グーしてみ! (コンパッション)
小学校の時、クラスの中に誰とも喋らない女の子がいた。授業中に先生に当てられても喋ることはなかった。ただ一度だけ、国語の時間に朗読が当たった時、教科書で顔を伏せながらボソボソと読み始めた。その時だけが、初めて彼女の声を聴いた時だった。
授業が終わり、教室の掃除も終えて、放課後は運動場でドッジボールをよくした。ある日一緒に遊ぶ仲間が少なかったので、中庭で待機して家に帰る友だちに声をかけていた。そこへ彼女が通りかかった。ダメもとで「一緒にドッジボールせぇへんか」と声をかけた、立ち止まってこっちを振り向いていたが返事はなかった。もう一度尋ねてみた「一緒にドッジボールせぇへんか」。でも返事はなかった。やはりと思い仕方がないので他の友だちを探した。
その時一緒に声をかけていた仲間がもう一度彼女に声をかけた。「一緒にドッジボールせぇへんか」。やはり返事はなかった。彼は彼女にもう一度尋ねた。「ドッジボール一緒にするんやったら、グーしてみ」と言った。すると彼女は黙ったまま、右手でグーをした。そう!彼女はグーをした! 私にとっては衝撃の出来事だった。その後ドッジボール遊びがどんな様子だったかは全く覚えていないが、彼女がグーをした出来事は今でも鮮明に覚えている。
彼女は喋れない子ではなくて喋らない子だった。喋らない子なのでおかしな子ぐらいにしか思っていなかった。喋らない理由は分からなかったし考えてもみなかった。今だと発達障害と言われるのだろうか。喋らなければ友だちになれないと思っていた。でもそうではなかった。彼女はグーをしたのだった。そして何よりも、グーをしてみろと言った仲間のことの方が今でも忘れない。きっと彼女の表情を見て咄嗟に言ったのだろう。発想の転換は子どもだからできたのだろうか。私にはできなかったけど。
コンパッションという言葉がある。同情や憐れみと訳されるが、思いやりと言ってもいいかもしれない。優しい言葉だがなかなかできないことだ。相手のことを思いながらも自分の価値観に近づけようとするからかもしれない。そのままの相手と共にいることなんてなかなかできることではない。でもこのグーは、コンパッションの言葉の持つ意味を少し教えてくれた出来事だった。
20230401
三田教会 神田裕
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