« 11月に祈る | トップページ | そのままでいい..part 2 »

2020年12月 1日 (火)

そのままでいい

神父になりたての頃、あるミッション女子高から声がかかり夏のキャンプに同行しテーマとプログラムも考えてくれと頼まれました。日常から離れてのキャンプで普段に体験できないことなどを念頭に、テーマは「そのままでいい」としました。ありのままの自分を発見してほしかったからです。ところが、教頭先生からクレームが飛んできました。「そのままでいいとはなんだ。そのままでいいなんて教育じゃない。」と言われ、「考えてくれと言ったのはそちらなので気に入らなければ私はやめます」と私も引かず、結局はそのテーマで行うことになりました。学校って結局そういうところなんだとその時あらためて認識しました。

震災後、たくさんの学校でも震災の話しをしに行きました。最初に行ったのは地元の中学校でした。ボランティアの話しをしてほしいとのことでした。私は、ある牧師先生の言葉がとても気に入っててその時にも学生たちに話しました。それは、「言われてもしない言われなくてもする」という言葉です。誰かに言われて手伝うことではなく自らの問題意識と信念で持って行動することがボランティアだと言うことです。ところが、講演会が終わってまだ私が壇上にいる時に、司会の先生が「今の話しは講演者の個人の考えですから、みんなはちゃんと言われたことをするように」と、、、ガッカリでした。学校って結局そういうところなんだと再び認識しました。

学校では個性は尊重されないんだとあらためて認識したのです。今どきはどうなんでしょう?ちなみに最近のボランティアは言われたことをするに変わってしまったようですが。

以前LGBTqの人たちの話しをしました。人は生まれながらに個性を持っていて多様です。ところが成長するにしたがって教育と言うか社会の規範と言うか理想の姿に形づくられて行くようです。勉強やスポーツや仕事などは理想とする目標があってそれに向かっていくことは成長に結びつきます。でも人の本質は変えられない。そのままの自分を大切にして行くしかなく、それを隠してしまうと人生に歪みが出てきてしまう。社会は多様であるがゆえに成長して行くと思うのです。

信仰を持って生きるとは、理想とする美しい姿を目指して生きることではなく、与えられた自分のそのままを逞しく生きることです。それでこそ、初めて隣人を愛することができるのです。

« 11月に祈る | トップページ | そのままでいい..part 2 »

三田教会」カテゴリの記事