることは続けなければなりません。ただ、健康のためには、蜜は摂取しておいた方がいいかな。(^^;

ワクチンがコロナ対策で重要なことは確かですが、変わりゆく情勢について行くことができなくなり、心までコロナに感染してしまっては大変です。心にもワクチンを打っておく必要があるようです。人はひとりでは生きて行けないので、お互いが直接に触れ合い、支え合い、エールを交わし合うことはとても大切なワクチンです。でもそのことさえも阻害され、気軽に声をかけ合い誘い合うことすらできないでいます。やはり今は、心にワクチンは打てないのでしょうか。

コロナという世界的な大災害の中に私たちは生きています。地球規模で助け合って生きて行かねばならない時であるにも関わらず、世界の、そして特に今、アジアの各地では人災という大災害の中で、多くの人々がさらに絶望の闇に吸い込まれそうになっています。遠くの出来事であっても足元の出来事のようで心が痛みます。祈らずにはおられない。そして、何もできないでいる自分にも祈りたい。祈ることさえできなくなる、そんな無力感や虚無感に押しつぶされることのないように、祈ることでお互い支え合って生きたいです。

よりよき未来を信じて、希望を失わず、愛するという行いが、生まれてくることを願って、祈りたい。祈りは優しくて力強い。できないことをできることに変えて行く力を持っている。
祈りというワクチンを接種しておこう!!

2021年8月 1日 (日)

アンネの薔薇

先月半ば、日曜日のミサ後、教会玄関の花壇の手入れを数人の方がしてくださった。Tさんはうっかり薔薇の木のトゲに手を出してしまい、血だらけに。おまけに口元に手を持っていってマスクも血だらけに。敷地内には古井戸もありまるでキモダメシのように。

聞くところによると、Tさんが怪我をしてしまった薔薇は、数年前にK教会のYさんが寄贈くださった薔薇だということ。アンネ・フランクの父、オットー・フランクさんから日本へ2回目に贈られた薔薇を接ぎ木したものだとか。

折しも、波乱ずくめの東京五輪が始まろうとしていた矢先、過去にホロコーストを笑いのネタにしていた五輪関係者がいたことが明るみに。出来事への痛みを共感できないということか。強きものが弱きものを平気で蹂躙できる世の中は昔も今も変わっていない。

雑草の中に埋もれていたアンネの薔薇。Tさんの痛い思いで再認識されたこの薔薇は、また黄色の花を咲かせてくれるだろう。人を殺戮することまで正義と化してしまう戦争の恐ろしさと犠牲になった人々の痛みを、この薔薇と一緒に共有し、同じことが繰り返されないよう、自分自身へも伝えていくことができますように。


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2021年7月 1日 (木)

となりびとの名前

あれから26年と半年。大震災で全壊した神戸市長田区にあるたかとり教会。教会内で一緒に被災したのは、私を含めて、助任神父、まかない家族、居候の八人。それぞれが命からがら這い出し、真っ暗な中、崩壊した聖堂わきに集まり、お互いの無事を確認したのがすべての始まりだった。

空が明るくなると、門の外には、寒さを凌ぐため布団を体中に巻き付け、どこへともなくウロウロする人たち。門を開け、その人たちをまず教会敷地に招き入れた。崩れかけの建物の中から畳を引きはがし、庭に敷き、休んでもらった。頭から血を流している赤ちゃんもいた。よく見るとみんな素足だった。余震の恐怖の中、崩壊はしなかった司祭館の部屋に、意を決して戻り、せめてもと、ありったけの靴下をもって出た。しばらくすると畳を敷いた庭が地割れしだしたので、ここは危険と判断し駅前に移動するように呼び掛けた。その後、町の火災が段々と教会まで迫ってきて、とうとう教会もほぼ全焼となった。私は、もう一度意を決して司祭館に戻り、教会の大切な台帳などの書類をリュックに詰めて持ち出した。あとは、燃え崩れる教会をただ茫然と見届けるだけだった。

教会の敷地の外ではそうではなかった。地域の人たちは、燃え広がる火災を背に、まだ建物の下敷きになっている人たちの救出に奔走していた。「おーい、○○さんはいるか?!△△さんはどこだ?!」と名前を呼び、本人確認をしながら近所の人たちを救出していた。町の病院の寝たままの患者さんを一人一人担ぎ出してもいた。

私は、震災当日は救出活動をしなかった。というか、できなかった。近所にどんな名前の人たちが住んでいるのかさえ知らなかった。もちろん名前を知らなくても救出できたはずだ。ところが、普段から名前を知らなければ、いざという時に、顔さえも出てこず、住んでられることさえも認識せず、結局は人の命に何もしなかった自分を目の当たりにした。

震災当日、私が意を決したのは、靴下と教会台帳を取りに行ったことだった。日曜日に祭壇から人々に向かって、「隣人を愛しなさい」と聖書の言葉を語っていた自分が、一番隣人を愛していなかったことに、愕然と気が付いたのが、あの大震災だった。

(シリーズ名前 その2)

2021年6月 1日 (火)

吾輩はあめちゃんである

吾輩はあめちゃんである
どこかで聞いたことのあるフレーズ。私の名前はあめちゃんです。小学校1年生の時から高校を卒業するまで、私の名前はあめちゃんだったのです。学校に行くと色々と名前で茶化されたりするのですが、最初に言われたのが「カンロ飴」だったのです。カンダに引っかけてのカンロだったのでしょう。それが短縮されてあめちゃん。それ以来、実に12年間の学校生活の中で私の名前はあめちゃんでした。国語や算数の時間に先生に当てられるときも「はい、あめちゃん」。クラブ活動の先輩からも「こら!あめ!」。そんな12年間でしたので、卒業してから神田くんと呼ばれてもしばらくは誰のことかと気が付きませんでした。あめちゃんと呼ばれると友だち仲間との原点がよみがえります。

吾輩はひろっちんである
生まれてこのかた出身教会内では、私の名前はひろっちんです。ひろしだからひろっちんで他に理由はないですが、親戚一同含めてひろっちんかひろっちゃんです。今でも教会仲間ではやっぱりひろっちんです。ひろっちんと呼ばれると教会との関わりの原点がよみがえります。

吾輩はかんちゃんである
神学生時代はかんちゃんでした。神学院祭で仲良しのT神学生と出店した駄菓子屋の名前は「たっちん&かんちゃん」。院内卓球ダブルスで優勝したのもたっちん&かんちゃん。そして、神父になったころは神父と言われてもピンとこずでしたが、教会ではそのままかんちゃんと呼ばれるようになって、私はそれでちょうどよかったのです。かんちゃんと呼ばれると司祭生活の原点がよみがえります。(因みに、神戸で震災をともにたたかってきた地元地域の繋がりもかんちゃんです)

しかし、教会ではちゃんと神父さんと呼びなさい、との声が多くて、段々と「しんぷさん」になってきました。今ではやっと私も慣れてきたのか「しんぷさん」はニックネームのように思えてきました。実際に「神父」とはニックネームみたいなものですけどね。

これまでの人生、三つの呼ばれ名があるけれど、中身は一つで同じmyself。生まれたときに与えられた正式な名前はあるけれど、生きて関わる社会によって愛称として色付けされていくのですね。いまだに、神田さんと言われると、それ誰のことって思ってしまいます、、
as you like…

(シリーズ名前 その1)

2021年5月 1日 (土)

魔法の言葉!

「アブラカダブラ」「ビビディバビディブ」「チチンプイプイ」「マハリクマハリタ」「テクマクマヤコン」「エロイムエッサイム」「ブフウ」「インヴィノヴェリタス」「シビレバアチャンハラベロン」「クワバラクワバラ」「ギャテイギャテイハラギャテイ」「アメン」などなど
魔法の言葉はたくさんある。

私が大切にしていた魔法の言葉はこれ!「Supercalifragilisticexpialidocious
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」。生徒手帳に書いて忘れないようにしていた。傘を差して空から舞い降りてくるメリー・ポピンズの映画の中での魔法の言葉だ。行き詰ったときに魔法の言葉を口ずさむ。なんだか目が回りそうな魔法の言葉だけど口も頭も回るようになる。この魔法の言葉で元気が出てくるのだった。

怪我をして泣いていると聞こえてきた魔法の言葉は「痛いの痛いの飛んでいけぇ」。不思議と痛いのが飛んで行ってしまうのだ。ただ薬がわりにと付けられた魔法の唾はいらないけれど。

生きて行くのは何と疲れることかと思い悩むとき聞こえてくる魔法の言葉は「ありがとう」。自然と笑顔になってしまう。ただ遠くにいる人には言えるけれど一番身近にいる人には中々言えない魔法の言葉だ。「ありがとう」の反対が「あたりまえ」と言われる所以もそこにあるのだろう。「言わなくても分かるだろう」なんて、気持ちを察するつもりでいても大概は言わないと何も伝わらないし分からないものだ。言葉だけではなく体全体を使ってでも気持ちを伝える努力はいつも必要だ。今はコロナでハグはできないけれど。

いざという時にイエスを裏切り逃げた弟子たちが、社会におびえ自らの嫌悪感に苛まれ後悔に打ち拉がれて部屋に閉じ籠っていたときに聞こえてきた魔法の言葉は「あなたがたに平和があるように」。思いやりとやさしさに満ちたこの魔法の言葉によって弟子たちの閉ざされた心は開かれ、体を張って隣人を愛する生き方に方向転換し始めたのだった。

魔法の言葉。言葉は魔法。呪いの言葉や罵る言葉は自らをも死に向かわせる。平和を呼び込みいのちを育む魔法の言葉を大切にして生きたい!

