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1992年5月

1992年5月 1日 (金)

お母さんの心

みずみずしい若葉がいっぱいのこの五月はなぜか聖母マリアの月とされています。理由はともかく母の日を迎えることでもあるし、お母さんのことをちょっと考えてみましょう。

赤ちゃんの誕生を迎えた家族は幸せいっぱい、希望に満ち満ちている。お母さんは思う。「りっぱに成長しますように」・・・・ところがそれは苦難の始まりでもあります。

夜泣きがあまりにひどいので、薄壁一枚の隣から文句を言われ、自分も泣きべそをかいてしまう若いお母さん。

喧嘩して怪我をさせてしまった子どもの家へ、ただただ誤りに行くお母さん。お前のしつけがなってないからだと、なぜかお父さんに叱られるお母さん。

お宅の子供さんは絵が上手ですが、この象の色がピンクなので良くないんですと学校の先生に言われ、この子はピンクが好きだからいいんですと頑張るお母さん。

女の子の部屋を覗いたからと学校に呼び出されたとき、息子が男の子であることが証明されましたと、豪快にも言い放ったお母さん。

中学でいじめられて学校へ行かなくなり、高校へ行ってもいじめられて学校をやめ、仕事をしだしてまたいじめられ、この一年程家に閉じこもりっぱなしの息子をかかえ苦しんでいるお母さん。

でも、そんなに苦労して育てた子どももみんないつかは離れ、一人で人生を歩み始める。お母さん。それは嬉しいことですか。悲しいことですか。

イエスの母マリアも、形は違うにしろ、子を思う気持ちは同じだったでしょう。自分の手元から離れて行動する子どものことが心配で仕方なかったでしょう。でも、その子の成長をじっと見守り、すべて心に納めていました。そして最後まで子供と共に生きました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と祈りながら。

神田裕
声誌巻頭言 (1992/05)

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