2020年1月 1日 (水)

あの日から25年

2020年、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

今年は阪神淡路大震災からちょうど25年、その1月17日を迎えます。多くの方々のいのちやこれまで築き上げてきたものが一瞬のうちに奪われた日でした。そして残された私たちの日常もなかなか立ち上がれず苦渋に満ちたものでした。しかしそんな中でも、震災から3か月ほどは、まるで『神の国』が始まったかのようでもありました。苦しい最中であるにも関わらず、どんな人とも壁が取り払われて、優しく声をかけ合い、分かち合うことができたのでした。生まれて初めて見る光景でした。でも残念なことに、しばらくすると『神の国』は見えなくなっていきました。

ある日、広島に呼ばれて震災状況の話しをしに行きました。この話しもしました。休憩時間に一人のおばあちゃんが来られて、「たいへんでしたね。ほんとにご苦労さまです。ところで、私もあなたの言われる『神の国』をみたのですよ。しかも3年ほどでした」と言われました。「それはよかったですね」とだけ応えて休憩時間も終わり会話はそのままになりました。講演も終わってすぐに新幹線で帰途につきました。ふと、先ほどのおばあちゃんの話しを思い出しました。そして、「あっ、原爆!」と気が付きました。「よかったですね」ではなく「たいへんなことでしたね」と言わなければならないことでした。自分の大変だった話しをすることが精一杯で人の話しを聞けなかったことを悔いました。ただ、想像を絶する体験をされたおばあちゃんが歩み寄ってきてくれたのは救いでした。震災体験があったことで戦争体験の一瞬を垣間見させてもらったのでした。

震災25年の体験は、人の苦しみを理解するための体験であればと願います。そして、降ってわいてきたかのような『神の国』は、今度は自らでつくって行くものとしたいです。

2019年12月 1日 (日)

フランシスコ教皇 来日

フランシスコ教皇が日本に来られました。訪日テーマは「すべてのいのちを守るため」です。長崎、広島、そして東日本大震災の被災者、特に福島の人々へのメッセージを世界に向けて発信されました。たくさんのメッセージでしたが、「私流」に短くつないでみました。みなさんはこれ以外にどのことばが印象に残りましたか?今度教えてくださいね。

長崎・爆心地で、「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。」

長崎スタジアムでのミサで、「あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らい、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰宣言です。わたしたち一人ひとりが決断することです。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか。」

広島・平和記念公園で、「わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。」

被災者との集いで、「わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。」

青年たちの集いで、「何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、誰のために生きているのかということです。」

東京ドームでのミサで、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。」

2019年11月 1日 (金)

ラグビーワールドカップ

神学校時代、ラグビー経験者の神学生が何人かいて、私も駆り出されて練習に励んでいた時期がありました。他の球技ではボールは丸が普通なのですが、ラグビーは楕円形で何といびつな形をしているのかと思っていました。転がったらどこへ飛んでいくか分からない。祈りにも近い思いでボールを追いかける。そこがこの球技の魅力でもあるようです。

今回のワールドカップでは日本は南アフリカに負けて残念でしたが、それでもベスト8に入り大活躍でした。これまでの大会での最多失点記録は17145で過去に日本が作っていましたからなおさらの喜びです。

その最多失点を記録したのは神戸で大震災があった1995年の南アフリカ大会の時でした。南アフリカではこれまで人種隔離政策(アパルトヘイト)が続いていて世界の批判を浴びていてスポーツの世界でも国際大会に出場が許されていませんでした。1994年にマンデラ大統領が選挙で選ばれて、人種や宗教を越えての新しい国づくりが始まりました。翌年にはこの国でワールドカップが開催され、南アフリカはみごと初出場、初優勝を飾ったのでした。この時に、国家として歌われたのが、アパルトヘイト下で黒人の人たちが歌っていた歌(前半部分)でした。

「主よ、アフリカに祝福を その栄光が高く掲げられんことを 我らの祈りを聞き届け、あなたの子である我らを祝福したまえ 主よ、我らの国を護りたまえ 御手によりすべての争いを鎮めたまえ 我らと我らの国を護りたまえ この南アフリカの国を、、、」。

これは「祈り」ですね! 国歌が祈りだなんて、苦労を積み重ねてきている国ならではです。この国歌を歌って、違いを超えて一つになる希望への道が動き始めたのでした。

ラグビーと言えば試合終了の合図は「ノーサイド(No-Side)」です。ゲーム終了後は敵味方がなくなるという意味ですが、実は、今でも使っているのは日本だけみたいですよ。世界で使われなくなった理由は分かりませんが、それならば、今度は、日本から世界へ向けて「ノーサイド」を発信して行きたいですね!

2019年10月 1日 (火)

タオルはちゃんと洗っているの?

震災後に救援基地となったたかとり教会には多くのボランティアの人たちが来てくださった。たくさんの物資も届けられた。
ある日小さな箱が届いた。遠いところの見知らぬおばあちゃんからだった。中に手紙がありこう書かれていた。「テレビで見ているといつも首にタオルをかけているようだが、、、ちゃんと洗っているの?」 箱の中に数枚のタオルが入っていた。
小さな贈り物に笑顔が出た。ともすれば孤独に陥ってしまう被災地。小さな優しさが勇気を与えてくれた。
”タオル”に元気をもらったたかとりは、25年たとうとしている今も活動が続けられている。
あの日キリスト像にも”タオル”を分けた。私にとって”タオル”は震災の宝物だ。


この文章とともに写真とタオルが下記で展示されます
仮称)未来へ想いを伝えよう「117 BOX・いいなの箱」展
会期:2019年10月8日~2020年2月24日
会場:阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター

Img_7274

2019年9月 1日 (日)

福島

東日本大震災から8年5か月の時が過ぎました。日本のカトリック教会はオールジャパンで支援を続けてきています。3教会管区から集まる仙台教区サポート会議もこの8月で51回目を迎えます。日本の司教団は被災から10年となる2021年3月まで支援を継続すると約束しています。なので、あと1年半ほどで大きな節目を迎えようとしています。

会議で東北へ行くたびに少しずつ復興への変化が見られ嬉しいことですが、ただ阪神淡路大震災に比べて復興への道のりは数倍の時間がかかりそうです。地震だけではなく津波の被害は甚大なのと、自然災害だけではない人災も加わっているからです。

今回、福島は南相馬で集まり、ベース活動や福島の各教会で行われている支援活動状況の報告を受けました。現地視察は浪江町、双葉町、大熊町、富岡町へ。放射性物質を含むものを入れた真っ黒のフレコンバッグが延々と並び積まれている。ほとんどがまだまだ帰宅困難区域です。この夏、浪江のイオンがオープン。南相馬の海水浴場が再開。富岡漁港がもうすぐ再開で福島県すべての10か所の漁港が稼働。来年春までにはJR常磐線が全線再開と希望の持てる動きも確かにあります。でも戻ってくる住民はほんの僅か、地元に愛着のある高齢者がほとんど。10年先20年先には町はどうなるのか。

かといって私たちには具体的に何もできない。ただ、時を経るごとに地域差、個別化の問題が広がりますます分断されていく「福島」を忘れないことと、寄り添うことはできるはず。

11月末に教皇様が日本に来られる。福島まで来られないかもしれないが、福島からの声を届けたい!教皇様からの励ましのメッセージも欲しい!みんな大いに期待している!!

2019年8月 1日 (木)

丹波篠山に、、3

前回お知らせしたように、月に一度の丹波篠山での集まりに郡家にある曹洞宗長楽寺のお坊さんに来ていただきました。いつもは数人での集まりですが、この日は○○さんと△△さんの御主人も信者さんではないけれど参加、三田教会からも10人乗りの車で大挙して行きました。

先ずはミサから。お坊さんもミサは初体験。「このお煎餅みたいなのはなにですか」の質問からスタート。1.17震災法要では、いつもたかとり教会で祈って下さっているので「ごらんよ空の鳥」は覚えておられた。最後の祝福の前に、みなで般若心経を唱えたのですが、お坊さんのお経を唱える声は聴いていて心地よいしお腹にポトンと入ってきますね。

ミサの後は、いよいよお坊さんのお話を聞くことに。宗派は違うけれど、漫画の「一休さん」みたいなお坊さんです。面白いお話しやちょっと考えさせられるお話しなどなど。何よりもその場を和ませて下さる話しぶりはさすがですね。それだけで満足だったですが、なんとビックリ、後半はギターとハーモニカの楽器付きで皆さんと歌を歌ってくださったのでした。すごいなぁ。そしてお話しの後は、皆で持ち寄った食事を口にしながらの歓談。楽しいひとときはあっという間に過ぎてゆきました。

場所を提供し準備して下さった〇〇さん、みなが来るということでお家のお掃除や庭の草抜きは大変だっただろうと思います。他の方も、資料の準備や典礼の準備、食事の準備をしてくださり、ありがとうございました!

丹波篠山地区の皆さんが宗教や宗派による違いを超えて同じ地域の仲間として「まちづくりやひとづくり」に関わることも私たちの信仰生活のひとつだと思います。そのためには自らの信仰をしっかりと持っていることが大切ですね。そして違いを超えて出会ってゆくことで神さまはきっと恵みを注いでくださることでしょう。

今度は出かけて行ってお寺でお話しを聞きに行きましょうか。(^^)

2019年7月 1日 (月)

丹波篠山に、、2

F1グランプリというのがある。カーレースでの世界選手権。昔、私がよく見ていたころはセナ選手が有名でした。新幹線よりも速いスピードで競い合うのでとても危険なのですが、市街地を走るモナコGPがとても迫力があって見入っていました。
K-1グランプリというものもある。Kは空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの格闘技のKでジャンルを超えてKINGを決める。これはスポーツなのだけど痛そうなのでちょっと見るのは苦手かな。
M-1グランプリというものもある。これはお笑い系で、漫才のナンバーワンを決めるコンクール。笑いでもってみんなを楽しくしてくれるのでいくら競ってくれてもいいですね。
H1グランプリというのもある。うん?何だろう?H1グランプリのHは法話。お話の上手いお坊さんのナンバーワンを決めるのだそうです。題して、宗派を超えて、もう一度あいたいお坊さんを選ぶ、夢の法話共演、とある。今を、そして未来を力強く生きていくためのヒントやきっかけを感じ知ってもらうためとある。ただ単に面白いだけではないのですね。そして、優勝したのは、篠山にある曹洞宗長楽寺のお坊さんだ。あっ、こないだ一緒にお蕎麦を食べたお坊さんだ。早速お祝いの電話をして、篠山集会に来てお話しくださいとダメもとで厚かましくも頼んでみたら快く引き受けてくださった。7月の篠山集会楽しみ!
S1グランプリというのがある?S1説教グランプリ。ほんと?神父たちの夢の説教共演?あかんあかん、これはあかん、みんな寝てしまう。

2019年6月 1日 (土)