2021年4月 1日 (木)

風船に乗ってどこへでも行ける🎈

父親は、私が物心ついた時にはすでに、毎朝、自転車に乗って教会へミサに行き、自転車で家に戻ってから朝ご飯を食べ、電車で仕事に通っていた。雨の日も風の日も、それこそ台風の日でも朝のミサに自転車で出かけ、それから仕事に行っていた。定年退職後も、毎朝自転車でミサに出かけた。それだけではなく、遠くまで自転車で買い物にほぼ毎日出かけた。時々、梅田や難波で父親の後ろ姿を見て目を疑ったこともある。だんだんと行動範囲を広げるのはいいのだが、信号を平気で無視して危険極まりない。

神父さんにもう来ないでと言われた時も、それでも隣の教会に自転車で朝ミサに行っていた。晩年は、雨の中で立ちつくすやら、帰る道を見失うようになった。とうとうペダルまで足が上がらなくなり、自ら自転車を諦めざるを得なくなった。

もう出かけないと思ったのも束の間、今度は足だけを使って出かける。歩行補助器や車椅子なんかも引きずりながら出かける。止まらない。温泉にもヨタヨタと出かけて行った。ある日、温泉に浸かりながら駄菓子をたくさん持ち込んで食べていて怒られた。それでもめげずにまた別の温泉に行っていた。

毎朝ミサに行くのもいいのだが、教会事務所が長年の自室のようになり誰も触ることができない。ある時、教会の人たちと協力して私物をすべて出して事務所から追い出した。さすがに憤慨したが、またケロッとして朝ミサには行っていた。その頃には夜中にも出かけて行ってしまい何度お巡りさんのお世話になったことか。妹はその都度引き取りに行っていた。

そして遂に動くことができなくなった。ほぼ寝たきりの状態になって、さぞかし残念がっているだろうと「もうどこにも行けなくなったな」と言えば、「僕は風船に乗ってどこへでも行ける!楽しいね」とニコニコと返事が返ってくる。夢でも見ていたのか、頭がおかしくなったとは決して思わなかった。人生の終盤はやんちゃに周りを振り回したが、愚痴は一切言わず、寝たきりになっても前へ前への「旅」を続けた父親に、初めて尊敬の気持ちを持った。それから暫くして、私が三田に行くことに決まったとき、父親は本当に風船に乗って出かけて行ってしまった。

ご復活おめでとうございます!

コロナ禍にあって今年は何とか聖週間の典礼を行うことができました。思い返せば昨年は四旬節から復活節にかけて約三か月間も教会に集まることさえもできず寂しい体験をすることとなってしまいました。まだまだ予断を許してはいけませんが、困難の中にも「旅」をし続けていることを忘れずに行きましょう。

2021年3月 1日 (月)

そのままでいい Part.4

「あなたはICBR症候群ね」と友人に言われたことがある。

「え、なに?心の病なの?」

 近頃はやたらに何でも病名がつけられてしまう。病になってしまうほどに生きづらい社会になってしまっていることの裏返しなのだろう。気になるのでICBR症候群を調べてみた。だが見つからない。特定の病名ではないからなのか。そのまま心の病を調べてみた。依存症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、睡眠障害、摂食障害、双極性障害、適応障害、統合失調症、認知症、パーソナリティ障害、発達障害、パニック障害、不安障害、PTSDなどなど、病名の中にもさらに細分化された病名があり、実にたくさんの心の病がある。

調べているうちに何だかどれも自分に当てはまるところ満載じゃないかと思ってしまう。ずっとではないにしても折に触れそういう症状の時がある。病との違いはなんだろう。メンタル面で若干過敏な自分にこれまでも気がついてはいたのだが。

「ところで、ICBR症候群とは?」 「それはね、IChiBiRi症候群の略よ!」 「?」

「つまりあなたはイチビリ症候群なのよ!」 「なんだ、そういうことかぁ」。

確かに、幼い時からいつも言われていた言葉だ。通信簿にも書かれたことがある。自他ともに納得する言葉だ! それにしても「イチビリ」も症候群になってしまったか。

最近またある人に、「あなたはHSPかも」と言われた。「とても敏感な人」という意味だが、病気というより持って生まれた気質を表す概念だ。確かにそういう面もあるが「とても」でもないなと思っていたら、「じゃHSSHSPね」と言われた。HSSとは好奇心旺盛で外交的なこと。HSSHSPが共存しているというわけだ。なるほど、そうかもしれない! HSSがイチビリだとすると、HSSHSPという概念のお陰で、新たに自分を発見した気分だ!

持って生まれた「そのまま」を大切にしたい。ただ、そのままの自分を知らなければ大切にもできない。ほんとうの自分を知ることから始めなければ。そうすれば、きっともう、それは「病」ではなくなるのかもしれない。

2021年2月 1日 (月)

そのままでいい Part.3

“あおくんと きいろちゃんは うれしくて
もう うれしくて うれしくて
とうとう みどりに なりました“

有名なレオ・レオーニの絵本「あおくん と きいろちゃん」の中の一節です。仲のいい二人は遊んでいる内にみどりになってしまいました。でも、親たちはこの子たちが誰だか分かりません。悲しくて涙になってしまった二人は元のあおくんときいろちゃんに戻ってしまいました。こどもたちを見つけた親たちはうれしくて今度はしっかりと抱きあげました。ところが、あおくんの親たちがきいろちゃんを抱きあげるとみどりになってしまいました。きいろちゃんの親たちもあおくんを抱きあげるとみどりになってしまいました。親たちもやっとわけが分かりました。

あおくんときいろちゃんは実はそのままで変わっていなかったのですよね。涙になってひとりになるとやっぱりそのままの色でした。でも親たちからは仲よくしている二人はみどりに見えたのでした。

あおはあお、きいろはきいろ。変えろと言われても変えられない。変えようと思っても変えられない。だから、自ら他の色になろうとは思わず、そのままでいい。そのままの色でいるからこそみどりに見えたのです。一緒にいることがうれしいと、きれいなみどりに見えているのですね。このみどりは、希望の色!

神さまから特別に与えられたそれぞれの色が一緒に暮らす、あなたの家族は、あなたの地域社会は、あなたの学校は、あなたの会社は、あなたの教会は、、、神さまからはどんな希望の色に見えているのかな。(^^)v

2021年1月17日 (日)

たきび127号

<かんちゃん日記>
今から30年前、たかとり教会に赴任したとき、前任者であるA神父に教わったことがある。それは「我慢」と「忍耐」は違うのだと言うこと。

先の見えない今のこの時をじっと我慢してやり過ごすにも限界がある。ただ我慢ではなく忍耐する。逆境にあってもものごとをプラスに捉えることが忍耐ということになる。コロナ禍にあって、自らの気づきに目覚め、自身を超えた幸せを願い考え行うことができるなら忍耐となり、自らの未来をも呼び込むことができるのだろう。

コロナ災害だけではなく、今までに経験したことのない猛暑や、巨大な台風、豪雨や洪水など、私たちが生活しているこの自然環境も激変してきている。地球温暖化という言葉もこれまでよく耳にしてきた。

いま体温が37.5度以上になるとコロナの疑いが出てくる。どうも私たちの住むこの地球も体温?が37.5度を超えたようだ。つまりこの地球も「コロナ」に感染している!? 原因は、私たち人類。つまり、地球にとっての「コロナ」は、実は私たちなのだ。

「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気がつかないのか。」という聖書の一節がある。私たちを攻撃してくるコロナ(おが屑)には敏感な私たちだが、この地球を攻撃している「コロナ(丸太)」にはまだまだ鈍感なようだ。

ステイホームが続く今、「忍耐」を以てして、自らも「コロナ」であることをしっかりと認識し、アフターコロナを見据えていきたいものだ。

震災から26年を迎える。

2021年1月 1日 (金)

そのままでいい..part 2

Merry Christmas 2020 & A Happy New Year 2021

O God,
give us serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

神よ
変えられないものを受け容れる 心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける 英知をお与えください
<ニーバーの祈り>(依存症の人たちへのメッセージ)

<神田訳>
なんともならんもんは そのままでええ
なんとかなるもんは なんとかせな
なんともならんもんと なんとかなるもんを
ごちゃまぜにせんと ちゃんと分けとかなあかんな

コロナ禍に見舞われた1年でした
コロナを退治するのはなんともならんもんですけど
コロナと共存することはなんとかなるもんです
なんとかなるもんたくさんある
新しい年は今まで以上に
なんともならんもんには執着せず
なんとかなるもんに気持ちと力を注ぎましょう
コロナのことだけじゃなくてね

2020年12月 1日 (火)

そのままでいい

神父になりたての頃、あるミッション女子高から声がかかり夏のキャンプに同行しテーマとプログラムも考えてくれと頼まれました。日常から離れてのキャンプで普段に体験できないことなどを念頭に、テーマは「そのままでいい」としました。ありのままの自分を発見してほしかったからです。ところが、教頭先生からクレームが飛んできました。「そのままでいいとはなんだ。そのままでいいなんて教育じゃない。」と言われ、「考えてくれと言ったのはそちらなので気に入らなければ私はやめます」と私も引かず、結局はそのテーマで行うことになりました。学校って結局そういうところなんだとその時あらためて認識しました。

震災後、たくさんの学校でも震災の話しをしに行きました。最初に行ったのは地元の中学校でした。ボランティアの話しをしてほしいとのことでした。私は、ある牧師先生の言葉がとても気に入っててその時にも学生たちに話しました。それは、「言われてもしない言われなくてもする」という言葉です。誰かに言われて手伝うことではなく自らの問題意識と信念で持って行動することがボランティアだと言うことです。ところが、講演会が終わってまだ私が壇上にいる時に、司会の先生が「今の話しは講演者の個人の考えですから、みんなはちゃんと言われたことをするように」と、、、ガッカリでした。学校って結局そういうところなんだと再び認識しました。

学校では個性は尊重されないんだとあらためて認識したのです。今どきはどうなんでしょう?ちなみに最近のボランティアは言われたことをするに変わってしまったようですが。

以前LGBTqの人たちの話しをしました。人は生まれながらに個性を持っていて多様です。ところが成長するにしたがって教育と言うか社会の規範と言うか理想の姿に形づくられて行くようです。勉強やスポーツや仕事などは理想とする目標があってそれに向かっていくことは成長に結びつきます。でも人の本質は変えられない。そのままの自分を大切にして行くしかなく、それを隠してしまうと人生に歪みが出てきてしまう。社会は多様であるがゆえに成長して行くと思うのです。

信仰を持って生きるとは、理想とする美しい姿を目指して生きることではなく、与えられた自分のそのままを逞しく生きることです。それでこそ、初めて隣人を愛することができるのです。

2020年11月 1日 (日)

11月に祈る

1日の諸聖人の日から11月が始まります。すべての聖人をたたえます。どうぞ今に生きる私たちを守り導いてくださいますようにと祈ります。そして2日の死者の日にすべてのキリスト者のために祈ります。今はこの世を去った人たちが神のみもとで安らかでありますようにと祈ります。こうやって私たちは過去に生きた人たちとの交信をします。もちろん今に生きる人たちのためにも祈ります。キリストにおいて結ばれているものは時間も空間も越えて一つの家族です。信仰宣言の中の聖徒の交わりのことです。この地球上のどこにいても、未来には地球以外の惑星に暮らす人も、そして亡くなって地上の生を終えた人も、すべて一つの家族。そう考えると大家族ですよね。一体全体何人家族になるのでしょうか。そう考えると私のいのちはちっぽけだけど、過去も現在も未来も祈りでつながれば大家族で、その中のいのちと考えると、ドデカイいのちになりますね。永遠という、時間も空間も越えたいのちの中で、祈ることは生きること生きていることそのものですね。

