サンタ教会 三田

2020年1月 1日 (水)

あの日から25年

2020年、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

今年は阪神淡路大震災からちょうど25年、その1月17日を迎えます。多くの方々のいのちやこれまで築き上げてきたものが一瞬のうちに奪われた日でした。そして残された私たちの日常もなかなか立ち上がれず苦渋に満ちたものでした。しかしそんな中でも、震災から3か月ほどは、まるで『神の国』が始まったかのようでもありました。苦しい最中であるにも関わらず、どんな人とも壁が取り払われて、優しく声をかけ合い、分かち合うことができたのでした。生まれて初めて見る光景でした。でも残念なことに、しばらくすると『神の国』は見えなくなっていきました。

ある日、広島に呼ばれて震災状況の話しをしに行きました。この話しもしました。休憩時間に一人のおばあちゃんが来られて、「たいへんでしたね。ほんとにご苦労さまです。ところで、私もあなたの言われる『神の国』をみたのですよ。しかも3年ほどでした」と言われました。「それはよかったですね」とだけ応えて休憩時間も終わり会話はそのままになりました。講演も終わってすぐに新幹線で帰途につきました。ふと、先ほどのおばあちゃんの話しを思い出しました。そして、「あっ、原爆!」と気が付きました。「よかったですね」ではなく「たいへんなことでしたね」と言わなければならないことでした。自分の大変だった話しをすることが精一杯で人の話しを聞けなかったことを悔いました。ただ、想像を絶する体験をされたおばあちゃんが歩み寄ってきてくれたのは救いでした。震災体験があったことで戦争体験の一瞬を垣間見させてもらったのでした。

震災25年の体験は、人の苦しみを理解するための体験であればと願います。そして、降ってわいてきたかのような『神の国』は、今度は自らでつくって行くものとしたいです。

2019年12月 1日 (日)

フランシスコ教皇 来日

フランシスコ教皇が日本に来られました。訪日テーマは「すべてのいのちを守るため」です。長崎、広島、そして東日本大震災の被災者、特に福島の人々へのメッセージを世界に向けて発信されました。たくさんのメッセージでしたが、「私流」に短くつないでみました。みなさんはこれ以外にどのことばが印象に残りましたか?今度教えてくださいね。

長崎・爆心地で、「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。」

長崎スタジアムでのミサで、「あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らい、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰宣言です。わたしたち一人ひとりが決断することです。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか。」

広島・平和記念公園で、「わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。」

被災者との集いで、「わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。」

青年たちの集いで、「何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、誰のために生きているのかということです。」

東京ドームでのミサで、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。」

2019年11月 1日 (金)

ラグビーワールドカップ

神学校時代、ラグビー経験者の神学生が何人かいて、私も駆り出されて練習に励んでいた時期がありました。他の球技ではボールは丸が普通なのですが、ラグビーは楕円形で何といびつな形をしているのかと思っていました。転がったらどこへ飛んでいくか分からない。祈りにも近い思いでボールを追いかける。そこがこの球技の魅力でもあるようです。

今回のワールドカップでは日本は南アフリカに負けて残念でしたが、それでもベスト8に入り大活躍でした。これまでの大会での最多失点記録は17145で過去に日本が作っていましたからなおさらの喜びです。

その最多失点を記録したのは神戸で大震災があった1995年の南アフリカ大会の時でした。南アフリカではこれまで人種隔離政策(アパルトヘイト)が続いていて世界の批判を浴びていてスポーツの世界でも国際大会に出場が許されていませんでした。1994年にマンデラ大統領が選挙で選ばれて、人種や宗教を越えての新しい国づくりが始まりました。翌年にはこの国でワールドカップが開催され、南アフリカはみごと初出場、初優勝を飾ったのでした。この時に、国家として歌われたのが、アパルトヘイト下で黒人の人たちが歌っていた歌(前半部分)でした。

「主よ、アフリカに祝福を その栄光が高く掲げられんことを 我らの祈りを聞き届け、あなたの子である我らを祝福したまえ 主よ、我らの国を護りたまえ 御手によりすべての争いを鎮めたまえ 我らと我らの国を護りたまえ この南アフリカの国を、、、」。

これは「祈り」ですね! 国歌が祈りだなんて、苦労を積み重ねてきている国ならではです。この国歌を歌って、違いを超えて一つになる希望への道が動き始めたのでした。

ラグビーと言えば試合終了の合図は「ノーサイド(No-Side)」です。ゲーム終了後は敵味方がなくなるという意味ですが、実は、今でも使っているのは日本だけみたいですよ。世界で使われなくなった理由は分かりませんが、それならば、今度は、日本から世界へ向けて「ノーサイド」を発信して行きたいですね!

