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1994年11月 1日 (火)

生き返らない猫

ひとつの絵本を紹介しよう。

「 100万年も_しなない_ねこが_いました。_100万回も_しんで、_100万回も_生きたのです」という書き出しで始まる。あるときは王様の、あるときは船乗りの、あるときはサーカスの手品使いの、あるときは泥棒の、あるときは独りぼっちのお婆さんの、あるときは小さな女の子の、猫だった。「ねこは_しぬのなんか_へいきだったのです」。

あるとき猫は誰の猫でもなく、はじめて自分の猫になった。多くの雌猫がプロポーズするが、見向きもしない。「ねこは、_だれよりも_自分が_すきだったのです」。

あるとき猫に見向きもしない白い美しい雌猫がいた。気を引こうとするがダメ。とうとう猫は言った。「『そばに_いても_いいかい』」。

子猫がたくさん生まれ、大きく育って巣立ち、年老いた二匹はとても満足。「ねこは、_白い_ねこと_いっしょに、_いつまでも_生きていたいと_思いました」。

ある日、白い猫は死んだ。猫は初めて泣いた。泣いて泣いて泣き止んで、猫は白い猫の隣で静かに動かなくなった。「ねこは_もう、_けっして_生きかえりませんでした」。

* 参照 「100万回生きたねこ」 佐野洋子(講談社)

 

             ☆  ☆  ☆

 

何で生きているんだろう、何で死ぬんだろうなんてことはよく考える。生きているから死ぬんで、死ぬとは生きている証拠。死ぬことがないとは生きていないこと。分かったようで分かっていないことをとやかく考える。死の奥義なんて難しいことはよく分からないが、ただ一つだけ何となく思う。生きて充分に「隣猫(人)を愛する」ことができれば、今の世に執着することもなく、永遠の生命に入れることを。

神田裕
声誌巻頭言 (1994/11)

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