たきび131号 かんちゃん日記
追悼と新生のはざま
1995年1月17日。被災地は孤立し孤独が襲ってきた。たかとり教会は瓦礫となり、そして救援基地となった。毎日たくさんの人々が入れ代わり立ち代わり来てくださり、仮設建物も皆で即席に作り寝泊まりしながら活躍くださった。寂しくなんかなかった。ただ同じ場所にずっといると心身ともに疲弊してくる。教会を離れるわけにもいかない。時々2,3日部屋に籠って出ない日があった。出たくなかったのだ。食事も殆んど取らずまるで修行僧だ。みんな心配してくれたけど、ほっといてくれたらそれでよかった。独りになっている時はロクなことを考えない。仲間たちと一緒にいる時の方が寂しくもないし元気だ。ただ自分の殻に閉じこもる時間も大切だった。心と体が要求したからだ。
“1.17追悼と新生の祈り in たかとり” 毎年1.17にはたかとり教会で追悼の祈りをする。30年目だ。追悼は寂しさや悲しさを皆で共有するとき。新生は共に生きる力をつけるとき。そのはざまには、孤独に引き籠り自分に向き合う時間が必要だった。時々2,3日の引き籠りが必要だった。30年を振り返って思うのは、人は皆、所詮孤独で、だからこそ孤独同士が互いに手をつないで生きて行くのが大事だと思った。それが新生の祈りだ。
震災後の歩みは人生の歩みそのものと言ってもいいかもしれない。100m走ではなくマラソンだ。他の人のペースに翻弄されないように、自分のペースを見つけてコツコツと “出たとこ勝負” に挑むのだ。
カンダ ヒロシ
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