丹波篠山に、、

5月1日から、篠山市は丹波篠山市と名称が変更となりました。10年前に氷上町あたりが丹波市となったことが発端になりちょっと騒動に、その1年後には京都に京丹波町も誕生しました。隣同士が、我こそは「丹波」だと張り合っている感もありますが、元々は広い広い「丹波国」の同じ仲間。これからは「丹波」つながりで共に協力し豊かなまちになっていってもらいたいです。
丹波篠山の○○さん宅で月に一度数人でミサをしています。風光明媚な田園に囲まれたお家で、ミサが終わり玄関の扉を開けると、目の前に丹波富士(高城山)がドンと座っている。戦国時代の山城(八上城)です。この城で、人質とされていた明智光秀の母親(明智牧)が磔になったと言われています。細川ガラシャ(明智玉)の祖母ということになりますか。このことが、本能寺の変へとつながり、ガラシャの非業の最後へとつながっていくのでしょうか。私がこれまで居た大阪カテドラルは細川忠興の屋敷跡に建っています。ここでガラシャは壮絶な最後を遂げました。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と。戦国時代の悲しい出来事です。
来年のNHK大河ドラマは明智光秀の生涯です。「丹波」に注目が集まり、それぞれの地域で、よい「まちづくりひとづくり」へとつながって行けばいいですね。
余談ですが、名称変更と言えば、震災10年たった2005年1月17日に、同じ神戸中ブロックにある「カトリック鷹取教会」は「カトリックたかとり教会」へと名前を変えました。震災からの再建が単に復旧ではなく新生であるとの教区の方針に沿って、新たに歩み始めるシンボルとしての変更でした。
新しいぶどう酒は新しい革袋に、、「名」「実」ともに新たにされていきたいですね。

Img_5217

2019年5月 1日 (水)

ご復活おめでとうございます!

三田教会のみなさま、ご復活おめでとうございます! 受難の主日から聖週間に入り、聖なる3日間を過ごし、そして春の喜びとともにご復活を祝うことになりました。

受難の主日には、枝を掲げて、主のエルサレム入城を迎えました。その枝は聖書の記述からすると本来はナツメヤシですが、みなが掲げたのは、奄美大島の大笠利教会から送って頂いたソテツでした。大島にはたくさんのソテツが生息しています。そのソテツは島の人たちの生活を支えピンチを救ってきたのだそうです。

その昔、江戸時代後期、薩摩藩に収める年貢が米から黒糖に代わりました。米作りには島の土壌が適してなかったのですね。島中の畑や水田はほとんどサトウキビ畑になってしまいます。たくさん作らなくてはならないため山も段々畑になりました。段々畑は、普通は石で縁を固めますが島には石があまりなく、代わりにソテツを植えて段々畑にしました。ソテツは丈夫な根をしっかり張って段々畑を支えたのでした。それでも島の人たちはその黒糖を口にすることはできませんでした。島の人たちの主食はサツマイモでしたが、ソテツはいざというときの食糧にもなりました。ソテツはそのままでは毒ですが、島の人たちは実や幹を刻んで水にさらして天日に干し何度もその作業を繰り返して毒を抜いてでんぷんを取り出し食糧難の時に飢えを凌いだそうです。また鉄分が多い貧しい土壌から工夫をして、島の人たちは泥染めを生み出してきました。古くから伝わる絹織物、大島紬ですね!それも、島の役人以外は着られなかったそうです。そう考えると、受難の主日にソテツを手にするとき、自らの受難を乗り越えてきた島の人たちのことも思い起こしますね。

鉄分の多い島の土壌で育ったソテツは、漢字で蘇鉄と書きます。枯れてしまいそうになる時に鉄くぎを打ち込むと元気を取り戻すと言われているからだそうですよ。くぎを打ち込まれて蘇る、、だれかからイエスの受難と復活みたいですねと言われて、そういえば、、いえいえ、違いますよ!キリストの復活はただの蘇生のことではないですからね。

聖金曜日はピンクムーンでした。4月の満月のことをネイティブアメリカンの人たちはそうよんでいるのだそうです。でも月がピンク色なのではなく、春になって色鮮やかに咲くシバザクラなどの花の色から来ているそうですよ。悲しみに暮れた受難の時が、終わりの時ではなく新たないのちの始まりの時であると、今年はピンクムーンも教えてくれましたね。

そして、今年も復活の日を迎えました。でも、喜べと言われても日常が辛くて喜べないのも私たちですね。辛い人生はなくなることはないのでしょう。だからもっと自分は慰められたい、でも、いま目の前にいるあの人のことを慰めてあげよう。もっと理解されたい、でも、隣にいるあの人のことをちゃんと理解しよう。もっともっと愛されたい、でも、それよりもあの人のことを愛そう。。。きっとその中にこそほんとうの喜びの秘密が隠されているのかもしれませんね。

受難と復活の神秘は、そんな祈りへと、そして喜びへと私たちを導いてくれるのでしょう。

2019年3月 1日 (金)

