« 2019年11月 | トップページ

2019年12月

2019年12月 1日 (日)

フランシスコ教皇 来日

フランシスコ教皇が日本に来られました。訪日テーマは「すべてのいのちを守るため」です。長崎、広島、そして東日本大震災の被災者、特に福島の人々へのメッセージを世界に向けて発信されました。たくさんのメッセージでしたが、「私流」に短くつないでみました。みなさんはこれ以外にどのことばが印象に残りましたか?今度教えてくださいね。

長崎・爆心地で、「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。」

長崎スタジアムでのミサで、「あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らい、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰宣言です。わたしたち一人ひとりが決断することです。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか。」

広島・平和記念公園で、「わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。」

被災者との集いで、「わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。」

青年たちの集いで、「何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、誰のために生きているのかということです。」

東京ドームでのミサで、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。」

« 2019年11月 | トップページ