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2022年6月 1日 (水)

ハーモニカ長屋

  下町はハーモニカ長屋の一番端っこの家で生まれた。奥の居間で産婆さんに取り上げてもらった。3800と比較的大きかったが、その後は伸び悩み今に至っている。
  10件ほど並んだ長家は屋根が連なっていて、声の大きい母さんの笑い声は向こうの端まで響き渡った。長屋は2棟向かい合い、その横にも並んでいて20数件ほどが一つの家のような空間だった。右向かいのおじさんが鶏の首を絞め、毛をむしっているのを目の当たりにしてから鶏肉が食べられなくなった。そこのお家の犬の名はペロ。向かいの家の屋根の上に石を投げていたら間違って窓ガラスを割ってしまったが黙って隠れていた。近所の子を泣かしたときは親に叱られ連れられて謝りに行った。自転車に乗って近所の交差点で車とぶつかった。叱られて明日から自転車に乗れなくなると思ったので、足を引きずりながらも慌てて逃げ、バレませんようにと必死で祈った。大雨の中、水はけの悪い長屋の道を通って家に戻るとき、マンホールの木の蓋が流されていて、その穴にはまった。幸いにも両手がつかえて溺れなくてすんだ。家のトイレにもはまった。幸いにも便器に両手がつかえて突入は避けられた。路地横のじいちゃんは毎日リヤカーで廃品回収していた。刺青の入った隣向かいのじいちゃんは夏になると外に出てステテコ1枚で団扇をもってラジオで阪神タイガースを応援していた。私は自室がなく奥の居間に居候。その部屋の真ん前にラジオだったので勉強どころではなかった。ある時、外が騒ぎとなった。正面向かいのおっちゃんが包丁持ったおばちゃんに追いかけられていた。醤油がなくなると緊急にお向かいに借りに行ってその場を凌げた。沢山のものが手に入ったときは近所でお裾分け。二軒隣のお姉ちゃんには世話になった。小学校に行くのが億劫だった頃、毎日誘って学校まで連れて行ってくれた。帰ってからはままごと遊び。お茶碗に入るご飯は向かいの工場のドラム缶の鉄のキリコ。「下駄隠し」「ペコタン」「たんす長持ち」などなど。「びーだん」「べったん」も。毎日長屋仲間とよく遊んだ。歩いて1分以内に駄菓子屋が5軒もあった。母さん曰く、遅くまで遊んでいると遠くから「ガタロ」がやってくる。本当にやってくるので、慌てて家の中に飛び込んだ。
  この度、震災1万日を振り返って原稿を書こうとしたが、人生2万3千日まで遡ってしまった。私にとって長屋のご近所は大きな一つの家だった。「社会に開かれた教会」などと大層なことをいうけれど、私にとってはご近所さん。神父になってからも、派遣されていく教会のご近所さんとは、今でもあの頃と同じように思って過ごしている。(^^♪

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三田教会 神田裕

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