三田教会ノースエリア

三田教会のエリアはとっても広いですね。篠山、柏原、丹波へと、兵庫県の真ん中を越えてまだ北に延びて、ちょっとした遠足になります。

バレンタインデーの日、雪が降る中、午前中は篠山の○○さん宅で数人が集まりミサとお話しで楽しいひととき。焼き栗いただいておいしかった。午後からは車に乗って遠足に出た。柏原の〇〇さん宅へ。お母さんと三男の息子さんと初めてのご挨拶。ここのお家の敷地をお借りして宣教師の神父さんたちが集会所を建てて拠点としてられたのですね。大阪教区に柏原集会所が20年ほど前まであったのを覚えています。挨拶の後、息子さんが親切に案内くださってcafé Bon Neurへ。柏原で結構老舗の喫茶だそうですが、お店の看板はとても垢抜けていておしゃれな感じ。お店の名前もフランス語。幸せっていう意味なのかな?ここは○○さんのお店。お母さんと一緒に経営してられる。若い頃はサーファーだったそうですよ。そういえばまだその雰囲気が。柏原の駅前にはからくり時計櫓が珍しい。そして、そこから一気に青垣町へ。一部無料の専用道路があって北へスイスイと。たどり着いたのは、散髪屋さん。○○さん宅です。明るく元気なお母さん。しばらくしてお父さんも戻ってきた。今度はムジカ神父のことで話しの花を咲かせましょう。隣の新聞配達所で仕事していたのは娘さん。再び車に乗って今度は、春日局に会いに春日町へ。○○さんのお宅はどこだろう。あたり一帯のお家は何とみな同じ苗字だ。名前は、お福ではないし、困ったな。電話をかけてみたらおじいちゃんが出てきたけど耳が聞こえない。結局お留守でお局さんにはお会いできずまた次回に。最後に、もう一度篠山に戻り、曹洞宗長楽寺へ。1.17にたかとりで一緒にお祈りくださったお坊さんにご挨拶を。1時間以上もおしゃべりして、今度一緒に蕎麦を食べに行く約束をして、丸一日かけた遠足を終え帰途についた。

兵庫各地に点在する三田教会の信者さんたち。遠くてなかなか教会まで来れないけど、みなさんそれぞれの地で、お店やご近所づきあいを通して、町の人たちとよい交流を持ち、まちづくりひとづくりに貢献しておられることでしょう。明るく元気に地域の人たちと交わることこそ、大切な福音宣教ですね。

2019年1月17日 (木)

たきび125号

<かんちゃん日記> https://tcc117.jp/
欧州のとある国の首相が、新年に向けた挨拶で、「他国の利益にも配慮することが結果的に問題解決につながるというのが、2度の世界大戦の教訓だったはずなのに、こうした考え方は、もはやすべての人に共有されているわけではない」と語っていた。2019年世界は益々自国中心主義の道を歩むのだろうか?たかとりの震災復興は、多文化なまちづくりを目指しての歩みだ。外国からきた人たちが心細い思いをしないで住めるように配慮することでもあるが、それよりも、外国の人たちが同じまちに暮らしていることが、まちにとって迷惑なことではなくて、実は、まちが活性化し豊かに潤っていくことだと知っているからだ。たかとりの仲間たちはその考えを共有している仲間たちだ。たかとりのキャッチフレーズ「ゆるゆる多文化 いとをかし」とともに、風潮に流されずに信念を持って世界に発信していきたい。
カンダヒロシ

<AMARC> https://tcc117.jp/amarcjp/
新年おめでとうございます。2018年は日本も海外も災害の多い一年でした。インドネシアでは昨年末に火山噴火によって火山島が崩れ、それが海に流れ込んで津波が発生し、多くの方が犠牲になりました。こうした災害に対応するとともに、復旧・復興の過程で誰も取り残されることがないように小さな声を社会に伝えていく道具として、あるいは防災の知識をコミュニティに広めて行く道具として、阪神淡路大震災(FMわぃわぃ)以来、コミュニティラジオは大きな役割を果たしてきています。2018年は、インドネシアでコミュニティラジオの防災面における有用性が広く社会に認知され、災害が発生したら直ちに臨時災害ラジオ局(コミュニティラジオ局)を開設できる仕組みができました。これは日本に次いで二番目で、日本とインドネシアの間での「防災とコミュニティラジオ」の経験の学び合いと協働の成果です。2019年は、それをより中身のあるものにしていくとともに、世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)の仲間たちとともに、ネパールやフィリピンなど災害の多い他の地域に災害ラジオの経験を広げていく、スタートの一年にしたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。
ヒビノジュンイチ

<アジア女性自立プロジェクト> https://tcc117.jp/awep/
何を語り伝えるのか。昨年は「伝える」ことの多い1年でした。1つは大学生を中心に若い世代の方々がAWEPの活動に関わってくださったり、訪ねてきてくださったりと、活動の来歴や背景についてお話しをよくさせていただいたこと。2月にある新聞にAWEPの活動が取り上げられたことをきっかけに、神戸市長の訪問があり、新聞を読んだという人が訪れてくれました。関東からエシカル消費を勉強する学生のチーム、ボランティア希望の大学生も訪問し、途上国の女性の課題について耳を傾けてくれました。2つには、高校や大学、公共施設などで講義、講演の場でした。テーマとして多いのは、フェアトレードについてや、途上国の女性の人権の問題、日本国内の外国人女性の状況についてなどでした。AWEPの活動対象の女性たちは、一般の市民に方にとってはまだ身近に見える存在ではないかもしれませんが、私たちが介在し橋渡しすることによって「遠い彼女たち」の人権の問題が少しでも「我がこと」として考えるきっかけになってくれればと思っています。現場の戸惑いをよそに、2019年は性急な法改正によって外国人労働者の受け入れが進みそうです。AWEPがどんな役割を果たすべきなのか、社会の変化を見据えて一人ひとりに寄り添うスタンスを大事にしながらAWEPらしい活動を続けていきたいと思います。お力添えをよろしくお願いします。
ナラマサミ

