“たかとり”震災語り ➂ たかとり救援基地
『大阪教区が目指す阪神大震災からの「再建」計画は、単に地震以前の状態に復旧することではない。キリストの十字架と復活(過越の神秘)の新しい生命に与る「新生」への計画である。』
(「教会新生への基本方針」 1995年2月2日 カトリック大阪大司教区)
30年前の大震災によって全壊焼失した「カトリック鷹取教会」で、偶々教会内で被災した8人と焼け跡のど真ん中での生活が始まった。駆け付けた近所の信徒や友人たちと一緒に「たきび」で暖を取り、「たきび」で狼煙を上げた。狼煙に呼応するかのように全国各地からたくさんのボランティアの人たちが集まり、「たきび」を囲み 「鷹取教会救援基地」がスタートした。
焼け跡の片づけ、公園での炊き出し、地域医療支援、避難場生活支援、仮設生活支援、言葉や文化が違う人たちへの生活支援などなど。集まったボランティアたちが被災地を自分の目で見て確かめて、感じ取っていったものを自由に考え、そして形にしていった。地元地域住民の震災復興会議も始まり、教会ももちろん参加した。
震災1000日目を迎えた日に「たかとり救援基地」と名称を変えた。名実ともに教区が目指す「新生」へと歩み始めたからだ。5年後の2000年には、NPO法人格を取った「たかとりコミュニティセンター」が立ち上がり、10年後の2005年には、教会も「カトリックたかとり教会」と名称を変更した。教区がどこまで想定して「新生」と言ったか分からないが、現場としては、一過性の言葉ではなく、新しい生命に与る「新生」として重く受け止めてきたのは確かだ。
ただ「新生」への歩みはそう容易くはない。時がたてば、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、「いつまでやってるねん」の声は、この30年間、教会内部で幾度となく何回も聞かされ、圧力もかけられてきた。しかし現場はますます進化している。地域あっての教会とNPOだ。教会と地域とNPOがともに肩を並べ「まちづくりひとづくり」に関わることに終わりがあるのか。
「たかとり救援基地」は、裏方として教会と地域とNPOの大切な繋ぎ役をし続けてきた。そして今も、これからも、教区の「新生」への歩みを軸に希望を持ち、挫けることなく前へ進むのだ。
三田教会 神田裕