ところで、祈りと言えば、キリストが教えて下さった主の祈りがあります。英語では祈りの始まりはこうです。

Our Father who art in heaven,(天におられるわたしたちの父よ、)

hallowed be thy name.(み名が聖とされますように。)

このhallowedは聖とされるになりますので、諸聖人の日は英語でAll Hallows’(Saint’) Dayとなります。典礼ではその前晩(evening)からこの日が始まるので、例えばクリスマスの()晩はクリスマスイブ(Christmas Evening)となりますが、諸聖人の日の()晩はAll Hallows’ Eveningで、それを短縮してHalloweenとなります。そう、ハロウィンですね。

ハロウィンは、教会では祝いませんが、そのルーツは古代ケルトの人たちと言われています。彼らは11月から新年だったのでつまりは大晦日になります。年が変わると命の更新となり、この日は死者にまつわる祭りがあります。カトリックの典礼と歴史のどこかで交差しているのでしょうね。

ちなみに、マルティン・ルターはこの諸聖人の日の前日に、宗教改革のスタートを切りました。ですので1031日は宗教改革記念日なのです。つまりプロテスタント教会の誕生日なのです。教会の歴史の中で教派としては分かれてしまいましたが、同じキリスト者として、同じドデカイ家族として、これからも祈りでつながって行きたいですね。

2020年10月 1日 (木)

人生は点描画

今日(10/1)は旧暦815日。中秋の名月です。暑かった夏も過ぎやっと秋らしくなってきました。車に乗っていると豊かに実った稲穂と道端のコスモスやヒガンバナが目に飛び込んできます。色とりどりになってきました。そして、尾花、葛花、瞿麦、姫部志、藤袴、桔梗、萩。。そう、秋の七草。

環境の悪化で自然界が変化しつつありますが、それでもまだまだ私たちは一年を通して春夏秋冬も体験でき色とりどりの環境の中で豊かに生きることができて幸いだと思います。

ところが折角の色とりどりも単色にしか見えない時があります。仕事に追われているときや悩んで落ち込んでいるときです。結構よくあります。不思議なものです。咲いている花の色は変わらないのに色が見えないのです。

そんな時に友人に言われました。「そら楽しいことばかりじゃないので悩んで落ち込むときもあるわな。でも点で悩むのはいいけど、線で悩んだらあかんよ」と。

喜怒哀楽という言葉がありますが、‘喜怒哀楽が激しい’とか‘喜怒哀楽がない’とかあまり良い意味で使われない言葉ですが、人の感情も色とりどりでどれも大事なことだと思うのです。人の感情も単色になると残念なことだと思うのです。

能面という言葉もあります。‘能面のような顔’という使われ方をします。何を考えているか分からないと言った時の表現です。でもよく見ると能面は見る角度などによって表情が違うのです。演者の体の動きや顔の角度で内面をとても豊かに表現します。

嬉しいときは心おどらせ、怒りたいときはちょっとプンプン、哀しいときは涙して、楽しいときはみんなで分かち合って。人を傷つける必要はなく、その時々の心の変化を素直に正直に大切に人生の糧として行きたいものです。

人生は色とりどりの点描画。人生の先輩のみなさんに倣って、私も、酸いも甘いも噛み分け、齢を重ねるごとに人生の深みを知って行きたいものです。

2020年9月 1日 (火)

がんばるな、、?!

「がんばれ‼タブチくん‼」という四コマ漫画が面白かった。阪神タイガースの実在の選手が主人公でした。実際にも阪神時代にスターとして頑張ったのですが優勝はできず気がつけば西武にトレードとなりました。悔しかっただろうけど頑張ったので移籍先では優勝を経験することができました。

「がんばろうKOBE」は阪神淡路大震災時のオリックス・ブルーウェーブの復興スローガンでこの年リーグ優勝を果たし被災地神戸を励ましてくれました。イチローは来なかったですが仰木監督はたかとり救援基地にも来てくれたのですよ。また東日本大震災の時は12球団がそろって「がんばろう‼日本」をかけ声に復興支援が行われました。いずれにしても直接的な人と人との関りや絆がその元気づけでした。

「がんばるな、ニッポン。」このハッとするキャッチコピーはある企業の今年のCMです。これまで労働歌などでも「がんばろう」でしたが「がんばるな」の耳慣れない言葉が聞こえてきました。コロナの影響なのでしょうか。価値観が変わってしまう時代を私たちは経験しているようです。

「一生懸命」は命がけで頑張るということ。そのルーツの「一所懸命」は自分の領地を守ること。また会社人間の仕事ぶりを「一社懸命」ともいうらしいです。私にはなんだかローカルなイメージです。因みに「一所不住」はお坊さんが一所に留まらずに諸国を行脚することです。

「グローカル」という言葉があります。ローカルLocalとグローバルGlobalの合成語です。生きるとはローカルに頑張ることとすればグローバルな視野の中でローカルに生きることが大切だとの言葉になります。そうすると「がんばるな」はローカルからグローカルへの招きの言葉と読み解きましょう。(例えば「怒る」と「叱る」の違いもローカルとグローカルの違いかと思うのです)

コロナウィルスの真っ只中にいる私たちは二つの大きな分かれ道に差しかかっているようです。今まで以上にローカルに閉じこもってしまうのか、それともグローバルな視野の中で生き直すのか。

「がんばるな」をグローカル化のキーワードとするならば、アフターコロナのニューノーマルにとも思うのですが、そもそも、ユダヤ教にルーツを持つキリスト教の福音とは、この「がんばるな」のことを言っているのではないのかと思っているのです。

2020年8月 1日 (土)

TCCは設立20周年を迎えます‼️

“違い”を多文化な豊かさに育てていく
たかとりコミュニティセンター

日比野純一 / 神田 裕

「たかとりコミュニティセンター」(TCC)は、神戸市長田区海運町にあるカトリックたかとり教会の中 に位置しています。たくさんのNGONPO、地域、教会の楽しくて頼もしい仲間たちが自由に集まって、神戸長田の町を中心に、多文化で多彩で豊かなまちづくりひとづくりを目指して、ささやかですが大きな夢を持って一緒に歩んでいるところです。

たかとり教会のある神戸市長田区は、古くから在日韓国朝鮮人が多く暮らしていた町で、1980 年 代以降、 ベトナム戦争後に難民として避難してきたベトナム人たちが生活拠点を築いていきました。神戸市長田区の人口の一割は外国籍の住民で、たかとり教会は昔からそうした外国人の信徒が集う教会でした。

その町に 1995 1 月、阪神・淡路大震災が襲い、この地域はほとんどの建物が崩壊し、火災によって焼き尽くされてしまいました。教会の周辺一帯は一面の焼け野原になりました。 しかしそんな中でも、お互いに助け合い声をかけ合ってこの痛みを乗り切ろうと、地域の人々や多くのボランティアの人たちが夢を持って立ち上がりました。震災で多くのものを失いましたが、多くの人々との 出会いが生まれ、新しい仲間もたくさんできてきました。こうして TCC の前身であるたかとり救援基 地が生まれました。

被災した教会に色々なところから見知らぬ人たちも見知った人たちもたくさん被災地にやってき て下さいました。そして、救援活動の一つが始まりました。これが、たかとり救援基地(鷹取教会救 援基地)の始まりです。ボランティアの人、被災した地域の人や教会の人も一緒に活動を始めまし た。炊き出し、避難場支援、仮設支援、臨時診療所、ことば支援、生活支援、まちづくりなどなど。

救援活動は長くても 3 年で終わるはずでした。ところが、長田にたくさん住んでおられた高齢者の 人々や外国籍の人々との関わりは、3 年は終わりではなく、始まりであると知りました。それからも救 援基地での活動は細分化されて行き、統廃合も繰り返し、きめ細やかな活動に進化していきました。

2000 年には「特定非営利活動法人たかとりコミュニティセンター」として、この地域社会の中で、誰であっても見捨てられることのない、まちづくりひとづくりを目指して歩み続けることの覚悟を決めま した。1950 年に教会内にできた幼稚園が、地域の人々のまちづくりひとづくりの役割の片隅を担っ てきたことの後を継ぎ、半世紀後にもう一度思いを新たに、大人も子どもも一緒の幼稚園ができたような感じです。

「たかとりコミュニティセンター」には、在日外国人の自助支援の団体、高齢者、障害者の暮らしを 支援する団体など9つの団体がセンターの中で活動しています。教会の信徒や地域の人たちだけでなく、地域を越えてたくさんの人たちが活動に参加に参加しています。老いも若きも、男も女も、 多文化で、多国籍で、今日も新たに個性豊かなメンバーが加わり続ける、「たかとりコミュニティセンター」がここにあります。

阪神・淡路大震災からの救援、復興を通して、多文化が社会の力になっていく、ということを私たちは学びました。もう1つは、自分たちの地域のことは行政任せにするのではなく、自分たちが意思決定をして、自分たちで良くしていく、ということです。一人一人の市民の力がまちを作っていく のです。

そうしたまちづくりの中で、国籍が違うからとか、肌の色が違うからとか、宗教が違うからとか、女性だからとか、障害があるからとか、そうしたことで窮屈な思いをするのではなく、誰もが決して排除さ れることのないまちをつくっていくのが、たかとりコミュニティセンターの活動の目的です。

多文化の力を育てていくために、「たかとりコミュニティセンター」近くの公園で毎年行っている地域の夏祭りで多国籍料理の屋台を仲間の外国人たちと出店しています。初めのうちは、お客さんたちはおっかなびっくりでしたが、次第に受け入れられるようになり「食べてみるとおいしいやん」と喜ばれています。他の文化・民族との接点を積み重ねるように出会いや、つながりの場を作っていく。そうするとお互い、一人ずつの顔が見えてきて、知人同士となります。こうして小さなことの積み重ねで多文化共生のまちは育っていきます。

「たかとりコミュニティセンター」のリーフレットには「ゆるゆる多文化いとをかし」と書かれています。 「ここに集う私たちは、不思議なゆるさを感じています。このゆるさはなんだろう。ちがう言葉が きこえ、子どもが遊び、仕事に取り組む人がいて、語り合う人たちが集まっている...。そんな人たち が織りなすゆるさなのかもしれません。ゆるいからつながれる、ちがうのがおもしろい。」とし ています。そういうゆるさを持って、まちづくりに取り組んでいます。

