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1998年8月20日 (木)

シン・チャオ・カック・バン!

シン・チャオ・カック・バン!(こんにちは)

震災後の3ヶ月。まだ傷あとも痛々しい被災地・神戸市長田区の空にベトナム語で電波が飛び立った。ミニFM局の開局である。灰色の街に小さな花がひとつ咲き、外国人との共生のまちづくりが始まった。

神戸には七百人以上の定住ベトナム人が生活していた。戦争という人災を経験し、海を渡りながら自然災害をも乗り越えてきた彼ら。しかし今度は地震という自然災害に遭い、もう一度人災を経験しなければならなくなった。

「避難場」という言葉が分からない。公園でテント生活を始める。避難場でのいやな視線に耐えられない者も後から公園へ。子沢山なベトナム人も多く、遠慮してまた公園へ。「ベトナム人はそこに居着くのではないか」と神経を尖らし圧力をかける行政。「ベトナム人にやる水は無い」「食料を何処で盗んで来たんだ」「火をつけ回っているぞ」と非人間的な言葉を浴びせる住民。国籍が違えば人格は無くなるのだろうか。

ちょうど1年後、ミニFM局はコミュニティーFM放送局として正式開局をする。今度は8言語でのまちづくりが始まった。またそれと同時にボランタリーな日本語教室プロジェクトも本格化してきた。

被災地は仮設住宅での生活が始まった。家族の多いベトナム人たちは数人で一つの仮設住宅だった。声が大きく大らかで陽気なベトナム人たちは薄壁一枚での生活が隣人とのトラブルを招いた。「やっぱり公園がいい」と戻る者もいた。

2年たち、今度は街の標識の多言語化プロジェクトが始まった。避難場、病院などが何処にあるのか住民の誰もが知っていてほしい。そんなまちづくりも始まった。病院内や役所内の案内表示の多言語化も呼びかけが始まった。

その頃、「ベトナム料理は臭い。迷惑だ。日本の料理を食べろ」と怒鳴る人まで出てきた。言葉は少しずつ学ぶことはできても身についた生活習慣や文化は変えることはできない。共有してこそ豊かな街ができてゆく。ほんとうの国際都市はここに魅力がある。観光や外交だけで国際都市にはなり得ない。。

3年がたち、神戸の祭りには少しずつ外国料理の屋台が並ぶようになってきた。地道なプロジェクトだ。神戸に住む外国籍の人たちが自信を持って自分たちの文化を伝える場が少しずつだが出来てきた。ベトナム料理などもファンが出来てきた。これから何年たてば祭りから日常へとなってゆくのだろう。

もうすぐ4年を迎える。能力があっても適切な仕事に就けない。不況の煽りだけの問題ではない。民間住宅の外国人お断りの入居拒否は後を絶たない。何にも変わらない。ただ地震以後、みんな夢だけは捨てなくなった。

今日、ベトナムから2台の乗り物が救援基地に届いた。もうすぐ神戸の街にシクロ(ベトナム式人力車)が姿を表すことになる。

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