つぶやいて

はり込み

たかとり教会の近くに怪しい車が止まっている。ここ最近3日間も見かけると言う。今日の日曜日にも朝からこの車は止まっていて何かこちらを監視して いるようだ。ミサに来た信者さんたちも一様にそのように訴える。私も夕方鈴木さんからそのことを聞いた。「朝からあの車が止まっている。中には4人がい る。車はレンタカーだ」と聞かされて少し緊張が走る。時々教会に勝手に入ってきてトイレに行ってるようだ」とも言う。ストーカーか?何かあってはならない と携帯で写真を撮るが今一ピントが合わない。

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他の信者さんたちにも聞いてみたがみんな不審がって怪しげ。最近は常識では考えられないへんな犯罪も多いから心配だ。FMYYの日比野君が気味が悪いので直接車まで行って確かめたらしい。聞けば、その4人組は警察だと言ってるらしい。でも怪しい。

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夕方私も車まで直接に行って、「あなたたちは誰ですか?」と聞きに行った。
後部座席から一人が出てきた。「あっ、私たち長田警察の者です」。

「長田警察?一体ここで朝から何をしてるんですか?」
「あのぉ、実は引ったくりのはり込みをしてるんです」
「はり込み?こんな目立つところでエンジンの音を立ててですか?」
「あっ、はい。何かがあったらすぐに飛び出さないと」
「はぁ?そんなん無理でしょ。こんなことで目だって張りこんで誰が引ったくりをするんですか。長田警察の人は何人か知ってますが何も聞いてませんよ」
「あっ、いや、実は。。。」
「実は何ですか?いま神戸でG8やってますが、そのことでたかとり教会をマークしてるんですか?」
「たかとり教会?えっ、そこは教会ですか?」
「何を言ってるんですか。長田警察がたかとり教会を知らないんですか。あなたたち最近こちらへ配属されたんですか?」
「いやぁ、あのぉ、実はG8で借り出されてここへ来てます。G8関係でみんながそちらへ張り付いてるのでその間地元の治安を守るために私たちはここで張り込みをしています」
「自治会にちゃんと言ってるんですか?」
「いやぁ、そこまではしていません」
「ところで、この車レンタカーですよね」
「あっ、はい。たくさんの警察官が動員されてるので車が足りなくて。。。」
「ほぉ~、ふ~ん、あそ~」「周りの人たちはストーカーと違うかとみんな心配していますよ」
「すみません。そういう風に思われているとは知らなくて」
「教会のトイレも勝手に使ってるそうですね」
「一応許可をもらいましたけど・・・」
「私は責任者ですけど何も許可してませんよ」
「えっ、あなたは神父さんなんですか?」
「そうですが、何か?」
「あっ、いや、別に。。。」

そんなやり取りが続いた。

やっぱり怪しい!!!

何がひったくりや。もし地域から被害が出てるのなら地元住民が張り込んでることを知ってるはず。自治会には言ってない。どうも教会の周辺をうろうろ しているが教会にも誰にも言ってない。何と卑猥なやり方だろう。あたかも見え見えで、多分ここで張り込んでいるぞとあえてアピールしてるのだろう。引っ たくりの張り込みなんて言うのは多分ウソくさいなぁ。

教会のトイレを何度も使ったというから、さっそく隠しマイクや隠しカメラがないかとみんなで探し回った。近所の人にも手伝ってもらって盗聴の電波を調べてもらった。。。が、今のところ発見出来ていない。

いずれにしろ、明日もこの場所で張り込みをするようだ。地域の皆さん、ちょっとおかしいと思いませんか?地元に何の知らせもなくて引ったくりの張り込みをしてるんですよ。ちょっとみんなで車に近寄って声をかけてくださいな。
「G8がらみで張り込みをするのはいいけど、エンジンかけっぱなしで朝から晩までここに車を止められたら環境に悪いのんとちゃいますか」ってね。

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救いの神?