「まちづくりは、ダチ(友達)づくり」なのです。

大阪カトリック時報 20186
2018

二つの廃線。。

三田教会の司牧エリア内には廃線になった二つの鉄道があります。

有馬線は、三田と有馬温泉をつないだ最初の軽便鉄道で、1915(t4)に民間の会社が開業したもののすぐに国が借り上げ1919(t8)に国有化されます。後に、その会社は再び鉄道事業に着手し、神戸、有馬、三田を結ぶ今の神戸電鉄が1928(s3)に開業します。その後、有馬線は行楽路線のみであることもあって戦時中の1943(s18)に不要不急線となり廃線となります。国はその後、廃線の部材を使って篠山線敷設に着手することになります。(コロナ禍でよく耳にする不要不急は戦時中に使われていた言葉なのですね) 

篠山線は、丹波地域で産出されるマンガンや珪石の輸送のためと、海沿いを走る山陽本線が攻撃を受ける可能性があったため篠山から園部に至るバイパスを目的としてつくられます。戦時中の1944(s19)にまず篠山口駅と福住駅の間が開業します。福住にはマンガン鉱山がありました。しかし終戦を迎え、戦時下での必要はなくなり、予定されていた園部までの延伸は中止となり、1972年に廃線となります。 

このように篠山線は戦争のために作られたようなものでしたが、丹波は良質のマンガンが取れる地域だったのだと知りました。約300のマンガン鉱山がありました。マンガンは鉄と混ぜて鋼鉄となり武器製造などに必要な軍需物資でした。戦争末期には増産により全国で35 万トンが産出されました。丹波地域だけでも3千人が働いていたそうです。そしてこの危険極まりない鉱山での採掘には、被差別部落の人たちや朝鮮の人たちが多く従事していました。過酷な採掘労働だけでなく、十分な装備もなく塵肺という病気でその後も苦しい生活を強いられてきました。 

この夏には、これらの廃線跡を訪ね歩いてみたいものです。また、「丹波マンガン記念館」というものがあるそうで、平和旬間には足を運んで丹波の歴史の一つを学んでこようかと思います。

2020年7月 1日 (水)

そして私たち自身も「コロナ」?

日曜日のミサが始まり1か月がたちました。歌もなくお祈りも小さな声で平和の挨拶は無言で聖体拝領はフェイスシールド越しで、なんだか奇妙で神妙で、緊張のうちに始まりました。聖堂入り口では検温と消毒。ミサが終わった後の椅子の消毒などなど。お世話くださっているみなさんほんとにありがとうございます。

ところで私はここ三田に来てまだ2年とならないのですが、この短い間にコロナ災害だけではなく、今までに経験してきた以上の酷い台風や豪雨があったり避難勧告があったり、また益々酷くなる夏の猛暑などなど、私たちの生活しているこの自然環境も激変してきています。地球温暖化という言葉もこれまでよく耳にしてきました。

温暖化の原因は二酸化炭素の量が増えていることが原因なのですが、過去80万年の規模で見てみると、温暖化時の二酸化炭素のこれまでの最高値が30万年前の300ppm(年平均)で、その原因は主に火山の噴火だそうです。ところが現在の二酸化炭素の排出量は過去50年間で405ppmも輩出しているのだそうです。世界中の火山が40年以上かけて排出する炭素の量を私たち人類はわずか1年で排出しているということなのだそうです。

いま教会でも検温をしていて体温が37.5度以上になるとコロナの疑いが出てきます。私たちの住むこの地球もどうもいま体温?が37.5度を超えたようです。つまりこの地球も「コロナ」に感染しているといえます。原因は、、私たち人類なのでしょう。つまり、地球にとっての「コロナ」は実は私たちなのかもしれません。

「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気がつかないのか。」この聖書の言葉が何となく身に沁みます。私たちを攻撃してくるコロナ(おが屑)には今や敏感な私たちですが、この地球を攻撃している「コロナ(丸太)」には気がつかないのか、と言われているように思えてならないのです。

2020年6月 7日 (日)

三田 LINE

歌もなくお祈りも小さな声で平和の挨拶は無言で聖体拝領はフェイスシールド越しで、なんだか奇妙で神妙で、みんな緊張の40分。天気も良かったせいか76人で許容ギリギリかな。入り口で検温、消毒。終わった後の椅子の消毒などなど。窓は全開、暑い夏や大雨の時はどうなることかと。。真面目に来なくていいからねと言うも、それでも、3ヶ月ぶりの再会でみんな嬉しそう。。

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2020年6月 3日 (水)

PCR検査ロボット開発

https://youtu.be/Rrrerygq6_Y
たかとりのもっちゃんこと橋本くん
PCR検査ロボット開発でニュースに

2020年6月 1日 (月)

ウィズコロナ ニューノーマル

四旬節、復活節と自粛で過ごした教会も6月に入ってやっと再開(再会)の目途が立ってきました。こんなに長い黙想期間を過ごしたのは初めてです。みなさんはいかがお過ごしでしたか。最初の頃は、アスターコロナ(コロナ終息後)をよく耳にしました。でもまだまだ時間がかかりそうで、ウィズコロナ(コロナと共に)に代わりました。教会もいましばらくはウィズコロナですが、ただ時間の経過を待つのみではなくて、ニューノーマル(新しい常識)で自分自身の信仰や生活スタイルを見直すことが必要になってきます。アフターコロナが生きとし生けるものにとってよりよき世界よりよき社会に導かれて行きますように!

2020年5月30日 (土)

三田LINE

三田教会の皆さまへ 教会からお知らせがありましたように三田教会では66日より日曜日のミサを行います しかしまだまだコロナ禍の中でのことですのでその対応も準備も大変です マスク着用、検温、消毒、ソーシャルディスタンスなどなど スーパーなどでの対応と同じような対策を教会でも行います ですので聖堂内に入れる人数も普段の3分の1ほどにならざるを得ません 具体的な呼びかけはまた直前にまたお知らせします他の教会では531日から行うところもあります 同じような状況の中で行われます 他の教会へ行くと所属の信者たちがあずかれなくなる可能性も出てきます 三田教会の皆さんは今しばらくお待ちくださいませ

2020年5月24日 (日)

三田 LINE

三田教会のみなさま こんにちは 緊急事態宣言解除を受けて 大阪教区では公開ミサ再開の動きが出始めてきました ただ地域によっては事情が異なるため 各小教区の判断に任せられています 三田教会は今後どうステップアップしていくのか 評議会のみなさまと調整をしながら進めていきたいと思います 連絡が入るまではこれまでのとおり それぞれにミサの映像配信などを取り入れて祈りの時を持つ助けとなさって下さいませ

2020年5月17日 (日)

三田 LINE

三田教会のみなさん こんにちは 
復活節第6主日を迎えました 
コロナ禍が続いていますが 
自分の目にまでもマスクをつけないで 
しっかりと世の中の動きを見ていきましょう!

2020年5月 6日 (水)

FMYYメッセージ

https://youtu.be/q8y6ijtktDY

みなさん こんにちは たかとりコミュニティセンターの神田裕です。

新型コロナウィルスが猛威を奮ってきました 緊急事態宣言も延長され益々この脅威は広がり続けています たかとりコミュニティセンターのある教会も 日曜日の公開ミサ及び集会の中止が3月から続いており 更なる延長も発表されました それを受けて TCCの母体であるたかとり救援基地も4月からしばらく活動を休止しています

25年前に大震災を体験し 「災害」の怖さを嫌というほど知りつくし それをきっかけに多くの人たちの支えによってこれまで前向きに歩んできた私たちです 災害が発生すれば進んで現地に赴き対策を練ってきました 直接に顔と顔を向き合わせての「出会い」や「つながり」を支えにしてこれまで歩んできました

ところが まさかこんな「災害」を体験することになるとは夢にも思っていませんでした 今回の「災害」はこれまでの常識が通用しないものだと知りました 何かしたいのに何にもできない 駆け付けたいのに駆けつけることができない 体を動かして顔と顔を向き合わせないことが「災害」を防ぐことなんだということを知りました

ただそれでも この「災害」に顔と顔を向き合わせて闘っておられる方々がおられます 医療や介護の現場で実際に体を張って働いておられる従事者の皆さんに 心から敬意を表したいと思います 

今は不安でいっぱいですが こんな時にこそ 自分のことだけでなく隣の人を思いやれますように 人と人とが分断されてしまわないように お互いが傷つけ合うことのないようにしたいものです

そして今から コロナが終息した後のことをみんなで考えてみましょう 「国境を持たない見えないウィルス」に今は翻弄されていますが ポジティブに考えれば 私たちもいっそ このウィルスに倣って 「国境を持たない見えない思考」でものごとを捉えなおし 見えないウィルスの正体が分かった時には 「国境を持たない見える世界」を創り上げていきたいものです

みなさん 今は25年前に比べると 通信事情も格段に発展し 直接に顔を向き合わせなくてもつながって行くことができます 今は 直接に向き合うのはしばらく控えて 逸る思いを抑え 十分にエネルギーを蓄え また復活して動き始めるときに 心機一転心を一つにして 前に進んで行こうではないですか!

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

2020年5月 1日 (金)

コロナ5月を迎えて

三田教会のみなさま お元気でお過ごしでしょうか?お知らせにありましたように、5月に入っても公開ミサ中止が続きます。感染の状況もますます酷くなってきておりまだまだ先が見えなくなってきています。不安でいっぱいですが、こんな時にこそ、自分のことだけでなく隣の人を思いやれますように。人と人とが分断されてしまわないように、お互いが傷つけ合うことのないように、祈りましょう!

自宅待機のゴールデンウィークも初体験となりそうですが、折角なのでお家で家族団らんを大切に、、といきたいところです。でもお家の中も、実は「密室?」なので気をつけた方がいいのかも。それはウィルス対策だけのことではなく、家族同士の距離感ですね。狭いお家に住んでいると家族といえども窮屈になって「窮鼠猫を噛む」なんてことにならないように。そういえば、この頃よく売れている商品ということで一人用テントが紹介されていました。家族がいつもより一緒にいるのがしんどくて、部屋の中に一人用テントを立てるというものでした。それで在宅ワークがはかどったり子どもが落ち着いたりすると。子どもも大人もこもれる場所がある。居場所づくりにひと工夫がいりそうですね。

私たちは期せずしてそれぞれが長い孤独の中にいることになりましたが、コロナでなくても元々お家で一人の人もおられます。幸いなことには今の時代、スマホや携帯電話、パソコンなどでお互い連絡を取り合って、少しでも孤独から解放することもできます。でも私たち人間はやはり直接に触れあって生きる動物なので、画面を通してだけのつながりで人間性が奪われてしまわないように気を付けたいです。またそれとは逆に、この機会を大切にするなら、静かに孤独を味わってみるのも大切なことですね。自分の人生を振り返って神さまがいつも支えてくださっていることを思い起こす機会にしたいですね。

「国境を持たない見えないウィルス」に翻弄されています。ポジティブに考えれば、私たちもこの際ですから、いっそのことこのウィルスに倣って、「国境を持たない見えない思考」でものごとを捉えなおし、見えないウィルスの正体が分かった時には、「国境を持たない見える世界」を創り上げていきたいものです。

2020年4月26日 (日)

三田 LINE

三田教会のみなさま お元気でおられますか?

