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2025年2月 1日 (土)

居場所

私を探し回っている人がいると複数の教会から連絡が入った。内心、厄介な感じやなと思った。ある日曜日、三田教会に突然に訪れた人がいた。どうもその人らしい。面識はなかった。小太りで丸坊主。一目見て普通の人じゃないなと思った。

「私はあなたを知らないけど何故私を」「初めてではないです 刑務所で会っています」「でも私のクラスでは見かけたことがないね」「はい、廊下ですれ違ったのです」「えっ?」「配膳の作業をしていた時に刑務官と話していて教誨師の先生がすれ違ったのに気が付かず壁に向かいませんでした。その時は失礼しました」「そうなの?覚えてないけど」「はい、でもその時先生は叱らずにニコッと笑って通り過ぎられたのでした。その笑顔が忘れられなくて」。

あちゃ、それだけで訪ねてくるか?だいたい教誨師は身元を明かさないのに何故どうやって調べてきたのか?ちょっと怖いというか気持ち悪いというか複雑な感じで、でも教会に来たいというので受け入れた。

金銭的援助はしないときっぱりと言った。弁当屋でバイトしながら、神戸からわざわざ電車に乗って毎週通ってきた。日に日に彼の人の好さが見えてきて、教会の人にも受け入れられ、1年後には洗礼を受けた。

ところが、その後はほとんど教会に来ることができなかった。腰痛が酷くて動くこともできないことが原因だった。彼は覚醒剤で8回も刑務所に入っていた。体がボロボロだった。病院に行っても手術ができないということだった。そしてある日を境にピタッと連絡が取れなくなった。また刑務所に戻ったのかと思った。

昨年末、地域精神医学会の集まりで講演をする機会があった。その時に出会った先生が、「あなたのことは T から聞いている」「あ、T はどうしているのですか?また刑務所に戻ったのですか?」「いや、彼は亡くなったと聞いている」「えっ!」。

すぐさま、役所に尋ねたが個人情報なので教えられないと言われ、ケースワーカーの方につないでもらい、状況を知った。家族が引き取らないという遺骨を舞子墓苑まで引き取りに行った。

彼の辿ってきた人生を深く知るにはあまりにも出会いが短かった。でも偶然にこんな形で知ることになり、なんだか必死で私を呼んでいるのだろうなと思ったら、引き取らないわけにはいかなかった。

クリスマスには祭壇前の馬小屋の特等席で“彼”はミサにあずかった。しばらくは香部屋に安置して三田の墓地に入れようと思う。家族の記憶には残らないが、三田教会の記憶には残したい。

彼は居場所を探していたのだな。三田が永遠に彼の居場所となりますように。

三田教会 神田裕

 

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