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1999年7月

1999年7月31日 (土)

990731 アルメニア

アルメニア中心街の状況。
倒れ掛かっている建物を支えているのは竹だった。

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崩壊したビルの瓦礫はほとんど片付けは済んでいるが
いたるところで空き地が広がっており
再建が始まっているところは見かけなかった。

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地震以来半年が経過しているが
このように物資や義援金を手に入れるために
列をなしている。

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仮設住宅は大概もと住んでいたところか
もしくはその近辺に指定されたところに建てられている。
各国のスポンサーがそれぞれ適当に割り当てられて
それぞれの地域の仮設を建設する。
自分たちで建てているものもある。

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カラルカ近郊の仮設住宅。

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バルセロナというところで見た仮設は今までのものと少し違う。
何が違うかというと、ここにいる彼らは、
元住んでいたところには何らかの事情で帰ることができず、
自分たちで勝手に建て、建てている場所も違法な場所である。

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そのうち追い出しにかかるかそのままスラム化してしまうかのどちらかだが、
いずれにしても、この人たちのことが心配だ。
保証されてゆけばいいのだが。

中は共同の台所や洗濯場があり
結構、きちんと共同生活をしているみたいだった。

1999年7月30日 (金)

990730 テバイダ村

アルメニアはQUINDIO(キンディオ)という州の中心地だ。
空港はその郊外にあり一番近い被災地のテバイダ(村)にまず入った。
家や教会がいたるところで崩壊されたままになっており
レンガの瓦礫がまだ片付かないでいた。

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仮設の住宅もいろんな種類のものが建っていた。
仮設といっても神戸でのようなバス・トイレ、クーラー付の立派なものではなく
ほとんどテントに近いものだった。
仮設によって種類が違うのはスポンサーに違いによる。

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テバイダ村の中の競技場で一週間住宅の建設説明会が催されていた。
建物を建設するNGOや企業などがそれぞれ軒を並べていた。

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地震で被害をこうむった被災家族は一家につき、
800万ペソ(約80万円)の義援金が支給される。
家が崩壊したという証明が必要だが、
その証明は政府に認められているNGOなどが出している。

この住宅説明会にはそれぞれが住宅の模型を並べて
好みに合ったものを被災者が選ぶようになっている。

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地震後の工夫としては
レンガの下敷きになって亡くなったり怪我をした人が多かったので
レンガは避けられたいる。

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パネルのようなものをはめ込んで作ったりしている。
屋根が瓦で重かったので軽いものになっている。

一軒当たり800万ペソから900万ペソで
何とか義援金で建てることができそうだ。

今回のアルメニアの地震の被害は全体で約90万人(約7万世帯)。
そのうち家がなくなって大被害をこうむった数は1万6千世帯だ。

990730 アルメニア着

7/30 6:00 (日本時間同日 20:00)の国内線でアルメニアへ出発。
山を越えて行かなくてはならない。
50人乗りのプロペラ機にのって約30分で到着。

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アルメニアは海抜約1,200メートル。ボゴタからは1,200メートル下ることになる。
ボゴタは長袖にジャケットが必要だが、アルメニアはTシャツですむ。
ここは人口45万人の街だ。
コーヒーやバナナの畑が一面に広がっている豊かな街だ。
ちなみに、コロンビア全体では約3,900万人でボゴタは700万人。
コロンビア全体の大きさは日本の約4倍になる。

まず着いて驚かされたことはチェックインやチェックアウトをする建物がない。
地震で全壊したらしく
仮のトタン屋根の下にかろうじてカウンターや機械を置いて対応していた。

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空港に着くと今回援助の受け口となるABRAZAR(アブラザール)協会の所長と
SERVIVIENDA(セルビビエンダ)の代表が迎えに来てくれており
車でアルメニアを案内してくれることとなった。

1999年7月29日 (木)

990729 ボゴタ市内

コロンビアで初めての朝を迎えた。
雨模様だ。寒い。長袖を2枚着ているがまだ寒い。
コロンビアの人がよく着ているポンチョを借りた。
とてもいい。ほしいなぁ。

昨晩は疲れてすぐに寝たがいろんな夢を見てぐっすりとは寝れなかった。
朝の5時ごろ外で大きな音がした。
サイレンのような変な音がしばらくけたたましく続いた。
どうも車の盗難用のベルが鳴ったみたいだった。