お知らせにありましたように、公開ミサ中止が続きます。感染の状況もますます酷くなってきておりまだまだ先が見えなくなってきています。不安でいっぱいですが、こんな時にこそ、自分のことだけでなく隣の人を思いやれますように、人と人とが分断されてしまわないように、お互いが傷つけ合うことのないように、祈りましょう!
神さまの助けをかりながら、、祝福をお送りいたします。

ps: 信仰よりも健康、、とまでは言いませんが、くれぐれも体に留意なさってお過ごし下さいませ。

2020年4月12日 (日)

TCC 新型コロナウィルスの対応に関して

たかとりコミュニティセンター各団体のみなさま

新型コロナウィルスが猛威を奮ってきました。緊急事態宣言も出され益々この脅威は広がり続ける様相です。現時点で教会は4月末まで日曜日のミサ及び集会の中止延長を発表をしました。それを受けて、TCCの母体であるたかとり救援基地も来週からしばらく活動休止することにしました。連絡会議、TCC/IT委員会や昼食なども中止をします。各団体のみなさまもそれぞれに適切に判断し対応なさってください。

連絡会議や委員会へは、開催予定であった日までに各団体のメモをTCC宛に送ってください。議事録にまとめて配信します。TCC内部で感染者が出た場合はTCCはしばらく閉鎖されます。そのことも想定の上対応を考えておいてください。

25年前に大震災を体験し「災害」の怖さを嫌というほど知りつくしそしてそれをきっかけに多くの人たちの支えによってこれまで「新生(新しく生まれる)」を合言葉に前向きに歩んできた私たちですが、まさかこんな「災害」を体験することになるとは夢にも思っていませんでした。

25年間、心臓の鼓動のように動きを止めることなく前に進んできました。他に災害が発生すれば進んで現地に赴き対策を練ってきました。直接に顔と顔を向き合わせての「出会い」や「つながり」を支えにしてこれまで歩んできました。

ところが、今回の「災害」はこれまでの常識が通用しないものだと知りました。何かしたいのに何にもできない「災害」があるんだとあらためて思い知らされました。体を動かして顔と顔を向き合わせないことが「災害」を防ぐことなんだと。私たちの活動の限界を知りました。

ただそれでも、この「災害」に顔と顔を向き合わせて闘っておられる方々がおられます。医療現場で実際に体を張って働いておられる医療従事者の皆さんに心から敬意を表したいと思います。

みなさん、今は、25年前に比べると、通信事情も格段に発展し、直接に顔を向き合わせなくてもつながって行くことができます。ですので、直接に向き合うのはしばらく控えて、はやる思いを抑え、十分にエネルギーを蓄え、また復活して動き始めるときに、心機一転、心を一つにして前に進んで行こうではないですか。

2020年412日 復活祭の日に

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

三田 LINE

三田教会のみなさま
ご復活おめでとうございます!

コロナ四旬節を過ごし、ますます状況は悪化していますが、それでも今日は、ご復活をお祝いしたいと思います。コロナで心までもが折れてしまわぬように、逆境に打ち勝つ力を、キリストの復活に託したいと思います。

去年の復活祭の時の話しを覚えておられますか?ハリストス正教会の復活祭のことを。「ハリストス復活!」と一方が挨拶すると、もう一方が「実に復活!」と答えると。。ハリストスはキリストのことです。

じゃ、今から私が「キリスト復活!」と挨拶するので、皆さんは「実に復活!」と大きな声で応えてくださいよ!
いいですか。LINEで返事をしてはダメですよ! 大きな声で!さ、いきますよ!

キリスト❗復活‼️
😄📣

)横に人がいたら2m離れてください。

2020年4月 1日 (水)

コロナ四旬節

新型コロナウィルスが猛威をふるってきました。イタリア、スペインなどヨーロッパの国々はすでに機能停止の状態が続き益々状況は酷くなってきています。地震や台風などにあって十分に自然災害の恐ろしさを知ってきた私たちのはずでした。こんな形での災害が起こるのは映画の世界なのだと思っていました。私たちが作り上げてきた世界はこんなにももろいものなのかとあらためて実感させられてしまいます。

灰の水曜日から始まった四旬節でしたが、その直後に大阪教区も主日などの公開ミサ中止を発表しました。初めての体験です。25年前の阪神淡路大震災の時に焼け跡の教会にいた私は、日曜日には雨に打たれながらも庭で皆とミサをし続けてきました。それが復興への大きな原動力となっていました。今回も、これを乗り越えるには、ミサに集って共に祈り交わり励まし合うことが必要なのですが、残念ながらそれができないでいます。

都市が封鎖されているイタリアでは、誰もいないバチカンで、サンピエトロ大聖堂の前の階段の上からフランシスコ教皇が一人で立ち、無人の広場に向かって、世界で苦しむ人々に向けて祝福を送り、祈られる姿に心打たれました。信仰によって不安を和らげるように呼びかけられました。

長い人生のうちには色んなことが起こるのだなとしみじみ思います。新年を迎えた時にはこのようなことが起こるなど夢にも考えていませんでした。いつ突然にどんな運命が訪れるのか誰にも分かりません。どんなに慎ましく生きていようが理不尽な出来事は起こってきます。力を合わせて立ち向かわねばと思っても集まることすらできないことも起こってきました。でも生きてゆきましょう。こんな時にこそ、たとえ小さくても、祈ることを忘れたくありません。ほら、耳を澄ませば聞こえてくるではないですか、希望へとつながる祈りが世界中から。ほら、見えてくるではないですか、世界中の人々とつながっていることが。

三田教会のみなさん、希望の祈りでつながっていましょうね。いつか日曜日のミサで、笑顔で出会える日を心から待ち望んでいます。

<新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のために祈りましょう>
希望のよりどころである神よ、
病に苦しむ人に必要な治療を与え、
医療に携わる人を感染から守り
亡くなった人を永遠のみ国に迎え入れてください 。
ともにいてくださるあなたに支えられ、
不安と混乱に襲われた世界が希望を取り戻すことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

2020年3月 1日 (日)

依存と自立

「誰かに依存していることを忘れるほどに依存できている状態が自立である」

ある臨床心理士K.T.の言葉であると、ある新聞のコラムに紹介された。「ところどころに見えないほどに小さな椅子が用意されている」から人は自分の足で立てるのだと。自立とは誰にも依存しないことではなく、支え合うことのネットワークをいつでも使える準備ができていることだと、、なるほど。

「おまえ神を信じてるらしいけど情けないな、神に依存しないと生きられないのか、ちゃんと大人になって自立しろよ」と言われたことがある。確かに、苦しいときの神だのみで終わってしまえば、そう言われても仕方がない。神への信仰は単に依存であってはならない。み言葉をたよりに、まさに自らの生き方として、自らで立って歩く自立のための信仰だ。

信仰を持って生きるとは、「神に依存しているのを忘れるぐらい依存できている自立した生き方」「神とのネットワークがいつでも使える自立した生き方」、、だ!

2020年2月 1日 (土)

炎鵬、勝ち越し!!

2020年 大相撲初場所。身長170センチにも満たない炎鵬は勝ち越しを決めた!
今年の元旦、西武そごうは、この炎鵬を起用し、大逆転のCMをはった。
想定外の大逆転はありうる。キリスト教信仰も、実は、生き方の大逆転なのだ。

☆CM☆
大逆転は、起こりうる。
私は、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考えは馬鹿げている。
勝ち目のない勝負は諦めるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。
☆CM☆
ここまで読んでくださったあなたへ。
文章を下から上へ。一行ずつ読んでみてください。
逆転劇が始まります。
さ、ひっくり返そう。
☆CM☆

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2020年1月 1日 (水)

たかとり教会案内

★ 神戸中ブロックの予定

たかとり教会の日曜日、主日ミサは11時からです。

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<たかとり教会 略歴>

1927年~1939年 ジュピア神父
  1929年1月13日 新聖堂祝別(カスタニエ司教)
1939年~1944年 ベルゼス神父
1944年~1950年 エルベ神父
  1945年3月17日 神戸大空襲 聖堂を避難所として地域住民を受け入れ
1950年~1965年 フロアドボー神父
  1952年 鷹取幼稚園を設立(~1987年)
1965年~1969年 ムジカ神父
1969年~1988年 ポンス神父
  1977年5月8日 創立50周年を祝う
  1987年3月31日 鷹取幼稚園閉園
1988年~1991年 有馬志朗神父
1991年~2007年 神田裕神父
  1992年6月7日 キリスト像祝別
  1993年8月19日 ベンポスタ子どもサーカス歓迎会
(1994年~1998年 パオロ神父)
  1995年1月17日 阪神淡路大震災 聖堂全焼 救援基地スタート
  1995年9月17日 ペーパードーム完成
  1997年9月14日 創立70周年を祝う
(2001年~2003年 マン神父)
(2002年~2004年 ミケランジェロ神父)
  2005年1月17日 震災10周年 カトリックたかとり教会と名称を変更
  2007年5月26日 新聖堂献堂式
2007年~2011年 吉岡秀紀神父(神戸中ブロック)
2009年~2011年 ミケランジェロ神父(神戸中ブロック)
2011年~2012年 小田武彦神父(神戸中ブロック)
2012年~2014年 アニセ神父(神戸中ブロック)
2014年~2018年 エマニュエル神父(神戸中ブロック)
2018年~     ブレーズ神父(神戸中ブロック)

たきび126号

<かんちゃん日記>
震災から9131日たちました。25年たったのではなく、300ヶ月たったのでもなく、9131回の朝と夜を過ごして今日の日を迎えました。悲しい日があって、苦しい日があって、辛い日があって、逃げたい日があって、、心が震えた日があって、心に刻みたい日があって、嬉しい日があって、楽しい日もあって。。震災の中で共に生きてきた人は、被災者も支援者も、9131通りの毎日を過ごしてきました。しっかりと心に刻んで明日につなげていきたいですね。

