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2020年8月 1日 (土)

二つの廃線。。

三田教会の司牧エリア内には廃線になった二つの鉄道があります。

有馬線は、三田と有馬温泉をつないだ最初の軽便鉄道で、1915(t4)に民間の会社が開業したもののすぐに国が借り上げ1919(t8)に国有化されます。後に、その会社は再び鉄道事業に着手し、神戸、有馬、三田を結ぶ今の神戸電鉄が1928(s3)に開業します。その後、有馬線は行楽路線のみであることもあって戦時中の1943(s18)に不要不急線となり廃線となります。国はその後、廃線の部材を使って篠山線敷設に着手することになります。(コロナ禍でよく耳にする不要不急は戦時中に使われていた言葉なのですね) 

篠山線は、丹波地域で産出されるマンガンや珪石の輸送のためと、海沿いを走る山陽本線が攻撃を受ける可能性があったため篠山から園部に至るバイパスを目的としてつくられます。戦時中の1944(s19)にまず篠山口駅と福住駅の間が開業します。福住にはマンガン鉱山がありました。しかし終戦を迎え、戦時下での必要はなくなり、予定されていた園部までの延伸は中止となり、1972年に廃線となります。 

このように篠山線は戦争のために作られたようなものでしたが、丹波は良質のマンガンが取れる地域だったのだと知りました。約300のマンガン鉱山がありました。マンガンは鉄と混ぜて鋼鉄となり武器製造などに必要な軍需物資でした。戦争末期には増産により全国で35 万トンが産出されました。丹波地域だけでも3千人が働いていたそうです。そしてこの危険極まりない鉱山での採掘には、被差別部落の人たちや朝鮮の人たちが多く従事していました。過酷な採掘労働だけでなく、十分な装備もなく塵肺という病気でその後も苦しい生活を強いられてきました。 

この夏には、これらの廃線跡を訪ね歩いてみたいものです。また、「丹波マンガン記念館」というものがあるそうで、平和旬間には足を運んで丹波の歴史の一つを学んでこようかと思います。

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