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2025年1月

2025年1月17日 (金)

たきび131号 たかとり救援基地

『大阪教区が目指す阪神大震災からの「再建」計画は、単に地震以前の状態に復旧することではない。キリストの十字架と復活(過越の神秘)の新しい生命に与る「新生」への計画である。』(「教会新生への基本方針」1995年2月2日 カトリック大阪大司教区)

30年前の震災によって全壊焼失した “カトリック鷹取教会” で、教会内で被災した8人と焼け跡のど真ん中での生活が始まった。駆け付けた近所の信徒や友人たちと一緒に“たきび” で暖を取り “たきび” で狼煙を上げた。狼煙に呼応するかのように全国各地からたくさんのボランティアの人たちが集まり “たきび” を囲み “鷹取教会救援基地” がスタートした。

焼け跡の片づけ、公園での炊き出し、地域医療支援、避難場生活支援、仮設生活支援、言葉や文化が違う人たちへの生活支援などなど。集まったボランティアたちが被災地を自分の目で見て確かめて、感じ取っていったものを自由に考え、そして形にしていった。地元地域住民の震災復興会議も始まり、教会も勿論参加した。

震災1000日目を迎えた日に “たかとり救援基地” と名称を変えた。名実ともに教区が目指す「新生」へと歩み始めたからだ。5年後の2000年には、NPO法人格を取った “たかとりコミュニティセンター” が立ち上がり、10年後の2005年には、教会も “カトリックたかとり教会” と名称を変更した。教区がどこまで想定して「新生」と言ったか分からないが、現場としては一過性の言葉ではなく、新しい生命に与る「新生」として重く受け止めてきたのは確かだ。

ただ「新生」への歩みはそう容易くはない。時がたてば、喉元過ぎれば熱さ忘れるで「どこまでやるねん」「いつまでやってるねん」の声は、この30年間幾度となく何回も聞かされ続けてきた。だがしかし現場はますます進化している。地域あっての教会とNPOだ。教会と地域とNPOがともに肩を並べ “ひとづくりまちづくり” に関わることに終わりがあるのか。

“たかとり救援基地” は裏方として、教会と地域とNPOの大切な繋ぎ役をし続けてきた。そして今も、これからも、教区の「新生」への歩みを軸に希望を持ち、み旨のままに前へと進むのだ。

たかとり救援基地 神田裕

たきび131号 かんちゃん日記

追悼と新生のはざま

1995年1月17日。被災地は孤立し孤独が襲ってきた。たかとり教会は瓦礫となり、そして救援基地となった。毎日たくさんの人々が入れ代わり立ち代わり来てくださり、仮設建物も皆で即席に作り寝泊まりしながら活躍くださった。寂しくなんかなかった。ただ同じ場所にずっといると心身ともに疲弊してくる。教会を離れるわけにもいかない。時々2,3日部屋に籠って出ない日があった。出たくなかったのだ。食事も殆んど取らずまるで修行僧だ。みんな心配してくれたけど、ほっといてくれたらそれでよかった。独りになっている時はロクなことを考えない。仲間たちと一緒にいる時の方が寂しくもないし元気だ。ただ自分の殻に閉じこもる時間も大切だった。心と体が要求したからだ。

“1.17追悼と新生の祈り in たかとり” 毎年1.17にはたかとり教会で追悼の祈りをする。30年目だ。追悼は寂しさや悲しさを皆で共有するとき。新生は共に生きる力をつけるとき。そのはざまには、孤独に引き籠り自分に向き合う時間が必要だった。時々2,3日の引き籠りが必要だった。30年を振り返って思うのは、人は皆、所詮孤独で、だからこそ孤独同士が互いに手をつないで生きて行くのが大事だと思った。それが新生の祈りだ。
震災後の歩みは人生の歩みそのものと言ってもいいかもしれない。100m走ではなくマラソンだ。他の人のペースに翻弄されないように、自分のペースを見つけてコツコツと “出たとこ勝負” に挑むのだ。

カンダ ヒロシ

2025年1月 1日 (水)

“たかとり”震災語り ⑤ 追悼と新生のはざま

神学生時代を東京で6年過ごし司祭になって大阪に戻るとき、世話になった教会の人たちが送別会を開いてくださった。あるお母さんに「かんちゃん、これから結婚もしないで寂しくないの?大丈夫?」って言われた。続けて、「でもね、二人でいるのに寂しいよりずっといいからね」ってボソッとつぶやかれた。え、どういうことって思った。

1995年1月17日。被災地は孤立し孤独が襲ってきた。たかとり教会は瓦礫となり、そして救援基地となった。毎日たくさんの人々が入れ代わり立ち代わり来てくださり、仮設建物も皆で即席に作り寝泊まりして活躍くださった。寂しくなんかなかった。ただ同じ場所にずっといると心身ともに麻痺してくる。教会を離れるわけにもいかない。時々2,3日部屋に籠って出ない日があった。出たくなかったのだ。しかも月に一度のペースでそんな時がやってくることもあった。食事も殆んど取らずまるで修行僧だ。みんな心配してくれたけど、ほっといてくれたらそれでよかった。

独りになっている時はロクなことを考えない。仲間たちと一緒にいる時の方が寂しくもないし元気だ。でも自分の殻に閉じこもる時間も大切だと思った。心と体が要求したからだ。

“1.17追悼と新生の祈り in たかとり“ 毎年1.17にはたかとり教会で追悼の祈りをする。30年目だ。追悼は寂しさや悲しさを皆で共有するとき。そして新生は共に生きる力をつけるとき。そのはざまには、自分の孤独に引き籠り、自分に向き合う時間が必要だったかと思う。私には月に2,3日の引き籠りが必要だった。自分だけでなく人は皆、家族の中であったとしても所詮孤独で、孤独同士が互いに手をつないで生きているのだと思えば、決して寂しくなんかないのだと思えたからだ。それが新生の祈りだ。

災害後の歩みは人生の歩みそのものと言ってもいいかもしれない。短距離走ではなくてマラソンだ。他の人のペースに翻弄されないように、自分のペースを見つけて只管コツコツと、“出たとこ勝負”に挑むのだ。

三田教会 神田裕

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