依存と自立
「誰かに依存していることを忘れるほどに依存できている状態が自立である」
ある臨床心理士K.T.の言葉であると、ある新聞のコラムに紹介された。「ところどころに見えないほどに小さな椅子が用意されている」から人は自分の足で立てるのだと。自立とは誰にも依存しないことではなく、支え合うことのネットワークをいつでも使える準備ができていることだと、、なるほど。
「おまえ神を信じてるらしいけど情けないな、神に依存しないと生きられないのか、ちゃんと大人になって自立しろよ」と言われたことがある。確かに、苦しいときの神だのみで終わってしまえば、そう言われても仕方がない。神への信仰は単に依存であってはならない。み言葉をたよりに、まさに自らの生き方として、自らで立って歩く自立のための信仰だ。
信仰を持って生きるとは、「神に依存しているのを忘れるぐらい依存できている自立した生き方」「神とのネットワークがいつでも使える自立した生き方」、、だ!
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