<多言語センターFACIL> https://tcc117.jp/facil/
遠隔通訳という言葉を聞いたことがありますか? 通訳はふつう同じ場に同席して違う言語のやりとりを訳しますが、通信技術の発達によりパソコンやタブレット、スマートフォンを使って遠くにいても通訳ができるようになりました。それを遠隔通訳と呼びます。2018年から東和エンジニアリングという会社の協力を得て、この遠隔通訳の仕組みを使ってベトナム語の医療通訳を始めました。平日の9時から5時30分までFACILの事務所にベトナム語通訳者がいて、病院からの通訳依頼に応えています。TCCの仲間、ベトナム夢KOBEにも協力してもらい、必ず誰かがいつかかってきてもいいように待機しています。遠隔通訳では急に病院から連絡があり、事前情報が少ないなか、すぐに難しい内容の医療通訳をしなければならないことも少なくありません。みんなで勉強しながら、少しでも病院で困る患者さんの力になりたいとがんばっています。長年にわたって、病院の「ことばの壁」をなくしたい、医療通訳を制度化したいという一念で続けてきた医療通訳事業ですが、通訳者もコーディネーターもチャレンジし続けています。2019年も臆せず、さまざまな「ことばの壁」を乗り越えるお手伝いをしていきたいです。
リユミ

<エフエムわいわい> https://tcc117.jp/fmyy/
新年あけまして、おめでとうございます。コミュニティメディアFMわぃわぃです。2016年3月でラジオではなくなり、インターネットでの配信になりました。それは、想像以上に大きなニュースとして地域に受け止められたようです。なんとすぐ近くのお店でお昼を食べたCrewから「FMYYって無くなったんでしょ。何しにFMYYに行くん?てお店の人に言われました」ととっても哀しそうな報告。ラジオ電波は、総務省に返しました。が、FMわぃわぃはまだまだ元気です!プレハブ時代を知っている人も、最近新しく参加した人も、そして10数年ぶりに戻ってきた人も、いろんな思いを実現できる場所としてFMわぃわぃを活用しています。例えば毎月の第2土曜は、子どもがメインパーソナリティの番組があり、夕方には、中学生たちが部活帰りに自分たちの日常について語る番組があります。土曜の母語教室のラテンの子どもたちとも交流、そして子どもの周りには、親だけではない大人がいて、いろんな視点で子どもを見守り、親も子どもも、なかなか家庭や学校で言えない悩みを分かち合うひと時となっています。ここでの出会いは、それぞれの地域に持ちかえることとなり、それがまた次の人々と共に戻ってきて、新たな出会いが繋がりあう。コミュニティのためのコミュニティの力となるはずのそんな知恵のやり取りができる場所!としてFMわぃわぃは活動しています。あなたもまずは土曜日12時からの「ワンコイン番組」、地域に開かれたこの場所に参加してみませんか?FMわぃわぃはいつでもあなたのおいでをお待ちしています!
キムチアキ

<ワールドキッズコミュニティ> https://tcc117.jp/kids/
多文化な背景を持つ子どもたちによる表現活動“Re:C”のサロンは、ベトナム夢KOBEの母語教室に参加する子どもたちを中心に、にぎわっています。友だちや兄弟、親、先生などとの関係がうまくいかなかったりして、胸の中でわだかまりうごめいている感情がうまく言葉にできないまま、うつむいたり、もじもじしたり、頭をかいたり、ふくれてみたり、泣き出したり。たびたび、そんな振る舞いをみせる子どもたちを前にするとき、掛ける言葉を探すよりも、空気が張りつめたものにならないように気づかいながら、ぼんやりと時間や空間の流れを眺めるよう努めていることが多いです。言葉は心の形を作り、社会の形も作り、どれほど巧みに操れるかで時々の立場も変わっていきます。でも巧みに話しているつもりでも、ふと上滑りしていると気づいて、はずかしくなる言葉もあります。日本語であれ、母語であれ、子どもたちが胸の中でうごめく感情を租借しながら、ゆっくりでもいいので自分の言葉を身につけていける、そんな時間と空間を大切する社会を広げていけるように、今年も活動していきます。
ムラカミケイタロウ

<ベトナム夢 KOBE> https://tcc117.jp/vnkobe/
この頃、テレビをつけていると、「外国人技能実習生」、「留学生」という言葉とあわせて、「ベトナム人」という言葉を耳にします。事実、ベトナム人の数は、急激に増加しており、そのほとんどが技能生か留学生として来日しています。ベトナム夢KOBEでも、ベトナム人留学生がスタッフとして活躍してくれているだけでなく、ベトナム人技能実習生、留学生から相談を寄せられることが増えてきました。彼・彼女らが大変な状況に置かれていることは事実ですが、ベトナム人を含む外国人をめぐる報道の一部のあり方に疑問を持つことがあります。たとえば、技能実習生本人が労働環境の劣悪さを語り、視聴者に入管法について検討を促すという特集を組んだニュース番組を何度かみました。このような報道のあり方は、今、日本で起こっている外国人をめぐる出来事は、「外国人の問題」であるかのようにみえてしまいます。しかしながら、それらは外国人の問題ではなく、私たち自身の問題であり、現在、起こっている出来事に対する受け止め方に問題があるのではないかと思います。外国人が入ってくることに不安を感じている人もいますが、経済成長を遂げ「成熟した」社会では労働力を他国に頼らざるをえないことは、欧州各国の事例からもわかります。成熟した社会の一員であるならば、自分たちが他者に頼らざるを得ない存在であることを自覚し、支えてくれる人びとに対して適切な向き合い方を考えていきたいです。
ノガミエミ

