風船に乗ってどこへでも行ける🎈
父親は、私が物心ついた時にはすでに、毎朝、自転車に乗って教会へミサに行き、自転車で家に戻ってから朝ご飯を食べ、電車で仕事に通っていた。雨の日も風の日も、それこそ台風の日でも朝のミサに自転車で出かけ、それから仕事に行っていた。定年退職後も、毎朝自転車でミサに出かけた。それだけではなく、遠くまで自転車で買い物にほぼ毎日出かけた。時々、梅田や難波で父親の後ろ姿を見て目を疑ったこともある。だんだんと行動範囲を広げるのはいいのだが、信号を平気で無視して危険極まりない。
神父さんにもう来ないでと言われた時も、それでも隣の教会に自転車で朝ミサに行っていた。晩年は、雨の中で立ちつくすやら、帰る道を見失うようになった。とうとうペダルまで足が上がらなくなり、自ら自転車を諦めざるを得なくなった。
もう出かけないと思ったのも束の間、今度は足だけを使って出かける。歩行補助器や車椅子なんかも引きずりながら出かける。止まらない。温泉にもヨタヨタと出かけて行った。ある日、温泉に浸かりながら駄菓子をたくさん持ち込んで食べていて怒られた。それでもめげずにまた別の温泉に行っていた。
毎朝ミサに行くのもいいのだが、教会事務所が長年の自室のようになり誰も触ることができない。ある時、教会の人たちと協力して私物をすべて出して事務所から追い出した。さすがに憤慨したが、またケロッとして朝ミサには行っていた。その頃には夜中にも出かけて行ってしまい何度お巡りさんのお世話になったことか。妹はその都度引き取りに行っていた。
そして遂に動くことができなくなった。ほぼ寝たきりの状態になって、さぞかし残念がっているだろうと「もうどこにも行けなくなったな」と言えば、「僕は風船に乗ってどこへでも行ける!楽しいね」とニコニコと返事が返ってくる。夢でも見ていたのか、頭がおかしくなったとは決して思わなかった。人生の終盤はやんちゃに周りを振り回したが、愚痴は一切言わず、寝たきりになっても前へ前への「旅」を続けた父親に、初めて尊敬の気持ちを持った。それから暫くして、私が三田に行くことに決まったとき、父親は本当に風船に乗って出かけて行ってしまった。
ご復活おめでとうございます!
コロナ禍にあって今年は何とか聖週間の典礼を行うことができました。思い返せば昨年は四旬節から復活節にかけて約三か月間も教会に集まることさえもできず寂しい体験をすることとなってしまいました。まだまだ予断を許してはいけませんが、困難の中にも「旅」をし続けていることを忘れずに行きましょう。
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