たかとり教会献堂式
いよいよこの時をむかえることとなった。「まちが復興するまでは教会は建てない」。大阪教区のの立てた方針の中、たかとり教会は実践で12年間を歩んできた。正直言えば、建てないというよりも建てるどころではないということだった。被災地の救援基地として歩み始めたたかとり教会は多くの仲間たちと出会い、これからもまちづくりひとづくりの拠点としてすすんで行くことだろう。
<カトリックたかとり教会 献堂式、竣工式 式次第>
たかとり教会 献堂式
入祭 典礼聖歌 163 「よろこびに」
水の祝福と潅水式
潅水 典礼聖歌 158 「門よとびらを開け」
栄光の賛歌
ことばの典礼
第一朗読 イザヤ56:1、6-7
答唱 典礼聖歌 102 「しあわせな人」
第二朗読 エフェソ2:19-22
アレルヤ唱 典礼聖歌 276
福音朗読 ヨハネ1:1-5、10-14
大司教説教
信仰宣言
献堂の祈りと塗油
典礼聖歌 343 「諸聖人の連願」
献堂の祈り
祭壇と聖堂の壁の塗油
祭壇と聖堂への献香
祭壇と聖堂の照明の点灯
ベトナムの祈り(踊り)
感謝の典礼
奉納 典礼聖歌 173 「わたしたちは神の民」
感謝の賛歌
平和の賛歌
拝領 典礼聖歌 123 「主はわれらの牧者」、135 「主をたたえよう」
聖歌 バッハ・カンタータ 「主よ、人の望みの喜びよ」
竣工式
謝辞
祝いの言葉
南木曽町 代表
<ここまでの写真 photo by Nishimura>
<ここからの写真 photo by Hirano>
祝福と派遣
閉祭 典礼聖歌 29 「エルサレムよ ほめたたえよ」
祝賀会
<カトリック時報掲載記事>
震災から12年 よろこびのたかとり教会献堂式
一九九五年一月十七日に発生した「阪神・淡路大震災」によって大阪教区は人的、物的に甚大な被害を受けた。建て替えをよぎなくさせられた三つの教会に関して、すでに「神戸中央教会」は二〇〇四年十月二十三日に、「住吉教会」は二〇〇六年六月十七日に、それぞれ再建された教会の献堂式が行われた。ようやく今年五月二十六日、残る「たかとり教会」の献堂式が執り行われた。これにより大阪教区として、震災による被害の物的な復興は一応終結したといえる。たかとり教会献堂式の様子については、同教会信徒の速水晴子さんが次のとおり報告する。
5・26 献堂式ミサ
前日の悪天候から一転、快晴の五月二十六日、約四百人が参加し、たかとり教会の献堂竣工の祝いのセレモニーが行われた。午後二時「喜びに心をはずませ神の家に行こう」と歌われる中、司祭団が入場。池長潤大司教の司式により「喜びとともにこのミサをささげましょう」の言葉で献堂のミサは始められた。水の祝福と潅水式の後、ことばの典礼に入った。第一朗読(イザヤ56・1、6-7)、第二朗読(エフェソ2・19-22)、福音書朗読(ヨハネ1・1-5、10-14)の後、池長大司教は震災後の十二年間をふり返って次のように語った。
「阪神・淡路大震災から今日まで本当にいろいろなことがありました。体験された方は大変だったでしょう。教会はすべて壊れましたが、地域とともに大きな体験をしました。復興のために近隣と手をつなぎ一体化する拠点となりました。世界の国々もそれを知りました。自分のことを忘れて人のために何かをするという行動は福音の姿そのものです。多くの方々の骨折り、たとえば木材を提供してくださった南木曽の人々、自ら病気をかかえながら久留米からかけつけてくださった医師、自らの傷を忘れてボランティアとともに働き、被災者を助けた地域の人々もいます。それは、人間とはどういうものかを実証したのです。しかし時がたつとその底力が忘れられてしまう、これも人間の弱さでしょう。ヨハネ福音書の『言』はイエスご自身です。人となられたイエスとはどういう方なのか。非の打ちどころのない方、震災後に人々が自分の中に感じた光であり、神の性質を体現された方、人のために生きぬいた方、人を愛し、愛とは何かを存在そのもので教えられた方なのです。
『言は肉となってわたしたちの間に宿られた』(ヨハネ1・14)この『宿られた(スケヌーン)』は幕屋(テント)を張って住んだという意味で、出エジプト記にありますが、会見の幕屋(神との交わり)には神の栄光が満ちていました。神と出会えてイスラエルの民は四十年間歩むことができたのです。新約聖書ではイエスそのものがテントであり、私たちの会見の幕屋はイエスです。私たちは常にイエスにおいて生き、神と交わり、神を礼拝する。教会の中だけでなく、生活の場でもいつも神とともにいるのです。工事中この教会のテントを信者と地域の人が力を合わせて運びこむという大変な作業がありました。私たちの礼拝は神殿の中だけではなく生活の中で実現していかなくてはなりません。人を愛することの実践が最大の礼拝であり、神の望まれることは、人を大事にする、愛することです。それは震災後、知らず知らずのうちに体験したことです。人々のために生きる――これからもともに歩むことを喜びとしていきましょう」。
大司教の説教に続いて献堂の祈りと塗油がなされた。南木曽から提供された椹の切り株でできた祭壇に大司教が(=写真上)、また高山親神父(イエズス会)、グェン・フー・ヒエン神父(東京教区)、パオロ・スック神父(聖ザベリオ宣教会)によって聖堂の壁に聖香油が塗られた。祭壇と聖堂への献香の後、祭壇の前にベトナムのマリア像が置かれ、ベトナムの少年少女と女性たちによってマリアへのとりつぎを祈る踊りが捧げられた。水色のアオザイを着た少女十人が花かごを手に祭壇の回りを踊り、続いて男児十三人が線香を持って地に伏して祈りをささげた。最後に女性十人が花を、五人がろうそくを持ち、優雅にマリアへの祈りを表現した。(写真下)感謝の典礼の後、教会の聖歌隊によってバッハのカンタータ『主よ、人の望みの喜びよ』が歌われ竣工式が始められた。
竣工式と祝賀会
神田裕神父の開会の言葉に始まり、信徒代表の川福久男さんが、再建を支援してくださった方、建築に尽力してくださった方および地域の方への感謝と教会のよき知らせを伝え、ともに生きていきたいとの決意を述べた。池長大司教は挨拶の中で、南木曽の方々への感謝と坂設計、清水建設にお礼の言葉を述べ、地域の方々から多くの愛をいただいていると喜んだ。清水建設から施主の池長大司教に建物の鍵が引き渡され、大司教から坂設計、清水建設、建築家の森崎輝行さんに感謝状が贈呈された。坂設計、清水建設代表からの謝辞の後、地域の野田北部まちづくり協議会代表浅山三郎さんが祝いの言葉として、「教会の再建は地域の復興ができてからという神田神父の想いが今日実現した。また支えてくださった南木曽の方々に感謝するとともに、これからも教会を地域活動のシンボルとしていきたい」と述べた。南木曽の代表が町長の祝辞を代読した後、参列者全員が右手を上げ、「ただいま」と叫んで、再び教会に帰ってきた喜びを表した。池長大司教と司祭団の祝福によってミサは終了し、場所を中庭に移うつして祝賀会が催された。
(文 たかとり教会・速水晴子氏)
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