<ひょうごラテンコミュ二ティ> https://www.hlc-jp.com/
昨年も、私たちは、とても、とても、充実していました。フィエスタペルアナ神戸や、ラテンクリスマス神戸という大きなイベント。そして、月2回あるスペイン語母語教室や毎週水曜のラジオ生放送、各講演活動など、とても、必要性を感じる場面が沢山ありました。その結果、この、ココロを寄せてきた長年の活動が讃えられ、2018年12月に、世界的社会奉仕団体である神戸キワニスクラブより『神戸キワニス社会公益賞』を頂きました。輝かしくもこれかからの励みとなる賞だと思っております。今後もコミュニティの皆様のお役に立てるよう活動を少人数ながら工夫しチカラ合わせて、活動していきますので、今後の活動ご支援、どうぞ、よろしくお願いいたします!
オオシロロクサナ

<リーフグリーン> https://tcc117.jp/leaf/
明けましておめでとうございます。阪神淡路大震災の救援活動から生まれた「リーフグリーン」は、2020年4月に20周年(成人式)を迎えます。設立当初から代表を務めて参りました私も高齢になり、このところとみに気力・体力共に衰えを感じるようになりました。若いスタッフ達が立派に育ってきましたので、本年5月の総会に於いて理事の任期満了を迎えるのを機に、後進に道を譲ることといたします。今日までスタッフやTCCの仲間、地域の皆様はじめ多くの方々に支えられて、楽しく活動を続けて来られたことに深く感謝しております。振り返れば「リーフグリーン」を通して、なんと多くの方々と出会わせて頂いたことでしょう。そのほとんどの方々が先に天国へ召されましたが、今日までのすべての出会いが愛おしく、宝物のように思い返されます。今後は体力の続く限りヘルパーとケアマネの仕事を続け、若い人たちの邪魔にならないように、そっと「リーフグリーン」の運営を支えて参る所存です。これからも初心を忘れず、お互いを大切にしながら支え合い助け合って、歳をとっても障がいを持っても暮らし続けられる地域社会の実現を目指して頑張りますので、若いスタッフ達にも変わらぬ愛情とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
ヨシモトカツコ

<野田北キッズ> http://nodakita-furusato.net/
野田北部地区に住む子供達の活動の活性化に向かった4月の総会で、青少年育成活動の見直しと子供達の自主的な活動として発足3年目に当たる「野田北キッズ」に力入れることが決まった。これまでの全市で活動していた子ども会活動が退化して久しい。盛んであった頃は、子ども会ばかりでなく、ボーイスカウトやガールスカウト、神戸市の少年団活動など組織的活動を町や自主的団体よって主に休暇を利用しての活動が盛んであった。子供達もどこかに参加して大いに楽しんでいたし、私も神戸市少年団活動で主に宿泊キャンプ活動を通して、子供達と余暇を楽しく過ごしてきた経過を持つ。本地区でもO.Kさんを中心に、保護者を取り込んで活動されていた。子供達も楽しみにしていた。その良さを感じて、私も刷り物については協力させていただいていた経過を持つ。阪神淡路大震災、公職を引いた時から自治会の仲間に入れてもらい、須磨アルプスの鉢伏山、旗振山の登山と須磨海岸での水遊びや須磨離宮公園の植物観察で園長さん自らのご案内で堪能させてもらった頃が印象に残っている。一方では40才台以上の参加可のゴルフコンペも年に数回実施されていた。最近は参加者の年齢が高くなるにつれて参加者が減り、女性も簡単に参加できるミニゴルフ大会に変わっており、現在は、F.Kさんがリーダーとなってから参加者も増えている。本年度は夏祭りや消防訓練の時にホールインワンワンゲームを取り入れて好評である。小・中学生の参加もあり、老人層との「ふれあい」ができている。少しは「まち」としての意識がまとまってきたかなと思う。一方、子ども会の方は、震災後、新築なった「野田北部ふれあいセンター」が建って、成人や老人の集まる場所、子どもの集まる場所の保障ができ、大人の年末警戒「夜回り」に子供たちの参加を認めてもらう、夏のラジオ体操参加後の環境局と共に「ワケトンサポーター」養成講習会(2回実施)、防災訓練への参加。1.17追悼会への参加者が徐々に増えてきたことである。今年度できれば、消防署見学・卒業期に「ありがちう会」なども計画している。嬉しいことは、昨年に引き続いて、「クリスマス会」2回、ハロウィン1回と実行委員会制度を立ち上げ、小学校生4年生が「ハロウィン」、「クリスマス会」は6年生の「てらこや」子も加わって、計画、準備、練習、実施、反省と関わったことである。残念なことは、小生が緊急入院してしまい、当日の最後のところが見られなかったことがある。校区編成で来年度から諸属校が二つに分かれての子供達であるが、「地域は一つだよ」と言って今後の参加を呼びかけたい。1.17の会も昨年と同様にこなし、25周年には、協力をしてほしいと願っている。また、ここまで立ち上がって子供を支えて下さった各位に謝すばかりである。
イワタマサユキ

<ひょうごんテック> https://tcc117.jp/hyogontech/
新年あけましておめでとうございます。2019年が始まりました。平成最後の年、ITの世界でも変わり目の一年です。ISDN終了は先送り(2025年まで延長)、一時は大騒ぎしたサマータイム導入は見送られましたが、年号改定、消費税改定、ソフトウェア(Windows7やOffice2010など)のサポート終了が理由で、パソコンの新規購入や再インストールが必要になるなど、IT担当者にとっては気の重い年になりそうです。去年からTCCの各団体に呼び掛けていますが、Windows10への移行は徐々に進むようになってきました。一方で、FMYYのサイマル放送(インターネットを使った同時配信)は休止になる予定です。他にも、団体によって、使用を止めたり、別のやり方に移行したり、まだ模索中のシステムがあります。クラウド移行についてはグループウェアや会計ソフトなどで利用されていますが、文書や画像などの共有についてはまだ進んでいません。ひょうごんテックでも年末から年始にかけて、事務局のパソコンをWindows10にしました。ハードディスクはSSD(半導体メモリをディスクドライブのように扱える記憶装置)に変えましたが本体は今までの物を流用しています。他の団体でもWindows10になっても使えるハードウェア(おおよその基準は2010年以降に購入したもの)は使い続けるようにしています。但し、大事なデーターを保存するサーバーやNAS(ネットワーク接続記憶装置)は5年を目途に交換を提案しています。各団体とも、ITに関しては尻込みしたり、予算も時間も取れない中、無理せず慎重にサポートして行きたいと思っています。
オガタカズヤ