あの日から25年

2020年、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

今年は阪神淡路大震災からちょうど25年、その1月17日を迎えます。多くの方々のいのちやこれまで築き上げてきたものが一瞬のうちに奪われた日でした。そして残された私たちの日常もなかなか立ち上がれず苦渋に満ちたものでした。しかしそんな中でも、震災から3か月ほどは、まるで『神の国』が始まったかのようでもありました。苦しい最中であるにも関わらず、どんな人とも壁が取り払われて、優しく声をかけ合い、分かち合うことができたのでした。生まれて初めて見る光景でした。でも残念なことに、しばらくすると『神の国』は見えなくなっていきました。

ある日、広島に呼ばれて震災状況の話しをしに行きました。この話しもしました。休憩時間に一人のおばあちゃんが来られて、「たいへんでしたね。ほんとにご苦労さまです。ところで、私もあなたの言われる『神の国』をみたのですよ。しかも3年ほどでした」と言われました。「それはよかったですね」とだけ応えて休憩時間も終わり会話はそのままになりました。講演も終わってすぐに新幹線で帰途につきました。ふと、先ほどのおばあちゃんの話しを思い出しました。そして、「あっ、原爆!」と気が付きました。「よかったですね」ではなく「たいへんなことでしたね」と言わなければならないことでした。自分の大変だった話しをすることが精一杯で人の話しを聞けなかったことを悔いました。ただ、想像を絶する体験をされたおばあちゃんが歩み寄ってきてくれたのは救いでした。震災体験があったことで戦争体験の一瞬を垣間見させてもらったのでした。

震災25年の体験は、人の苦しみを理解するための体験であればと願います。そして、降ってわいてきたかのような『神の国』は、今度は自らでつくって行くものとしたいです。

2019年12月25日 (水)

誰のために生きているのか

「何のために生きているかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。肝心なのは、誰のために生きているのかということです。」と、来日したフランシスコ教皇が若者たちに向けて言葉をかけられました。誰も孤独にはさせない、人生の共有の大切さのことでした。神戸少年の町のこどもたち一人ひとりに「誰のために生きているの?」と聞いてみたいですね。
スタッフの兄さん姉さんたちや支援して下さっている方々には日頃からこどもたち一人ひとりのことを愛情いっぱいに大切に関わって下さりほんとうにありがとうございます。きっと「誰のために生きているのか」こどもたち自身の人生の問いかけに希望を与えるものとなることでしょう。
施設長として理事長として長きに渡ってこどもたちのために働いてくださった神林宏和神父さまが5月に帰天されました。生涯をかけて「誰のために生きているのか」の大切さを示してくださった神父さまに心から感謝いたします。

理事長 神田裕

2019年12月 1日 (日)

フランシスコ教皇 来日

フランシスコ教皇が日本に来られました。訪日テーマは「すべてのいのちを守るため」です。長崎、広島、そして東日本大震災の被災者、特に福島の人々へのメッセージを世界に向けて発信されました。たくさんのメッセージでしたが、「私流」に短くつないでみました。みなさんはこれ以外にどのことばが印象に残りましたか?今度教えてくださいね。

長崎・爆心地で、「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。」

長崎スタジアムでのミサで、「あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らい、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰宣言です。わたしたち一人ひとりが決断することです。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか。」

広島・平和記念公園で、「わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。」

被災者との集いで、「わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。」

青年たちの集いで、「何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、誰のために生きているのかということです。」

東京ドームでのミサで、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。」

2019年11月 1日 (金)

ラグビーワールドカップ

神学校時代、ラグビー経験者の神学生が何人かいて、私も駆り出されて練習に励んでいた時期がありました。他の球技ではボールは丸が普通なのですが、ラグビーは楕円形で何といびつな形をしているのかと思っていました。転がったらどこへ飛んでいくか分からない。祈りにも近い思いでボールを追いかける。そこがこの球技の魅力でもあるようです。

今回のワールドカップでは日本は南アフリカに負けて残念でしたが、それでもベスト8に入り大活躍でした。これまでの大会での最多失点記録は17145で過去に日本が作っていましたからなおさらの喜びです。

その最多失点を記録したのは神戸で大震災があった1995年の南アフリカ大会の時でした。南アフリカではこれまで人種隔離政策(アパルトヘイト)が続いていて世界の批判を浴びていてスポーツの世界でも国際大会に出場が許されていませんでした。1994年にマンデラ大統領が選挙で選ばれて、人種や宗教を越えての新しい国づくりが始まりました。翌年にはこの国でワールドカップが開催され、南アフリカはみごと初出場、初優勝を飾ったのでした。この時に、国家として歌われたのが、アパルトヘイト下で黒人の人たちが歌っていた歌(前半部分)でした。

「主よ、アフリカに祝福を その栄光が高く掲げられんことを 我らの祈りを聞き届け、あなたの子である我らを祝福したまえ 主よ、我らの国を護りたまえ 御手によりすべての争いを鎮めたまえ 我らと我らの国を護りたまえ この南アフリカの国を、、、」。

これは「祈り」ですね! 国歌が祈りだなんて、苦労を積み重ねてきている国ならではです。この国歌を歌って、違いを超えて一つになる希望への道が動き始めたのでした。

ラグビーと言えば試合終了の合図は「ノーサイド(No-Side)」です。ゲーム終了後は敵味方がなくなるという意味ですが、実は、今でも使っているのは日本だけみたいですよ。世界で使われなくなった理由は分かりませんが、それならば、今度は、日本から世界へ向けて「ノーサイド」を発信して行きたいですね!

2019年10月 1日 (火)

タオルはちゃんと洗っているの?

震災後に救援基地となったたかとり教会には多くのボランティアの人たちが来てくださった。たくさんの物資も届けられた。
ある日小さな箱が届いた。遠いところの見知らぬおばあちゃんからだった。中に手紙がありこう書かれていた。「テレビで見ているといつも首にタオルをかけているようだが、、、ちゃんと洗っているの?」 箱の中に数枚のタオルが入っていた。
小さな贈り物に笑顔が出た。ともすれば孤独に陥ってしまう被災地。小さな優しさが勇気を与えてくれた。
”タオル”に元気をもらったたかとりは、25年たとうとしている今も活動が続けられている。
あの日キリスト像にも”タオル”を分けた。私にとって”タオル”は震災の宝物だ。


この文章とともに写真とタオルが下記で展示されます
仮称)未来へ想いを伝えよう「117 BOX・いいなの箱」展
会期:2019年10月8日~2020年2月24日
会場:阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター

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2019年9月 1日 (日)

福島

東日本大震災から8年5か月の時が過ぎました。日本のカトリック教会はオールジャパンで支援を続けてきています。3教会管区から集まる仙台教区サポート会議もこの8月で51回目を迎えます。日本の司教団は被災から10年となる2021年3月まで支援を継続すると約束しています。なので、あと1年半ほどで大きな節目を迎えようとしています。

会議で東北へ行くたびに少しずつ復興への変化が見られ嬉しいことですが、ただ阪神淡路大震災に比べて復興への道のりは数倍の時間がかかりそうです。地震だけではなく津波の被害は甚大なのと、自然災害だけではない人災も加わっているからです。

今回、福島は南相馬で集まり、ベース活動や福島の各教会で行われている支援活動状況の報告を受けました。現地視察は浪江町、双葉町、大熊町、富岡町へ。放射性物質を含むものを入れた真っ黒のフレコンバッグが延々と並び積まれている。ほとんどがまだまだ帰宅困難区域です。この夏、浪江のイオンがオープン。南相馬の海水浴場が再開。富岡漁港がもうすぐ再開で福島県すべての10か所の漁港が稼働。来年春までにはJR常磐線が全線再開と希望の持てる動きも確かにあります。でも戻ってくる住民はほんの僅か、地元に愛着のある高齢者がほとんど。10年先20年先には町はどうなるのか。

かといって私たちには具体的に何もできない。ただ、時を経るごとに地域差、個別化の問題が広がりますます分断されていく「福島」を忘れないことと、寄り添うことはできるはず。

11月末に教皇様が日本に来られる。福島まで来られないかもしれないが、福島からの声を届けたい!教皇様からの励ましのメッセージも欲しい!みんな大いに期待している!!

2019年8月 1日 (木)

丹波篠山に、、3

前回お知らせしたように、月に一度の丹波篠山での集まりに郡家にある曹洞宗長楽寺のお坊さんに来ていただきました。いつもは数人での集まりですが、この日は○○さんと△△さんの御主人も信者さんではないけれど参加、三田教会からも10人乗りの車で大挙して行きました。

先ずはミサから。お坊さんもミサは初体験。「このお煎餅みたいなのはなにですか」の質問からスタート。1.17震災法要では、いつもたかとり教会で祈って下さっているので「ごらんよ空の鳥」は覚えておられた。最後の祝福の前に、みなで般若心経を唱えたのですが、お坊さんのお経を唱える声は聴いていて心地よいしお腹にポトンと入ってきますね。

ミサの後は、いよいよお坊さんのお話を聞くことに。宗派は違うけれど、漫画の「一休さん」みたいなお坊さんです。面白いお話しやちょっと考えさせられるお話しなどなど。何よりもその場を和ませて下さる話しぶりはさすがですね。それだけで満足だったですが、なんとビックリ、後半はギターとハーモニカの楽器付きで皆さんと歌を歌ってくださったのでした。すごいなぁ。そしてお話しの後は、皆で持ち寄った食事を口にしながらの歓談。楽しいひとときはあっという間に過ぎてゆきました。

場所を提供し準備して下さった〇〇さん、みなが来るということでお家のお掃除や庭の草抜きは大変だっただろうと思います。他の方も、資料の準備や典礼の準備、食事の準備をしてくださり、ありがとうございました!

