“現実からかけ離れた幸福感”
復活祭をピークに体のガタが出てクリニックに行った。頸椎のレントゲンとMRIを撮り、
診断は、骨の2か所にズレがあり神経を圧迫しているとのこと。慢性的に首が気になって熟睡できない状況が長いこと続いていた。どうも脳がどこかで支障をきたしているのか、体全体がこわばって手も震えてくる。これまで何度か病院で診てもらっていたが「老化です」で終わっていた。やっと「治療しましょう」となった。
まずは薬の処方。いくつか出されて一週間。出された薬は丁寧な説明書付き。副作用もたくさん並んでいる。しっかりと読むと飲むのも怖くなってくる。頭痛、めまい、吐き気などなど。その中で一つ毛色の違うものがあった。「現実からかけ離れた幸福感」。思わず目を疑った。どんな副作用なのか、病気の治療よりも、そのことに興味が行ってしまう。
「幸せを感じるような状況でもないのに幸せに感じてしまう」ということらしいが、よく考えると、薬でこの状況になるということは、薬が切れると逆になってしまうということになる。これはちょっとヤバいな。
ふと思い出した。阪神淡路大震災の時だ。町は焦土と化し、ど真ん中の潰れて燃えた教会で、電気も水道も機能しない中、瓦礫を片付け、たきびを囲みながら過ごした。その時、幸せな現実からは全くかけ離れているのに、幸せな不思議なひと時を過ごしたのだ。出会う人みんな、初めての人であっても、お互い気遣い、声をかけあい、とても優しくなれた、平和なひと時だったのだ。不思議な体験だった。
ところが、電気が通り水道も出るようになるにしたがって、不思議な体験は少しずつ消えて行き、辛くて厳しい現実が始まった。それは、一瞬垣間見た「神の国」だった。神さまは、大変な時に大切なものを体験させてくれる、と思った。
一瞬だったが、「現実からかけ離れた幸福感」は確かにあった。厳しい現実の中で、人との出会いの中で体験できたものだった。忘れはしない。この先どんなことが起ころうとも、お互い助け合って生きることができるのだと、今でも信じている。
20220501
三田教会 神田裕
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