2019年1月 1日 (火)

2019年 FMYY新年挨拶

https://youtu.be/m_IcmKgIOTs

 

みなさん、新年あけましておめでとうございます。FMYYの神田裕です。神戸市長田区海運町のスタジオから、インターネットを通して放送をお届けしています。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災、その時全国から救援に駆けつけて下さった仲間たちと共に、この放送局はスタートしました。そして、もうすぐ震災から丸24年を迎えます。

 

24年前の阪神淡路大震災から活動が始まった たかとり救援基地には 今も10の団体が元気に活動を続けています。アジア女性自立プロジェクト、ベトナム夢KOBE、多言語センターFACIL、ひょうごんテック、ひょうごラテンコミュニティ、リーフグリーン、ワールド・キッズ・コミュニティ、世界コミュニティラジオ放送連盟日本協議会AMARCJapan、野田北ふるさとネット、そしてFMYYです。

 

今月の17日にも新長田駅前にて、「1.17KOBEに灯りをinながた」のロウソク追悼行事が行われます。1999年の台湾大震災や2004年のスマトラ沖地震での被災地交流でつながった仲間たちもやってきます。これまで番組に携わってきた子どもたちもひとつ大人になり、親たちや先生たちとの新たな出会いの番組も始まりました。FMYYはこれまでの活動でつながった多くの人たちとの世代や国籍を越えた交流の場となっています。

 

去年も災害の多い一年でした。私たちのいのちを育んできたこの大地は大きく揺らぎ、荒らされ、多くの人々のいのちを奪っていきました。地震や津波など、いつ襲ってくるか分からない自然の力は想像をはるかに超え、それらに対して無力であることを身に染みて感じてきました。しかし、私たちは優しさと知恵を寄せ集めながら前へ前へと進んできました。自然に対する恐れや憎しみではなく、自然と仲良くつき合って行く謙虚さを学びながら、希望を持って、まちづくりひとづくり を続けてきました。

 

更にもう一つ、私たち自らが作り上げてきた脅威にも苦しめられてきました。国と国とを隔てる目に見えぬ壁は防波堤よりも高く積み上げられ、恐れや憎しみを生み出してきました。また、いのちを育んできたこの大地は、一瞬のうちに汚染され、住むことさえも難しいものとなってきました。しかし私たちは、それらのことに対して無力であることは決してないはずです。私たちは知恵と勇気を寄せ集め、誰がどこに住んでいても、一人一人のいのちが大切にされる、そんな まちづくりひとづくり を続けていきます。

 

震災の時、私たちはお互いを励まし合うため声をかけ合いました。声をかけ合うことによってお互いを知ることができました。お互いを知ることによって、まちづくりが始まりました。FMYYはこれからもそのことを忘れません。一人一人が大切にされ、誰一人忘れ去られることのない まちづくりひとづくり を目指して、FMYYは今年もあなたの元へ飛んで行きます。

 

神田裕

2018年12月25日 (火)

少年の町はクリスマス

クリスマスの12月25日はイエスの誕生日!ではなくて?イエスの誕生を記念する日です。喜びの日のはずなのですが、実は一年で一番夜が長くて暗くて寒くて、最悪の日なのです。なんでわざわざこんな日に。教会で飾られているイエスの誕生のシーンはなんと、馬小屋。うぶぎに包まれて寝かされているのはお布団ではなくて飼葉(かいば)桶(おけ)、最悪です。喜びの日のはずなのに。でもちょっと待って。馬がご飯を食べる飼葉桶はどこにいてもいつも帰っていくところ。立ち帰る場所、故郷(ふるさと)、そして少年の町。闇から始まる人生のスタート。その闇が大きい時こそ光への憧れは強くなる。自分の闇を本当に知るものこそ光を知ることができる。明るいところでは光を見ることができないからね。そんなこと言われてもなかなか自分で見つけられない。でも心配しなくていい!ここには一緒に光を見つめてくれる力強い兄さん姉さんたちがいる!そして何よりも、神さまがいつもみんなをあたたかくまもってくださっている。

2018年12月 1日 (土)

ムジカ神父と私

初めてですので自己紹介を。

尼崎生まれの尼崎育ちで、尼っ子。漫画「忍たま乱太郎」作者の尼子騒兵衛は同級生。地元公立の小中高、そして大学へ。唯一のミッションは幼稚園、そして神学校。1988年に司祭となり(司祭生活も今年でちょうど人生の半分で節目の時)、阿倍野、玉造の助任を経て、たかとり教会へ主任として赴任。そして4年後の1995年に阪神淡路大震災。聖堂は全壊し全焼。がれきの片づけから始まり救援基地へ。震災復興のまちづくりの拠点となり現在もNPOたかとりコミュニティセンターとして10の団体が教会敷地内で活動している。2007年に司牧現場から離れ教区本部事務局へ。そしていま三田教会の担当となりました。