ちあきさ~ん、誰が救いの神だって?
http://fmyykim.exblog.jp/7672259/

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3月30日

今日は3月30日の日曜日でしたね。フランシーヌの場合は・・♪何となく一日口ずさんでいました。。。新谷のり子さんが歌っていたけど、今から39年前にベトナム戦争とかに反対して焼身自殺した女性のことだったんですね。気になってネットで調べたらそういうことでした。おやすみなさい。

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9年かかるかぁ。。

急に、というか、やっと寒く感じられるようになってきましたね。こんなときは、、案の定、風邪を引いてしまいました。37.2度の微熱で関節も痛い。大事をとって木曜日に病院に行きました。

「微熱以外でおかしなところは?」
 間接が痛いぐらいで別にないです。
「喉は痛くないですか?」
 別に痛くないです。
「はい、口を大きく開けてください」
 (なんでやぁ、、別に痛くないっていま言うたやん。)ぐぐぁ~、、、
「あっ、喉が赤く腫れていますね。タバコはすいますか?」
 は、はい。
「止めて下さい!だまされたと思って止めて下さい!」
 はぁ、、ひぃ、、ふぅ、、へぇ、、、ほい。。
「他に何かありますか?」
 あのぉ、インフルエンザではないのですか?大丈夫ですか?
「大阪ではまだそんな話は聞いていないので大丈夫でしょう」
 (ウソこけぇ。←あっ、ちょっと下品?。。学級閉鎖になってるとこあるやんかぁ。)
「では、お大事に。。」
 あ、ありがとうございます。

というわけで、パッとしませんでしたが薬だけもらって(買って)帰ってきました。戻ってきてから、あのパッとしない先生が言った「だまされたと思って止めて下さい」という言葉がなぜか脳裏に残ってしまった。聞いたときは「ほいほい」ってぐらいに聞いていたのだが。。なぜか今でちょうど3日間もタバコを吸わないでいる。

今日ベトナム人の2人から、「こないだテレビでやってたけど、タバコを止めて体がきれいになるのは9年かかるらしい」って言われた。そっかぁ、3日じゃ話にならんなぁ。。。
(でも、あの方は3日で神殿を建て直すって言ってられたけどね。)

この今日のブログが消えてなくなったときは再びまた吸い始めた時ですから。。。
存在してる間は禁煙中です。

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取材

いまだにキリスト像を取材しにきてるところがある。ある意味、震災のシンボルにもなってしまったので仕方のないことだし、取り上げてもらうのは自由なことだが、これまで同じ事を何十回、いや何百回聞かれてきたことだろう。「奇跡のキリスト像」として取り上げられるのを拒みつつ、偶像崇拝的な信仰の対象とされるのを拒みつつ、「多文化共生のシンボル」としての意味づけをこれまでにも話してきた。しかし、何回も裏切られてきた。もうキリスト像に関する取材は自分にはトラウマのようになってしまっている。取材に来られても冷たく応対してしまう。

キリスト像のことだけでない。震災のこともそうだ。勿論こちらから伝えたいこともあるし、伝えなければならないとも思うのだが、突然にやってこられて、いきなり、「震災のときはどうでしたか?」なんて聞かれてしまうと、申し訳ないことだがため息をついてしまう。自分のことを腹をわって話せるようになるのは友人でも時間がかかることだが、取材の場合は短時間で合理的に誘導尋問のように質問が飛んでくる。そんなことがあった日には何か後で空しさしか残らない。そんなことは続いてきた。。。

1年ほど前に、それでも電話で取材の申し込みがあって、なぜかしら受けてしまった。○○新聞社で、これまで脅迫めいた取材までされて嫌な新聞社だったが、それは記者の人格の問題でもある。今回は話しの持って行き方がよっぽど上手かったのだろう。受けてもいいと思ったし、久しぶりに気持ちよく話せたし、気が付いたら2,3時間も話してたと思う。あるコラムに乗せるので写真も撮りたいからとまた別の日にもやってきて時間を割いた。ところが、1年たっても掲載された気配はない。ボツになったのならボツになったで何の問題もないことだが、それでも一言いうべきではないのだろうか。記者にとってはビジネスの時間だが、取材を受ける側は生活の時間を割いているのだから。

