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2021年7月 1日 (木)

となりびとの名前

あれから26年と半年。大震災で全壊した神戸市長田区にあるたかとり教会。教会内で一緒に被災したのは、私を含めて、助任神父、まかない家族、居候の八人。それぞれが命からがら這い出し、真っ暗な中、崩壊した聖堂わきに集まり、お互いの無事を確認したのがすべての始まりだった。

空が明るくなると、門の外には、寒さを凌ぐため布団を体中に巻き付け、どこへともなくウロウロする人たち。門を開け、その人たちをまず教会敷地に招き入れた。崩れかけの建物の中から畳を引きはがし、庭に敷き、休んでもらった。頭から血を流している赤ちゃんもいた。よく見るとみんな素足だった。余震の恐怖の中、崩壊はしなかった司祭館の部屋に、意を決して戻り、せめてもと、ありったけの靴下をもって出た。しばらくすると畳を敷いた庭が地割れしだしたので、ここは危険と判断し駅前に移動するように呼び掛けた。その後、町の火災が段々と教会まで迫ってきて、とうとう教会もほぼ全焼となった。私は、もう一度意を決して司祭館に戻り、教会の大切な台帳などの書類をリュックに詰めて持ち出した。あとは、燃え崩れる教会をただ茫然と見届けるだけだった。

教会の敷地の外ではそうではなかった。地域の人たちは、燃え広がる火災を背に、まだ建物の下敷きになっている人たちの救出に奔走していた。「おーい、○○さんはいるか?!△△さんはどこだ?!」と名前を呼び、本人確認をしながら近所の人たちを救出していた。町の病院の寝たままの患者さんを一人一人担ぎ出してもいた。

私は、震災当日は救出活動をしなかった。というか、できなかった。近所にどんな名前の人たちが住んでいるのかさえ知らなかった。もちろん名前を知らなくても救出できたはずだ。ところが、普段から名前を知らなければ、いざという時に、顔さえも出てこず、住んでられることさえも認識せず、結局は人の命に何もしなかった自分を目の当たりにした。

震災当日、私が意を決したのは、靴下と教会台帳を取りに行ったことだった。日曜日に祭壇から人々に向かって、「隣人を愛しなさい」と聖書の言葉を語っていた自分が、一番隣人を愛していなかったことに、愕然と気が付いたのが、あの大震災だった。

(シリーズ名前 その2)

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