両親の結婚は尼崎教会でムジカ神父。幼児洗礼は(ムジカ神父が休暇で帰国のため)助任のシャユー神父に。(私が神学校へ行く直前にシャユー神父は帰天でバトンタッチされた感)。毎年誕生日にはムジカ神父と記念写真。この写真は4歳。私が小学校へ上がる時にムジカ神父はたかとり教会へ赴任(26年後に私が赴任)。私が中学3年の時に三田教会へ赴任(45年後に私が担当)。ムジカ神父が明石に赴任のときから三十数年関わってこられた神戸刑務所宗教教誨師も2000年にバトンタッチ。というわけで、なにかとパリミッション会の影響を受け、なにかとムジカ神父の足跡を歩むような感じでこれまで来ました。

ムジカ神父はフランス人ですがバスク人。いつも素朴で朗らかで明るく、お話し好きワイン好きなムジカ神父。宗教宗派も越えて誰からも愛され続けたムジカ神父。足跡を歩むだけではなく、信仰や人生観も追随したいものです。

2018年1月17日 (水)

たきび124号

<かんちゃん日記>
新しい年を迎え、私たちは、24回目の1.17を迎えます。。たかとりでは、早朝5時46分、この日この時この場所で、みなで心を合わせて祈ります。
被災地の多くの地域では、この日この時この場所で、みなで心を合わせて祈ることができにくくなってきました。記憶が薄れてきてしまったのでしょうか。形骸化してきてしまったのでしょうか。
多くの災害に見舞われる現代の私たちが、人の痛みや苦しみを自分のことのように思いやれるになった出発点1.17
あの日の「過去」を思い出すだけでなく、その日から始まった「今」を忘れないだけでなく、これから「未来」もずっと思いやれるでありますようにと、、この日この時この場所で、祈りをともにしたいです。。

2017年12月25日 (月)

ご挨拶

今から20数年前、スペインから神戸に、子どもたちのサーカス団がやってきました。ベンポスタ子ども共和国という名のボーイズタウンからです。こどもたちだけで「国」をつくってしまうのです。自活のために世界中でサーカスをして生活しています。サーカスのテーマは「強いものが下に、弱いものが上に。子どもはてっぺんに」です。さて、神戸の子どもたちはどういうテーマで「町」をつくってゆくのでしょうか。楽しみですね!
みなさま、初めまして。今年6月から、前任の神林宏和神父様からバトンタッチを仰せつかりました神田と言います。どうぞよろしくお願いいたします。
 

2017年1月17日 (火)

たきび123号

<かんちゃん日記>
1.17 新年あけましておめでとうごさいます。クリスマスカードや年賀状を頂きありがとうございます。神戸は震災22年を迎えることとなりました。こんなに時を経てしまうと風化が語られたりもしますが、残念なことにも、各地で続く様々な災害を目の当たりにして、それは昨日のことのように、今この時を共感共有することに、複雑な気持ちで22年を迎えています。2017年、世界は反グローバリズムの様相を見せていますが、震災時に手にした言葉はグローカルでした。ローカルに生きながらも目指すはグローバルのスローガン。今こそ震災で学んだことを世界に発信しなければ。。長田から世界へ!

2016年1月17日 (日)

たきび122号

<かんちゃん日記>
1.17 新年あけましておめでとうごさいます。クリスマスカードや年賀状を頂きありがとうございます。去年9月に発生した茨城、栃木、宮城での台風大雨、水災害での古タオルプロジェクトにいち早くご協力頂いた皆様に心から感謝致します。一人の力はささやかですが、二人三人、、集まれば大きな岩をも動かす力になると、あらためて21年間の勇気の源を知ることができました。たかとりは日々進化を遂げながらこれまで歩んでくることができました。そして21年たった今、新たな進化を皆様にお伝えすることとなります。さて何でしょう?このたきびが発行される頃にはどこからともなく皆様のお耳に届くことになりましょう。2016年は世界規模で激動の一年となるのでしょう。大きな時代の節目を感じます。不安な中にあっても微な光を決して見失うことなく、二人三人、、希望を集めて平和な世界を築いて行きましょう!

2015年1月17日 (土)

たかとり20年

阪神淡路大震災20年

20年前にたかとりから配信されたビデオレターです
青池憲司監督が撮影してくれました。
4部作でたかとりの1年が記録されています。
FMYYスタート時の映像やアジアタウンのイベントなど...
たかとり救援基地の活動が収録されています。

2015年1月 2日 (金)

《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》

みなさまお元気でおられますか?

あの日からもう20年になろうとしています。
長きにわたってたかとりとともに歩んで下さり
ほんとうにありがとうございます。

1月には以下の企画を行うことにしました。
これまでたかとりに関わって下さった皆さまとの
再会の場づくりとして企画しました。

今年はちょうど17日、18日が土日となり出かけやすいかと思います。
是非にお立ち寄りくださいませ!
たかとりスタッフ一同 心よりお待ちいたしております。

/////////////////////////////////////////////////////////

《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》
イベント開催のご案内 2015年1月16~18日

16日(金)「テーマ:現在」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    19:00 これまでのボランティアさん方との交流会

17日(土)「テーマ:過去」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
     5:30 1.17追悼と新生の祈りinたかとり
        祈りの後、豚汁をみんなで一緒に! 
     9:00 もちつち
    11:00 交流会
    15:00 1.17 KOBE 灯りin 長田(新長田駅前)

18日(日)「テーマ:未来」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    10:00 日曜日ミサ
    11:30 イベント開会
           多国料理・歌・踊りなど...
    15:00 閉会

/////////////////////////////////////////////////////////

 

 

 

 

«2015 FMYY新年挨拶