実はこのブログを書き始めたのは、そんなこともきっかけだった。毎回同じ事を聞かれるのはやっぱり辛いので、いっそのこと、コツコツと自分でたかとりのことを書いていこうと思ったからだ。その上で、私も気が付かなかったことなどでコメントがあったり取材があったりすると逆にとても嬉しい。

ところが、昨日の△△新聞社の電話取材は違った。キリスト像の取材で、このブログのある1行を私のコメントとして載せてもいいかということだった。もちろん断った。たった1行でも全体があっての1行だ。1行だけ一人歩きしてしまったらどういう結果になるかは目に見えている。今までもそうだが、その人自身を取材していると言うよりも、こちらの口にした言葉の都合のいいところだけを材料にして自分の作品を作ってるって取材が何と多いことか。世の中には言葉にしたくても言葉にならないものがたくさんある。それを言葉にするのがメディアの役目だと思うのだが。

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たかとりは地獄らしい?

今日は住吉教会の献堂式だった。これで、震災時に崩壊し、その後活動の拠点になった3つの教会(神戸中央、住吉、たかとり)で残るはたかとりだけとなった。住吉教会は幼稚園とともに再建だった。ようやく新たなスタートが始まる。
式の後に雨の中でパーティが開かれた。私も飲み食いしていると、パーティに参加していた一人のおばちゃんが近寄ってきて、「あんたはいつまでたかとりにおるんや」といきなり言うてきた。「分かりませんけど、そろそろやろね」って言ったら、ニヤッとして、「それはよかった。それ以上たかとりおったら、あんたは地獄に行くで」ってボソッと言いやった。「はぁ?地獄ですか。またなんでぇ?」って聞き返したら、何やらかんやらブツブツと言うてはった。ようわからん。でもまぁ敬虔な教会の信者の人が外野から見たら、たかとりは地獄に見えるんかもしれへんなぁ。教会っていろんな人おるからなぁ。
でも同じ言葉を使うんやったら、なぁおばちゃん、こう言わなあかんで。「たかとりは地獄を見てきたんやなぁ。でもその地獄の底から這い出してきたんやなぁ」って、そう言わなあかんのとちゃいますか。でないと、敬虔なクリスチャンにはなれまへんで。教会に行ってて、人に向かって地獄に行くでって、呪いの言葉を平気で口にできる、そんな信仰をどこで学んできはったんや。なぁおばちゃん、おばちゃんの心の平安を祈っとったるからなぁ。。。

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人なんて信じたらあかん!?

今の世の中、人を信じて生きなさいなんてなかなか言えないな。一度人に裏切られた経験をしてしまうとトラウマのように引きずってしまう。「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つく方がいい」なんて歌があったけど、なかなかそうはいかんわなぁ。特に、子どもたちにもそのように言えなくなってきていることが悲しい。親しい大人や、ましてや家族にまで裏切られて生命さえも失ってしまう子どもたちが何と多いことか。。。

何か悶々としていたけど、、、最近私は教会の中でも、「人なんて信じたらあかん!」ってハッキリ言うようになった。みんなビックリする。「えっ?あんた神父やろぉ。そんなこと言うたらあかんやん。前々から変な神父や思ってたけど、それはなんぼなんでもあんたが言うたらあかんやろぉ」って言われる。でも、やっぱり、「人なんて信じたらあかん!」ってめげずに言う。

何でそう思うようになったか?それは、、、日常で使う人を信じるってことはとても自己中心的なことやなぁって思ったから。。。「え~っ?それ逆とちゃうん?」って言われるかもしれんけど、やっぱりそう思う。「オレのこと信じられへんのか!」って押し付けてるのをよく聞くから。「あなたのことを信じてるからね」ってのも何かしたたかに押し付けがましい。それに主体性のない言葉やなぁとも思う。なぜって、関係性を相手に託した言葉やなって思うから。そこから生まれる主体的なことは我慢しか見えてこない。働きかけが感じられない言葉やと思う。

