“たかとり”震災語り ② いのちの重み
今年も暑い夏が始まった。そしてお盆には、三田教会でも合同慰霊祭が行われる。三田に来てからもたくさんの方たちの葬儀に立ち会ってきた。家族の方たちを通して亡くなった方たちの生きた証の声を聴いてきた。一人ひとりの尊い命が自らの命とも重なっていく。
震災の時、たかとり教会の人たちは多くの家族が住むところを失い、避難生活を余儀なくされた。ただあの地震で亡くなった方はおられなかった。たかとり教会が救援基地として歩み出す背景には、教会の人がみんな生きていたことが大きな励みとなっていた。
震災後しばらくして、普段からお世話になっていた地域の電気屋さんに、救援基地の電気工事をしてもらった時のことだった。「神父さん、ぼく毎晩寂しいねん。一緒に寝てくれへんか」と言ってきたので、「何を冗談言うてるの。がんばりや」と言って帰した。1週間もしないうちにあろうことか彼はお店の中で感電自殺を図った。地震の時、側で寝ている奥さんを亡くされてずっと孤独から抜け出せなかった。‘冗談’と言って話しを聞かなかった自分自身を悔やんだ。
震災10年少したって、長田で靴の工場を経営していたある人が、「私、実は韓国で洗礼を受けているので教会に来てもいいですか」と言われた。「もちろんです」と応えた。プレハブが立ち並ぶ救援基地の解体を始めていたころ、キリスト像の横の2階建てのプレハブも壁を取り外し始め、ほぼ骨組みだけになって、全部解体する日の朝のことだった。家族の方から連絡があった。「ほんとうに申し訳ないです。父親がプレハブの2階で首を吊って亡くなりました」と言われ驚いた。警察と一緒に引き取ったと。私の2階の部屋からキリスト像を挟んでちょうど向かい側。そばで寝ていたのに全く気が付かなかった。彼は借金を重ね重ねて社員に給与を払い続けとうとう限界が来たのだと家族は言った。死ぬ場所を探すために教会に来ていたのか。キリスト像の背中を見ながら命を絶った。
震災は多くの人の命を奪った。支えることが出来たはずの命も周りの無関心の中でその命を絶った。命の重みと向き合いながらの日々が続いている。
三田教会 神田裕
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