夏の日に
うだるような暑い夏がやってきた。なつ(夏)の語源は、あつ(暑)、ねつ(熱)からきていると言われるが、なずむ(泥む)からきているとも言われる。泥むとは、なかなか思うように前に進まない。しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと。としをとればとるほど身に染みる言葉だ。しかし夏は泥んでばかりもいられない。
としをとるのはステキなことです そうじゃないですか 忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら わすれるよりほかないじゃありませんか ♬ (「傾斜」:中島みゆき)
彼女の歌の中でも記憶に残る一つだ。としをとればとるほど人生の記憶が増えていく。嬉しかったこと楽しかったことも一杯あったはずなのに、なぜか思い出すのは悲しいことや辛いことが多くなってくる。困ったものだ。忘れっぽくなることも多くなる、それは神さまからの優しい贈り物かもしれない。そんな風に私なりに聴いている。
教皇フランシスコはこう呼びかけている。
「人間を人間らしくする、気配り、思慮深さ、愛情、これらについてわたしたち老人、高齢者がもつ特別な感受性は、再び多くの人の召命となるべきです。それは、新しい世代に対して高齢者が示す、愛という代案です」(第2回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の日に)
8月15日に世界大戦が終結して77年の夏を迎える。戦争を経験した人たちは忘れっぽくなってもあの日々のことは決して忘れないだろう。私たちに平和の大切さを多く語り継いできてくださった。残念なのは、経験した人たちが年ごとに少なくなってくることだ。
8月15日はお盆の日。日本の古くからの文化で、すでに亡くなられた方々がこの日に戻ってくる日だ。亡くなられた方々にお願いしたい。この日にどうぞ我々の元へ帰ってきて今一度、平和の尊さを語り伝えてほしい。
8月15日は被昇天のマリアの祭日。私たちはこの日にするべきことがある。マグニフィカト(ルカ1:46-55) マリアの賛歌を、心を一つにして祈ろう!
20220801
三田教会 神田裕
<マリアの歌>
わたしは神をあがめ、
わたしの心は神の救いに喜びおどる。
神は卑しいはしためを顧みられ、
いつの代の人もわたしをしあわせな者と呼ぶ。
神はわたしに偉大なわざを行われた。
その名はとうこく、
あわれみは代々、神をおそれ敬う人の上に。
神はその力を現わし、
思いあがる者を打ち砕き、
権力をふるう者をその座からおろし、
見捨てられた人を高められる。
飢えに苦しむ人はよいもので満たされ、
おごり暮らす者はむなしくなって帰る。
神はいつくしみを忘れることなく
しもべイスラエルを助けられた。
わたしたちの祖先、
アブラハムとその子孫に約束されたように。
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