丹波篠山地区の皆さんが宗教や宗派による違いを超えて同じ地域の仲間として「まちづくりやひとづくり」に関わることも私たちの信仰生活のひとつだと思います。そのためには自らの信仰をしっかりと持っていることが大切ですね。そして違いを超えて出会ってゆくことで神さまはきっと恵みを注いでくださることでしょう。

今度は出かけて行ってお寺でお話しを聞きに行きましょうか。(^^)

2019年7月 1日 (月)

丹波篠山に、、2

F1グランプリというのがある。カーレースでの世界選手権。昔、私がよく見ていたころはセナ選手が有名でした。新幹線よりも速いスピードで競い合うのでとても危険なのですが、市街地を走るモナコGPがとても迫力があって見入っていました。
K-1グランプリというものもある。Kは空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの格闘技のKでジャンルを超えてKINGを決める。これはスポーツなのだけど痛そうなのでちょっと見るのは苦手かな。
M-1グランプリというものもある。これはお笑い系で、漫才のナンバーワンを決めるコンクール。笑いでもってみんなを楽しくしてくれるのでいくら競ってくれてもいいですね。
H1グランプリというのもある。うん?何だろう?H1グランプリのHは法話。お話の上手いお坊さんのナンバーワンを決めるのだそうです。題して、宗派を超えて、もう一度あいたいお坊さんを選ぶ、夢の法話共演、とある。今を、そして未来を力強く生きていくためのヒントやきっかけを感じ知ってもらうためとある。ただ単に面白いだけではないのですね。そして、優勝したのは、篠山にある曹洞宗長楽寺のお坊さんだ。あっ、こないだ一緒にお蕎麦を食べたお坊さんだ。早速お祝いの電話をして、篠山集会に来てお話しくださいとダメもとで厚かましくも頼んでみたら快く引き受けてくださった。7月の篠山集会楽しみ!
S1グランプリというのがある?S1説教グランプリ。ほんと?神父たちの夢の説教共演?あかんあかん、これはあかん、みんな寝てしまう。

2019年6月 1日 (土)

丹波篠山に、、

5月1日から、篠山市は丹波篠山市と名称が変更となりました。10年前に氷上町あたりが丹波市となったことが発端になりちょっと騒動に、その1年後には京都に京丹波町も誕生しました。隣同士が、我こそは「丹波」だと張り合っている感もありますが、元々は広い広い「丹波国」の同じ仲間。これからは「丹波」つながりで共に協力し豊かなまちになっていってもらいたいです。
丹波篠山の○○さん宅で月に一度数人でミサをしています。風光明媚な田園に囲まれたお家で、ミサが終わり玄関の扉を開けると、目の前に丹波富士(高城山)がドンと座っている。戦国時代の山城(八上城)です。この城で、人質とされていた明智光秀の母親(明智牧)が磔になったと言われています。細川ガラシャ(明智玉)の祖母ということになりますか。このことが、本能寺の変へとつながり、ガラシャの非業の最後へとつながっていくのでしょうか。私がこれまで居た大阪カテドラルは細川忠興の屋敷跡に建っています。ここでガラシャは壮絶な最後を遂げました。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と。戦国時代の悲しい出来事です。
来年のNHK大河ドラマは明智光秀の生涯です。「丹波」に注目が集まり、それぞれの地域で、よい「まちづくりひとづくり」へとつながって行けばいいですね。
余談ですが、名称変更と言えば、震災10年たった2005年1月17日に、同じ神戸中ブロックにある「カトリック鷹取教会」は「カトリックたかとり教会」へと名前を変えました。震災からの再建が単に復旧ではなく新生であるとの教区の方針に沿って、新たに歩み始めるシンボルとしての変更でした。
新しいぶどう酒は新しい革袋に、、「名」「実」ともに新たにされていきたいですね。

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2019年5月 1日 (水)

ご復活おめでとうございます!

三田教会のみなさま、ご復活おめでとうございます! 受難の主日から聖週間に入り、聖なる3日間を過ごし、そして春の喜びとともにご復活を祝うことになりました。

受難の主日には、枝を掲げて、主のエルサレム入城を迎えました。その枝は聖書の記述からすると本来はナツメヤシですが、みなが掲げたのは、奄美大島の大笠利教会から送って頂いたソテツでした。大島にはたくさんのソテツが生息しています。そのソテツは島の人たちの生活を支えピンチを救ってきたのだそうです。

その昔、江戸時代後期、薩摩藩に収める年貢が米から黒糖に代わりました。米作りには島の土壌が適してなかったのですね。島中の畑や水田はほとんどサトウキビ畑になってしまいます。たくさん作らなくてはならないため山も段々畑になりました。段々畑は、普通は石で縁を固めますが島には石があまりなく、代わりにソテツを植えて段々畑にしました。ソテツは丈夫な根をしっかり張って段々畑を支えたのでした。それでも島の人たちはその黒糖を口にすることはできませんでした。島の人たちの主食はサツマイモでしたが、ソテツはいざというときの食糧にもなりました。ソテツはそのままでは毒ですが、島の人たちは実や幹を刻んで水にさらして天日に干し何度もその作業を繰り返して毒を抜いてでんぷんを取り出し食糧難の時に飢えを凌いだそうです。また鉄分が多い貧しい土壌から工夫をして、島の人たちは泥染めを生み出してきました。古くから伝わる絹織物、大島紬ですね!それも、島の役人以外は着られなかったそうです。そう考えると、受難の主日にソテツを手にするとき、自らの受難を乗り越えてきた島の人たちのことも思い起こしますね。

鉄分の多い島の土壌で育ったソテツは、漢字で蘇鉄と書きます。枯れてしまいそうになる時に鉄くぎを打ち込むと元気を取り戻すと言われているからだそうですよ。くぎを打ち込まれて蘇る、、だれかからイエスの受難と復活みたいですねと言われて、そういえば、、いえいえ、違いますよ!キリストの復活はただの蘇生のことではないですからね。

聖金曜日はピンクムーンでした。4月の満月のことをネイティブアメリカンの人たちはそうよんでいるのだそうです。でも月がピンク色なのではなく、春になって色鮮やかに咲くシバザクラなどの花の色から来ているそうですよ。悲しみに暮れた受難の時が、終わりの時ではなく新たないのちの始まりの時であると、今年はピンクムーンも教えてくれましたね。

そして、今年も復活の日を迎えました。でも、喜べと言われても日常が辛くて喜べないのも私たちですね。辛い人生はなくなることはないのでしょう。だからもっと自分は慰められたい、でも、いま目の前にいるあの人のことを慰めてあげよう。もっと理解されたい、でも、隣にいるあの人のことをちゃんと理解しよう。もっともっと愛されたい、でも、それよりもあの人のことを愛そう。。。きっとその中にこそほんとうの喜びの秘密が隠されているのかもしれませんね。

受難と復活の神秘は、そんな祈りへと、そして喜びへと私たちを導いてくれるのでしょう。

2019年3月 1日 (金)

三田教会ノースエリア

三田教会のエリアはとっても広いですね。篠山、柏原、丹波へと、兵庫県の真ん中を越えてまだ北に延びて、ちょっとした遠足になります。

バレンタインデーの日、雪が降る中、午前中は篠山の○○さん宅で数人が集まりミサとお話しで楽しいひととき。焼き栗いただいておいしかった。午後からは車に乗って遠足に出た。柏原の〇〇さん宅へ。お母さんと三男の息子さんと初めてのご挨拶。ここのお家の敷地をお借りして宣教師の神父さんたちが集会所を建てて拠点としてられたのですね。大阪教区に柏原集会所が20年ほど前まであったのを覚えています。挨拶の後、息子さんが親切に案内くださってcafé Bon Neurへ。柏原で結構老舗の喫茶だそうですが、お店の看板はとても垢抜けていておしゃれな感じ。お店の名前もフランス語。幸せっていう意味なのかな?ここは○○さんのお店。お母さんと一緒に経営してられる。若い頃はサーファーだったそうですよ。そういえばまだその雰囲気が。柏原の駅前にはからくり時計櫓が珍しい。そして、そこから一気に青垣町へ。一部無料の専用道路があって北へスイスイと。たどり着いたのは、散髪屋さん。○○さん宅です。明るく元気なお母さん。しばらくしてお父さんも戻ってきた。今度はムジカ神父のことで話しの花を咲かせましょう。隣の新聞配達所で仕事していたのは娘さん。再び車に乗って今度は、春日局に会いに春日町へ。○○さんのお宅はどこだろう。あたり一帯のお家は何とみな同じ苗字だ。名前は、お福ではないし、困ったな。電話をかけてみたらおじいちゃんが出てきたけど耳が聞こえない。結局お留守でお局さんにはお会いできずまた次回に。最後に、もう一度篠山に戻り、曹洞宗長楽寺へ。1.17にたかとりで一緒にお祈りくださったお坊さんにご挨拶を。1時間以上もおしゃべりして、今度一緒に蕎麦を食べに行く約束をして、丸一日かけた遠足を終え帰途についた。

兵庫各地に点在する三田教会の信者さんたち。遠くてなかなか教会まで来れないけど、みなさんそれぞれの地で、お店やご近所づきあいを通して、町の人たちとよい交流を持ち、まちづくりひとづくりに貢献しておられることでしょう。明るく元気に地域の人たちと交わることこそ、大切な福音宣教ですね。

2019年1月17日 (木)

たきび125号

<かんちゃん日記>
欧州のとある国の首相が、新年に向けた挨拶で、「他国の利益にも配慮することが結果的に問題解決につながるというのが、2度の世界大戦の教訓だったはずなのに、こうした考え方は、もはやすべての人に共有されているわけではない」と語っていた。2019年世界は益々自国中心主義の道を歩むのだろうか?たかとりの震災復興は、多文化なまちづくりを目指しての歩みだ。外国からきた人たちが心細い思いをしないで住めるように配慮することでもあるが、それよりも、外国の人たちが同じまちに暮らしていることが、まちにとって迷惑なことではなくて、実は、まちが活性化し豊かに潤っていくことだと知っているからだ。たかとりの仲間たちはその考えを共有している仲間たちだ。たかとりのキャッチフレーズ「ゆるゆる多文化 いとをかし」とともに、風潮に流されずに信念を持って世界に発信していきたい。

2019年1月 1日 (火)

2019年 FMYY新年挨拶

https://youtu.be/m_IcmKgIOTs

みなさん、新年あけましておめでとうございます。FMYYの神田裕です。神戸市長田区海運町のスタジオから、インターネットを通して放送をお届けしています。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災、その時全国から救援に駆けつけて下さった仲間たちと共に、この放送局はスタートしました。そして、もうすぐ震災から丸24年を迎えます。

24年前の阪神淡路大震災から活動が始まった たかとり救援基地には 今も10の団体が元気に活動を続けています。アジア女性自立プロジェクト、ベトナム夢KOBE、多言語センターFACIL、ひょうごんテック、ひょうごラテンコミュニティ、リーフグリーン、ワールド・キッズ・コミュニティ、世界コミュニティラジオ放送連盟日本協議会AMARCJapan、野田北ふるさとネット、そしてFMYYです。

