« ルルドの水 | トップページ | グーしてみ! (コンパッション) »

2023年3月 1日 (水)

コンプレックス

京都のとある大学で学長を務めていた方のインタビュー番組を見ました。アフリカはマリ出身の彼にとって、日本での生活はとても困難なものであったこと。日本人の表情が読めないのと何を考えているのか伝わってこないことで自分との距離感が難しかったといいます。

ある時、日本人の仲間とマリを訪れた時のこと、その仲間が体調を崩して病院に行った時に、医者がまず握手をして、熱があるなといい、体を触りながら話しをしたという。道具を先に使うのではなくて、人間的な触れ合いから診断が始まったというのです。日本人の仲間はそのことに感動したのだそうです。実は、彼はマリのそういった部分は自分にとってはコンプレックスだったそうで、あまり触れたくなかったことだったそうです。

このことがあって、あらためて、そのマリに見逃していた大事なものがあるのではないかと考えた。そして思い出したのが、マリの各家にある中庭だそうです。みんなが集まるその中庭では、それなりにルールがあって、コミュニティーができていて、皆がちゃんと一日を過ごせるように、ケンカもしながら調整しながら生活する場所、それが中庭だったというのです。他の人も受け入れながら自分のこともちゃんと伝えていく。お互い認め合うような姿勢をつくっていく場だそうです。多様性とは個々人お互いに違いがあることを認識すること。違いを足しあうことによって新しいモノや体験ができる社会が生まれることが大切だと思うと彼は言います。

彼は、自分の出身地のコンプレックスがあって、コンプレックスがあったときはマリの良さも見出すことができなかった。コンプレックスを取り去ると、実は見えなかった本当の良さが見えるようになったということですね。

コンプレックスとは、色んな意味があるようですが、私たちが普段使うこの言葉の意味は、劣等感。つまり自分の嫌いな部分ともいえるでしょうか。なので人からも自分自身からも隠そうとするのですが、実は、そのコンプレックスは、他にない神さまから与えられた大切なタレントだということに気がついたとき、それを自分の強みに生かしていくことができる。そういうことではないでしょうか。

四旬節は荒れ野での神との出会いの原点に立ち返るとき。着飾った自分ではなく、本当の自分に向き合って、自信をもって力強く歩みだす機会にしたいものです。

20230301
三田教会 神田裕

« ルルドの水 | トップページ | グーしてみ! (コンパッション) »

三田教会」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。