僕の名前は「FMわいわい」です
こんにちわ。はじめまして。僕の名前は「FMわいわい」です。先日生まれたばかりの赤ちゃんで、誕生日は1996年1月17日です。お母さんの名前は「大地」です。お母さんは去年の1月17日に大変な陣痛に見舞われ、僕を生む準備に入りました。一年間苦しみ抜いた末、何とか出産することができました。おとうさんの名前は「人間」です。お母さんの陣痛を心配しながらずっと見守ってきました。陣痛の後遺症がひどくて、お母さんもお父さんももまだまだ苦しみはつづきますが、僕の誕生をとても喜んでくれています。両親の苦しみが少しでも和らぐように僕は生きて行きたいと思っています。
両親の紹介をします。お母さんは一年前、突如として大地震という大変な陣痛に見舞われました。大地を引き裂き、家は潰れ、財産を無くし、親しかった人々までも失いました。失ったものばかりで心までも裂け、生きてゆく上で最も大切な夢とか希望までも奪い去られてしまいました。そんな中で子供なんか生めるはずはないとあきらめていました。
お父さんは人情味あふれる下町に住んでいました。その町は外国の人たちがたくさん住んでいる町でした。韓国朝鮮、中国、ベトナムなど28ヶ国の人たちが住んでいました。全体の一割程になります。その中でもたくさん住んでいたのは韓国朝鮮の人たちで、数十年前から住んでいて大先輩です。一番新しい仲間達はベトナムの人たちです。十数年前から住んでいて、数百人程です。たくさんの国の人たちが住んでいて豊かな町のはずですが、なかなかそうではありませんでした。お互いの出会いがなかなか持てずにいました。特に外国人と日本人の出会いは殆どありませんでした。そんな中でお母さんの陣痛が始まりました。足元も覚束ないのに非常事態になり、一体どうなるのだろうかと心配になりました。
でも、陣痛が始まればお父さんの中に変化が生まれました。自分の事はさておいて、お互い助け合ってこの痛みを共有しながら乗り切ろうという思いが皆の心の中に沸き起こりました。誰であろうと分け隔てはありませんでした。そんな中でお互いを知り合う事が出来てきました。今まで違うからという事で人と人とを分けていた壁がありました。でも実際に知り合えば、違うという事が自分自身を豊かにしてくれるんだという事が少し分かってきました。
陣痛が始まっていよいよ子供が生まれるんだなという思いが少しずつお父さんの心の中に芽生えてきました。お母さんは陣痛の苦しみの中で時々弱気になって、もういいから子供をおろして楽になりたいと思う時もありました。違うということにどうしても壁を作ってしまう人がまだまだたくさんいて、子供が育たないのではという不安もあったからです。でも子供を生むことで新しい未来が始まることに希望をかけました。
両親の夢と希望を担って僕は誕生しました。違う国の人々が少しでもお互いを知ることによって豊かな町が出来るように生きてゆくつもりです。僕は77.8MHZで声を出しています。まだ赤ちゃん言葉ですが仲間に入れてください。よろしくお願いします。
1996/03/15
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