午前中はインターネットをつなぐのに四苦八苦。
ようやくコロンビアでつながった。感激だ。

昼食の後、初めての外出。なんと運転手とボディーガードつき。
同行してくださっているコロンビアの人のお兄さんは
ある会社の社長を以前しており今は顧問。

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その方の運転手とボディーガードだった。
以前は銃を持っていたそうだが今は必要ないので持っていないそうだ。

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ボゴタの街を見て回ることとなった。
ボディーガードがつくと何故か余計に緊張してしまう。
(人がいるところはカメラを向けられなかった)

ボゴタは人口700万人。周りを山に囲まれた盆地だ。
平地でも2,400メートルはあり周辺の山々は3,000メートルを越えている。

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南北に広がっている街の南からスタートした。
南は旧ボゴタの中心街で大統領の官邸や裁判所などがあるが
この周辺はスラムが広がっている。
煉瓦造りの壊れそうな家が軒並み並んでいる。
初めて目にする光景だ。日本ではおよそ目にすることはない。

車を降りてみた。周辺の目が気になる。どうもまだ慣れない。何か怖い。
フィリピンへ行ったときも同じような街が周辺にあったが、怖いとは思わなかった。
きっと同じ東洋人という何か慣れのようなものがあったのでしょう。
ラテンの人も友達はいるが周りがみんなラテンの人で顔が違う。
そんなところがまだ慣れないようだ。
そんな何か怖い感じと、
ちょっとここでしばらく住んで中に溶け込んでみたいという好奇心で
複雑な気持ちになった。

大統領官邸の隣の大きな教会の横でまた車から降りた。
17世紀に建てられた立派な教会で中は金箔や絵画で埋め尽くされていた。
およそ鷹取教会とは似ても似つかない教会。
カトリックの教会もかなり変化をとげてきているが
ここまで歴史がある教会を急には変えれないだろうなと思った。
教会というより博物館なんだと思ったら納得した。

コロンビアは人口の95%ほどがカトリック。教会が歩ける距離でたくさんあった。
教会の中は聖水(飲めば病気が治ると信じているらしい)を求める人が列をなしており
外は物乞いをする人たちが向かってくる。
タバコや電池、靴底、シャボン玉などを手にぶら下げて売る人たちがひしめき合っている。
道行く人の写真を勝手に撮って無理やり売りつけているおじさんもいた。
活気がみなぎっている。みんな生きるのに一生懸命だ。

教会の横に小学校があり、中も授業中で静か、外も静か。
ところが授業が終わって子供たちが門から出る頃に
大人たちが集まってきて騒がしくなった。
親たちが迎えに着たのかなぁと思ったらそうじゃなかった。
なんとジュースやガム、飴、おもちゃを売りに集まっているのだ。
びっくり。子供たちも適当に買って帰っていった。

でも、よく考えたら私が小学生のときにも門のところで
ガムの板の型を針で抜くものとか、竹の筒を飛ばす鉄砲とか
ルーレットの数で飴がもらえるものとか、、、色々あったよなぁ。

ここは芸術家たちが住む地域。

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その後、だんだんと北に上がっていった。
すると街並みは変わり立派なマンション群や一戸建ての家が並んでくる。
ゴルフ場もあり、そのあたりは日本人が多いらしい。
多分商社などのの出張の人たちだろう。
(SONY,PANASONIC,TOYOTA,MATSUDAなども目に付く)

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山に登って街を見た。日本の町はグレーだけれどこの街はレンガ色。
景色としてはレンガ色のほうがいいけど社会がグレーなのが何とも言えない。

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上ってくるトラックの後ろにつかまって坂を上ってくる自転車野郎を見かけた。

なんかとてもショッキングだった。
刺激がいっぱいだった。

何回も言うがちょっと怖かった。
でも、2,3日もすればきっと溶け込んでしまうだろう自分がもっと怖かったりして。

明日はいよいよ被災地アルメニア。
朝6時の飛行機に乗って行く。
4時におきて出発だ。フゥー。
今は7/29 21:45 (日本時間 7/30 11:45)。
今日はこの当たりで寝ることにします。

