孤独
35年前に、あるお母さんから話しかけられました。「いよいよ神父になられるのですね。独身を通されるのですね。寂しくないですか?」。少し間があいて、「でもね、一人で寂しいのはまだいいと思うよ。二人でいるのに寂しいのは悲しいよ。」とボソッと言われたのです。二人でいるのに寂しいとはどういうことなのだろう。寂しいというのは孤独だということなのだろうか。言われた真意がまだよくわからないのです。二人の間に会話がないということなのだろうか。心が通じないということなのだろうか。
私はいつも仲間をつくってきました。出会いを大切にしてきました。なので寂しいと思ったことはあまりないのです。それは悪いことではないと思うのですが、別の見方をすれば、孤独になるのを避けてきたということなのかもしれません。人と一緒にいることで自分を確認してきたと言ってもいいかもしれません。
ただ二つの転機がありました。一つは震災の時で、人生3回分ぐらいの出会いがあり、出会いを形にしてきたのですが、さすがに出会いが多すぎて自分の確認どころか自分を見失いそうになりました。もう一つはコロナ禍の中で、人と一緒にいることができなくなり、否が応でも孤独と友だちにならざるを得なくなりました。そんなこともあって、少しずつ孤独を大切にしなければと思うようになりました。
私の中で変わってきたものを感じます。これまでは人と一緒にいる時にこそ神さまを感じてきましたが、孤独にあるときももっと神さまを感じることです。孤独を大切にすることで、誰しもが孤独であることを知り、だから孤独な仲間たちとの関りをこれまで以上に互いに大切にしていこうと思うのです。
20230501
三田教会 神田裕
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