耳を澄ましてよく聞いていたら、「男なんて信じられへん」「外国人なんて信じられへん」「他の宗教やってる人なんて信じられへん」「前科のある人なんて信じられへん」、、、ってことは平気で言ったりする。結局、自分と同質でないと信じる対象じゃないことに気がついた。

もともと信じることがそんな狭いもんやったら、やっぱり「人なんて信じたらあかん!」でええと思う。なぜって、人は信じるもんやなくて、大切にする(愛する)もんやと思うから。信じられへんかっても、文化や民族や宗教が違っていても、どんな過去を持っていようとも、そんなんどうでもええ。所詮弱いもん同士。どんな人であっても「いのちあるもの」として「人を大切にして生きてゆこう!」って、子どもたちに伝えてゆきたい。

信じるっていうのは、「うつり変わって行くもの」にではなく、「うつり変らないもの(例えば神)」に対して使う言葉であるのとちゃうかなぁ。。。

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ナンバープレート

震災で車の上に部屋が落ちて来て使えなくなった。瀕死のその車のフロントガラスを破って落ちてきた瓦がフォグランプのスイッチを入れた。暗闇の中、何とか部屋から這い出して敷地の中庭に出た私たちを照らしてくれていた。

しばらくして救援活動のための車を何台か提供してもらえた。あるボランティアの人の車を個人使用のために安くで譲ってもらった。

今から5年前に、その車と近所の散髪屋さんが乗っていたスカイラインとを交換した。マニュアル車で1800cc。実は散髪屋さんもその車を別の人から譲り受けたものだった。

この車の最初の持ち主は近所のプロゴルファー。家がつぶれたが車は無事だった。震災後少したって自分の車のトランクを開けてみるとパターが一本入っていた。彼はそれ以来震災の地域活動をするかたわら、シニアのプロゴルファーになるための挑戦をした。そしてついに。

スカイラインは1992年からで今年で14年になる。走行距離ももうすぐ20万キロになる。散髪屋さんと物々交換した後に新しいナンバープレートにした。散髪屋さんのところへいった車は去年廃車になった。そしてそのあと中古の別の車を手に入れていた。

今日散髪をしに行ってビックリした。なんと新しく手に入れていた車のナンバープレートの数字の4桁は今私が乗り続けている車の4桁とまったく同じだったのだ。偶然にもそうなったのだ。ゾロメとかに敢えてしていれば可能性はあるものの、ランダムの番号で一緒だなんて、ましてやこんなに身近で車の元の持ち主の次の車のナンバープレートと同じだなんて。。。

何か縁があるんやなぁ。不思議不思議。。。

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遅ればせながら、新年、、

みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年は新年早々お葬式が3件も続きました。
二人の神父とベトナム人でした。
神父は独身で別にいいですけど
ベトナム人は子どもたち3人の48歳のおかあさんでした。
残された家族が不憫です。

ところで、
今日は近所のさんぱつやに行きました。
散髪しながら林さんの奥さんが話していました。

昨年広島でペルー人による幼女殺害事件があったのですが
ブラジル人が全国に折鶴をつくる企画をしてるそうなんですが
それを聞いて林さんの奥さんもいくつか折鶴を折ったそうなんです。
送り先とかを聞くためにいろいろ問い合わせて
ようやくそのブラジル人の電話番号を調べて直接電話したそうです。

そのブラジル人は何となく警戒してたそうで
「あなたの周りに外国人はいますか?」とたずねられたそうです。
「私はたくさんの親しいベトナム人、韓国人を知っていますよ」と言ったら
とても嬉しそうにそして心を割って話し始められたそうです。
外国人が一人犯罪を犯すとすべての外国人が白い目で見られてしまう、と。

林さんの奥さんは
「ほんまやぁ、それはあかんで。外国の人はそんなことでも悩んでる」と話してくれました。
「私たちも外国で住んだら同じ思いをするんやろね」って。

嬉しかったなぁ。。。
活動家ではなくて普通の地域の住民の人たちがそのように思ってくれてる。
TCCのみんなの思いが少しずつだけど浸透してきてるのかな?

TCCのみんな、今年もがんばろうね!

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