おやすみなさい。

PS:
車で出発のときはじめてデジカメがないのに気がついた。
確か昨日の晩まではあった。
部屋の中やかばんの中を何回も探してみたがない。
部屋に鍵をかけていたかと聞かれたが自信がない。
やられたぁー。うっかりしていた。
日本の感覚でいたらダメなんだ。
とにかく残念でならない。
今日からが本番だというのに。
画像を届けることができない。
申し訳ない。
今日のボゴタの街も画像で伝えたかった。
なかなか言葉では伝えにくいものがある。
明日はいよいよアルメニアだというのに。
夕食のときに・・・。
「レセプションルームにカメラ忘れているの誰だぁ?」
「・・・?・・・!」
あぁ情けなや。
またまた複雑な気分で落ち込んだ。

1999年7月28日 (水)

990728 コロンビアに到着

7/28 午後9時半(日本時間7/29 午前11時半)、
コロンビアのボゴタに無事到着。
一生のうちでコロンビアに来ることなんてないと思っていたので、
何となく不思議な感じがする。

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ここは海抜2、460メートル。
空気が薄くて呼吸困難になるとか、高山病にかかるとか言われて心配していたが、
今現在体調は良好。というか、いつもより体が軽い。
気温はとても涼しくてセーターが必要。
明日起きるまでどうなるか分からないが
とりあえず、着いたとたんに倒れることはなかった。

コロンビアのエルドラド空港はマニラのような感じだった。
外に出るとすぐにつかまってタクシーは乗らないかと誘ってくる。
もう暗かったので街の様子は分からなかった。

マイアミでは、出発までの間ココナッツ・グローブへ行った。
レトロなヨーロッパの雰囲気のあるところで観光客もたくさんいた。

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マイアミビーチにも行ってみたかったが時間がなく空から見るだけとなった。

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空からはキューバやジャマイカも見えた。

マイアミ出発は午後5時半だったが1時間半遅れて出発。
理由は機長の遅刻。
こんなのは初めてだったがはっきり理由を言うのが面白い。
でも「遅れてごめんなさい」はなかったなぁ。

マイアミからボゴタへのチェックインでは
次の約束にチェックをしてサインをしなければならなかった。
知らない人から頼まれても物を運びませんか?
麻薬やコカインを使用しませんか?などだった。
ボゴタまで行く日本人は私一人だけみたいだった。
ボゴタでの荷物はノーチェックですんだが
帰りのマイアミではなんとなく思いやられるなぁ。

明日は体調の具合で行動を決めようと思う。
さぁ、いよいよ仕事が始まるぞ。

1999年7月27日 (火)

990727 マイアミ経由

今、フロリダ州のマイアミにいます。
現地時間では7/27 23:30 です。
明日南米のコロンビアに入ります。

実は神戸で震災以後、
NGOが世界各地の災害の救援を続けてきていまして、
今回は今年1月に大地震が起きた
コロンビアのアルメニア地域の視察に来ています。

被災地に現地のNGOが建設する
こどもたちのケア・センターを援助することになります。

とにかく行ってみなければ分かりませんが
コロンビアでもインターネットが上手くつながれば
追って連絡します。

昨日は
伊丹から羽田へ行き
そこから成田へバスで行き
コロンビア人の同行者と落ち合って
アメリカン・エアラインで出発しました。

成田からまずシアトルまで行きましたが
その間約9時間。(お尻が痛い)
シアトルで入国。
入国審査でのやりとり。

「どこまで行くのか?」
「マイアミです。そのあとコロンビアです。」
「目的は?」
「ツーリストです。」
「現地に友人がいるのか?」
「いいえ、いません。」
「???」
「・・・」
「コカインや麻薬を買いにゆくのか?」
「はぁ?いいえ」
「コカインや麻薬を手に入れに行くんじゃないのか?」
「いいえ、違います。」
「???」
「・・・」

とまぁ、スタートがこんな感じでした。
しかし、私はそんなに人相が悪いのだろうか・・・。
いいとは思っていないけど・・・いきなり言うかぁ。
この先思いやられます。

シアトルからすぐに国内線に乗り換え
5時間かけてマイアミに到着。(あぁ、しんどぉ)
今はマイアミのホテルで一泊です。
明日は午後5時に出発です。

じゃ、みなさん。
無事だったらまた連絡します。

from Quolity Inn (MIAMI)

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