今月の17日にも新長田駅前にて、「1.17KOBEに灯りをinながた」のロウソク追悼行事が行われます。1999年の台湾大震災や2004年のスマトラ沖地震での被災地交流でつながった仲間たちもやってきます。これまで番組に携わってきた子どもたちもひとつ大人になり、親たちや先生たちとの新たな出会いの番組も始まりました。FMYYはこれまでの活動でつながった多くの人たちとの世代や国籍を越えた交流の場となっています。

去年も災害の多い一年でした。私たちのいのちを育んできたこの大地は大きく揺らぎ、荒らされ、多くの人々のいのちを奪っていきました。地震や津波など、いつ襲ってくるか分からない自然の力は想像をはるかに超え、それらに対して無力であることを身に染みて感じてきました。しかし、私たちは優しさと知恵を寄せ集めながら前へ前へと進んできました。自然に対する恐れや憎しみではなく、自然と仲良くつき合って行く謙虚さを学びながら、希望を持って、まちづくりひとづくり を続けてきました。

更にもう一つ、私たち自らが作り上げてきた脅威にも苦しめられてきました。国と国とを隔てる目に見えぬ壁は防波堤よりも高く積み上げられ、恐れや憎しみを生み出してきました。また、いのちを育んできたこの大地は、一瞬のうちに汚染され、住むことさえも難しいものとなってきました。しかし私たちは、それらのことに対して無力であることは決してないはずです。私たちは知恵と勇気を寄せ集め、誰がどこに住んでいても、一人一人のいのちが大切にされる、そんな まちづくりひとづくり を続けていきます。

震災の時、私たちはお互いを励まし合うため声をかけ合いました。声をかけ合うことによってお互いを知ることができました。お互いを知ることによって、まちづくりが始まりました。FMYYはこれからもそのことを忘れません。一人一人が大切にされ、誰一人忘れ去られることのない まちづくりひとづくり を目指して、FMYYは今年もあなたの元へ飛んで行きます。

神田裕

2018年12月25日 (火)

少年の町はクリスマス

クリスマスの12月25日はイエスの誕生日!ではなくて?イエスの誕生を記念する日です。喜びの日のはずなのですが、実は一年で一番夜が長くて暗くて寒くて、最悪の日なのです。なんでわざわざこんな日に。教会で飾られているイエスの誕生のシーンはなんと、馬小屋。うぶぎに包まれて寝かされているのはお布団ではなくて飼葉(かいば)桶(おけ)、最悪です。喜びの日のはずなのに。でもちょっと待って。馬がご飯を食べる飼葉桶はどこにいてもいつも帰っていくところ。立ち帰る場所、故郷(ふるさと)、そして少年の町。闇から始まる人生のスタート。その闇が大きい時こそ光への憧れは強くなる。自分の闇を本当に知るものこそ光を知ることができる。明るいところでは光を見ることができないからね。そんなこと言われてもなかなか自分で見つけられない。でも心配しなくていい!ここには一緒に光を見つめてくれる力強い兄さん姉さんたちがいる!そして何よりも、神さまがいつもみんなをあたたかくまもってくださっている。

理事長 神田裕

2018年12月 1日 (土)

ムジカ神父と私

初めてですので自己紹介を。

尼崎生まれの尼崎育ちで、尼っ子。漫画「忍たま乱太郎」作者の尼子騒兵衛は同級生。地元公立の小中高、そして大学へ。唯一のミッションは幼稚園、そして神学校。1988年に司祭となり(司祭生活も今年でちょうど人生の半分で節目の時)、阿倍野、玉造の助任を経て、たかとり教会へ主任として赴任。そして4年後の1995年に阪神淡路大震災。聖堂は全壊し全焼。がれきの片づけから始まり救援基地へ。震災復興のまちづくりの拠点となり現在もNPOたかとりコミュニティセンターとして10の団体が教会敷地内で活動している。2007年に司牧現場から離れ教区本部事務局へ。そしていま三田教会の担当となりました。

両親の結婚は尼崎教会でムジカ神父。幼児洗礼は(ムジカ神父が休暇で帰国のため)助任のシャユー神父に。(私が神学校へ行く直前にシャユー神父は帰天でバトンタッチされた感)。毎年誕生日にはムジカ神父と記念写真。この写真は4歳。私が小学校へ上がる時にムジカ神父はたかとり教会へ赴任(26年後に私が赴任)。私が中学3年の時に三田教会へ赴任(45年後に私が担当)。ムジカ神父が明石に赴任のときから三十数年関わってこられた神戸刑務所宗教教誨師も2000年にバトンタッチ。というわけで、なにかとパリミッション会の影響を受け、なにかとムジカ神父の足跡を歩むような感じでこれまで来ました。

ムジカ神父はフランス人ですがバスク人。いつも素朴で朗らかで明るく、お話し好きワイン好きなムジカ神父。宗教宗派も越えて誰からも愛され続けたムジカ神父。足跡を歩むだけではなく、信仰や人生観も追随したいものです。

2018年9月30日 (日)

礼状

✞主の平和

この夏も各地で災害が続き心痛むことの多い中 早いものでもう10月を迎えようとしておりますが 皆様におかれましては ますますご清祥のことと存じます

この度は父 神田光造(フランシスコ・アシジ)の通夜 葬儀にご参列くださり誠にありがとうございました また生前多方面にわたり様々な形で関わってくださった皆様に 深く感謝申し上げます

父の人生の終盤は色々とやんちゃなことをしでかしてくれましたが本人は満足のいく91年の人生だったかと思います

足がペダルの位置に上がらなくなってようやく自転車を諦め その後どうなることかと案じましたが なんのなんの 二本の足で負けじと旅をしておりました

段々とそれも叶わなくなって ほとんど寝たきりになり そろそろ"年貢の納め時"で残念がっているのかと思いきや 父の口からは「僕は風船に乗ってどこへでもいける!楽しいね」という言葉 寝ながらでも楽しんでおりました

最後まで愚痴を言わずに(人生の)旅をし続けたことには敬意を表したいと思っております

父に倣って前へ前へ 上へ上への精神で 私たちも この大切な一度きりの人生を楽しく歩んでいこうと思っております 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます

心からの感謝の気持ちを込めて
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2018年1月17日 (水)

たきび124号

<かんちゃん日記>
新しい年を迎え、私たちは、24回目の1.17を迎えます。。たかとりでは、早朝5時46分、この日この時この場所で、みなで心を合わせて祈ります。
被災地の多くの地域では、この日この時この場所で、みなで心を合わせて祈ることができにくくなってきました。記憶が薄れてきてしまったのでしょうか。形骸化してきてしまったのでしょうか。
多くの災害に見舞われる現代の私たちが、人の痛みや苦しみを自分のことのように思いやれるになった出発点1.17
あの日の「過去」を思い出すだけでなく、その日から始まった「今」を忘れないだけでなく、これから「未来」もずっと思いやれるでありますようにと、、この日この時この場所で、祈りをともにしたいです。。

2017年12月25日 (月)

ご挨拶

今から20数年前、スペインから神戸に、子どもたちのサーカス団がやってきました。ベンポスタ子ども共和国という名のボーイズタウンからです。こどもたちだけで「国」をつくってしまうのです。自活のために世界中でサーカスをして生活しています。サーカスのテーマは「強いものが下に、弱いものが上に。子どもはてっぺんに」です。さて、神戸の子どもたちはどういうテーマで「町」をつくってゆくのでしょうか。楽しみですね!
みなさま、初めまして。今年6月から、前任の神林宏和神父様からバトンタッチを仰せつかりました神田と言います。どうぞよろしくお願いいたします。

理事長 神田裕

2017年1月17日 (火)

たきび123号

<かんちゃん日記>
1.17 新年あけましておめでとうごさいます。クリスマスカードや年賀状を頂きありがとうございます。神戸は震災22年を迎えることとなりました。こんなに時を経てしまうと風化が語られたりもしますが、残念なことにも、各地で続く様々な災害を目の当たりにして、それは昨日のことのように、今この時を共感共有することに、複雑な気持ちで22年を迎えています。2017年、世界は反グローバリズムの様相を見せていますが、震災時に手にした言葉はグローカルでした。ローカルに生きながらも目指すはグローバルのスローガン。今こそ震災で学んだことを世界に発信しなければ。。長田から世界へ!

2016年1月17日 (日)

たきび122号

<かんちゃん日記>
1.17 新年あけましておめでとうごさいます。クリスマスカードや年賀状を頂きありがとうございます。去年9月に発生した茨城、栃木、宮城での台風大雨、水災害での古タオルプロジェクトにいち早くご協力頂いた皆様に心から感謝致します。一人の力はささやかですが、二人三人、、集まれば大きな岩をも動かす力になると、あらためて21年間の勇気の源を知ることができました。たかとりは日々進化を遂げながらこれまで歩んでくることができました。そして21年たった今、新たな進化を皆様にお伝えすることとなります。さて何でしょう?このたきびが発行される頃にはどこからともなく皆様のお耳に届くことになりましょう。2016年は世界規模で激動の一年となるのでしょう。大きな時代の節目を感じます。不安な中にあっても微な光を決して見失うことなく、二人三人、、希望を集めて平和な世界を築いて行きましょう!

2015年1月17日 (土)

たかとり20年

阪神淡路大震災20年

20年前にたかとりから配信されたビデオレターです
青池憲司監督が撮影してくれました。
4部作でたかとりの1年が記録されています。
FMYYスタート時の映像やアジアタウンのイベントなど...
たかとり救援基地の活動が収録されています。

2015年1月 2日 (金)

《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》

みなさまお元気でおられますか?

あの日からもう20年になろうとしています。
長きにわたってたかとりとともに歩んで下さり
ほんとうにありがとうございます。

1月には以下の企画を行うことにしました。
これまでたかとりに関わって下さった皆さまとの
再会の場づくりとして企画しました。

今年はちょうど17日、18日が土日となり出かけやすいかと思います。
是非にお立ち寄りくださいませ!
たかとりスタッフ一同 心よりお待ちいたしております。

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《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》
イベント開催のご案内 2015年1月16~18日

16日(金)「テーマ:現在」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    19:00 これまでのボランティアさん方との交流会

17日(土)「テーマ:過去」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
     5:30 1.17追悼と新生の祈りinたかとり
        祈りの後、豚汁をみんなで一緒に! 
     9:00 もちつち
    11:00 交流会
    15:00 1.17 KOBE 灯りin 長田(新長田駅前)

18日(日)「テーマ:未来」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    10:00 日曜日ミサ
    11:30 イベント開会
           多国料理・歌・踊りなど...
    15:00 閉会

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