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2004年10月

2004年10月 1日 (金)

教会名称変更

カトリック大阪大司教区 池長潤大司教様
                                           
 神戸中ブロック・モデラートル 神田裕
 カトリック鷹取教会 評議会   川福久男

カトリック鷹取教会名称変更のお願い

カトリック鷹取教会は、1927年に設立されましたが、68年目の1995年に阪神淡路大震災により建物が消失しました。この大震災の犠牲者は6,500人を上回り、鷹取教会が位置する長田区の町も震災後の火災で多くの犠牲者を出し、たくさんの住いが倒壊しました。そんな中、鷹取教会の信徒の多くも住むところを失いましたが、命を失った人は一人もいませんでした。

そのことに励まされ、そして多くのボランティアの人たちに支えられながら、「まちが復興するまでは教会は建てない」という方針の下、教会は、「鷹取教会救援基地」の名で救援活動を始め、1,000日目には「たかとり救援基地」と名を改め、教会内だけでなく、地域の救援活動拠点として歩んできました。

この「たかとり救援基地」は、2000年にNPO法人格を取得し、「たかとりコミュニティセンター(TCC)」と再び名を改め、緊急救援活動から多文化共生のまちづくりへと発展してきました。そして、2005年には大震災10周年を迎えます。これまでペーパードームやプレハブで活動をしてきたこの教会も、建物の再建へと進んでいきます。鷹取教会にとってこの10年は教会の「新しい姿」への挑戦でもありました。そして建物の再建は未来への「新しい姿」へのシンボルとなります。これを期に、新たな歩みを始める鷹取教会そのものが、まさに洗礼を受ける者のように名称も新たにし、新生への歩みを確かなものにしたいと思います。

そこで、2004年9月19日に開催されました小教区総会に、2005年の震災10周年の日を機に新名称を「カトリックたかとり教会」とすることが提案されました。これは、漢字表記「鷹取」を平仮名表記「たかとり」と変更するだけのように見えますが、鷹取教会にとっては、単なる表記変更ではなく、下記のような意味をもつ、名実ともの変更をも目指すものです。この趣旨を小教区の皆さんに説明し、地域的(歴史)背景の認識にたっての意見も聴取しました。その結果、満場一致で承認されました。これを受けて大司教様を始め教区の顧問の皆様に名称変更のお願いをいたします。

名称変更の主な理由は、次の通りです。

1 新たに歩み始めるシンボルとして
2 「鷹取」の漢字は、教会に多くいる外国人信徒にとって読み書きがむずかしい
3 近隣に同名の教会がありお互いに紛らわしい
4 大震災以来、 たかとり が、教会もセンターも含む固有名詞化してきている

ps:
2005年1月17日にカトリック鷹取教会はカトリックたかとり教会と名称を変更する。

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たかとり 鷹取 高取

日本書紀に「ながたのくに(長田の国)」の地名があり、作物に適した長い(広い)田が続く土地柄を表現しております。人々はこの豊かな地に住み着き、小部落があちこちに誕生し、やがて大部落となっていった(里から郷<さと>へと発展していった)。当時の人々は、自分達の住む「ながたの里、ながたの郷」の守り神として「神は山におられる」の素朴な山岳信仰で、里や郷の何処からでも遠望できる山を「かんなでやま=神が存わします山=神撫山」と呼び、守り神への信心を保ち続けた。また、「ながたのやしろ(長田神社)」は神功皇后が創建したとの日本書紀の記述もあり、人々は長田の守り神をして神撫山と合わせて信心を続けた。645年の大化の改新により長田の国は雄伴郡(おともぐん)と呼ばれるようになり、かんなでやま=神撫山と呼ばれていた信仰象徴の山も、当時、鷹が多く生息していたので「たかとりやま=鷹鳥山」と呼ばれるようになり、やがて、「鷹取山」と呼ばれるようになった。平安時代になり生田、神戸、宇治、八部(やたべ)、長田の五郷を総称して摂津の国・八部郡と称するようになったが、鷹取山=神撫山の名は江戸時代まで続いた。江戸時代になり現在の高取山と改められたが、別名の神撫山の名は今も語り継がれている。このように「たかとり(鷹取)」の名は古代から長田の村人達に語り継がれてきた由緒ある名であり、また村人達が朝な夕なに遠望し合掌し祈った信仰の象徴をして、大切に守ってきた名であり言葉である。日本人は神様を素朴で親しみ易い呼び名として、昔から[さん付け]をしてきました。人々は神撫山を神撫さん、鷹取山を鷹取さんと呼び、山の名を[さん付け]して神格化したと思われます。祇園さん、戎さん、八幡さん、権現さん等々の例があります。村人は秋の収穫が終わると、大地の恵みに感謝して「たかとり詣り」「ながた詣り」をしたと古文書に記されており、「たかとり(鷹取)イコール神」という観念が定着していたと考えられる。このように「たかとり(鷹取)」という名(言葉)は、土着した庶民信仰の<よりどころ>とも云える<心の支え>が込められている奥深いものと考えられます。鷹取教会が誕生した当時は、昔は長田の郷の野田村と呼ばれていた。野田村は長田の郷の最も西に位置しており、「たかとり詣り」をするのに長い道程を歩き山を登らねばならなかった。そのため、「たかとり詣り」ができない人が地元で参拝ができる「御旅所<おたびどころ>」が設けられ、ここで参拝すれば「たかとり詣り」を果たしたことができるようになった。この御旅所が野田村の西端(現在の須磨区鷹取町)にあったのではないかと考えられ、鷹取町という地名は御旅所に由来しているのではと考えられる。なお、JR鷹取駅の名称の由来について駅に照会しましたが、昔の事はまったくわからない・・・の回答でした。
1910年(明治43年)に天主堂が完成した下山手教会は、ペリン神父様のご努力により信者が増加し、大正の末期には信徒数は千数百人に達して天主堂は手狭になったので、カスタニエ司教様は下山手より西の地に教会設立を考えられ、1927年(昭和2年)に下山手教会助任のジュピア神父様を派遣され、当地に教会を設立された。昔は野田村と呼ばれていた当地は教会創立当時には海運町と改称されていた。海運町という名称の由来はその昔、当地に正福寺という寺があり、寺の山号は海運山と呼ばれ「海運山正福寺」と称していた。この「海運」が現在の「海運町」として残ったものである。しかし、この寺はやがて廃寺となり野田村史から消えてしまった。
カスタニエ司教様が、どのようなお考えで「鷹取教会」と名付けられたかは分かりませんが、私が思うには、古代から当地に土着した信仰心の中で守られてきた「たかとり詣り」「信心」「神格化された<たかとり>」という言葉を、司教様は大切にしようと思われ、福音宣教にとっても、この伝統的な言葉を新教会に名付けることが良い・・・と考えられたのではと身勝手に納得しております。
いずれにしても、この「たかとり=鷹取」という名は、古代から当地に受け入れられ、呼ばれ続け、語り継がれてきた歴史的な言葉であります。
神の慈しみを意味する古代の言葉「かんなで=神撫」に通じる「たかとり」、個人として大好きはことばであり、新名称として大賛成です。
なお、昔の当地の海岸線は現在の国道2号線付近であり、漁民達も多く住んでいたようです。海の幸に恵まれたこの海浜を漁民達は「ながらのはま(長楽の浜)」と呼び、安住の地として営みを続けていたようです。「ながらのはま」の長楽、これが長楽町の名称由来です。また、海運山正福寺の山号も、漁民の守り神を尊敬するという意味から名付けられました。
以上、不確実な点もありますが、お知らせいたします。
2003年11月
川福克己

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