吾輩はあめちゃんである
吾輩はあめちゃんである
どこかで聞いたことのあるフレーズ。私の名前はあめちゃんです。小学校1年生の時から高校を卒業するまで、私の名前はあめちゃんだったのです。学校に行くと色々と名前で茶化されたりするのですが、最初に言われたのが「カンロ飴」だったのです。カンダに引っかけてのカンロだったのでしょう。それが短縮されてあめちゃん。それ以来、実に12年間の学校生活の中で私の名前はあめちゃんでした。国語や算数の時間に先生に当てられるときも「はい、あめちゃん」。クラブ活動の先輩からも「こら!あめ!」。そんな12年間でしたので、卒業してから神田くんと呼ばれてもしばらくは誰のことかと気が付きませんでした。あめちゃんと呼ばれると友だち仲間との原点がよみがえります。
吾輩はひろっちんである
生まれてこのかた出身教会内では、私の名前はひろっちんです。ひろしだからひろっちんで他に理由はないですが、親戚一同含めてひろっちんかひろっちゃんです。今でも教会仲間ではやっぱりひろっちんです。ひろっちんと呼ばれると教会との関わりの原点がよみがえります。
吾輩はかんちゃんである
神学生時代はかんちゃんでした。神学院祭で仲良しのT神学生と出店した駄菓子屋の名前は「たっちん&かんちゃん」。院内卓球ダブルスで優勝したのもたっちん&かんちゃん。そして、神父になったころは神父と言われてもピンとこずでしたが、教会ではそのままかんちゃんと呼ばれるようになって、私はそれでちょうどよかったのです。かんちゃんと呼ばれると司祭生活の原点がよみがえります。(因みに、神戸で震災をともにたたかってきた地元地域の繋がりもかんちゃんです)
しかし、教会ではちゃんと神父さんと呼びなさい、との声が多くて、段々と「しんぷさん」になってきました。今ではやっと私も慣れてきたのか「しんぷさん」はニックネームのように思えてきました。実際に「神父」とはニックネームみたいなものですけどね。
これまでの人生、三つの呼ばれ名があるけれど、中身は一つで同じmyself。生まれたときに与えられた正式な名前はあるけれど、生きて関わる社会によって愛称として色付けされていくのですね。いまだに、神田さんと言われると、それ誰のことって思ってしまいます、、
as you like…
(シリーズ名前 その1)
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