2019年10月 1日 (火)

タオルはちゃんと洗っているの?

震災後に救援基地となったたかとり教会には多くのボランティアの人たちが来てくださった。たくさんの物資も届けられた。
ある日小さな箱が届いた。遠いところの見知らぬおばあちゃんからだった。中に手紙がありこう書かれていた。「テレビで見ているといつも首にタオルをかけているようだが、、、ちゃんと洗っているの?」 箱の中に数枚のタオルが入っていた。
小さな贈り物に笑顔が出た。ともすれば孤独に陥ってしまう被災地。小さな優しさが勇気を与えてくれた。
”タオル”に元気をもらったたかとりは、25年たとうとしている今も活動が続けられている。
あの日キリスト像にも”タオル”を分けた。私にとって”タオル”は震災の宝物だ。


この文章とともに写真とタオルが下記で展示されます
仮称)未来へ想いを伝えよう「117 BOX・いいなの箱」展
会期:2019年10月8日~2020年2月24日
会場:阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター

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2019年9月 1日 (日)

福島

東日本大震災から8年5か月の時が過ぎました。日本のカトリック教会はオールジャパンで支援を続けてきています。3教会管区から集まる仙台教区サポート会議もこの8月で51回目を迎えます。日本の司教団は被災から10年となる2021年3月まで支援を継続すると約束しています。なので、あと1年半ほどで大きな節目を迎えようとしています。

会議で東北へ行くたびに少しずつ復興への変化が見られ嬉しいことですが、ただ阪神淡路大震災に比べて復興への道のりは数倍の時間がかかりそうです。地震だけではなく津波の被害は甚大なのと、自然災害だけではない人災も加わっているからです。

今回、福島は南相馬で集まり、ベース活動や福島の各教会で行われている支援活動状況の報告を受けました。現地視察は浪江町、双葉町、大熊町、富岡町へ。放射性物質を含むものを入れた真っ黒のフレコンバッグが延々と並び積まれている。ほとんどがまだまだ帰宅困難区域です。この夏、浪江のイオンがオープン。南相馬の海水浴場が再開。富岡漁港がもうすぐ再開で福島県すべての10か所の漁港が稼働。来年春までにはJR常磐線が全線再開と希望の持てる動きも確かにあります。でも戻ってくる住民はほんの僅か、地元に愛着のある高齢者がほとんど。10年先20年先には町はどうなるのか。

かといって私たちには具体的に何もできない。ただ、時を経るごとに地域差、個別化の問題が広がりますます分断されていく「福島」を忘れないことと、寄り添うことはできるはず。

11月末に教皇様が日本に来られる。福島まで来られないかもしれないが、福島からの声を届けたい!教皇様からの励ましのメッセージも欲しい!みんな大いに期待している!!

2019年8月 1日 (木)

丹波篠山に、、3

前回お知らせしたように、月に一度の丹波篠山での集まりに郡家にある曹洞宗長楽寺のお坊さんに来ていただきました。いつもは数人での集まりですが、この日は○○さんと△△さんの御主人も信者さんではないけれど参加、三田教会からも10人乗りの車で大挙して行きました。

先ずはミサから。お坊さんもミサは初体験。「このお煎餅みたいなのはなにですか」の質問からスタート。1.17震災法要では、いつもたかとり教会で祈って下さっているので「ごらんよ空の鳥」は覚えておられた。最後の祝福の前に、みなで般若心経を唱えたのですが、お坊さんのお経を唱える声は聴いていて心地よいしお腹にポトンと入ってきますね。

ミサの後は、いよいよお坊さんのお話を聞くことに。宗派は違うけれど、漫画の「一休さん」みたいなお坊さんです。面白いお話しやちょっと考えさせられるお話しなどなど。何よりもその場を和ませて下さる話しぶりはさすがですね。それだけで満足だったですが、なんとビックリ、後半はギターとハーモニカの楽器付きで皆さんと歌を歌ってくださったのでした。すごいなぁ。そしてお話しの後は、皆で持ち寄った食事を口にしながらの歓談。楽しいひとときはあっという間に過ぎてゆきました。

場所を提供し準備して下さった〇〇さん、みなが来るということでお家のお掃除や庭の草抜きは大変だっただろうと思います。他の方も、資料の準備や典礼の準備、食事の準備をしてくださり、ありがとうございました!

丹波篠山地区の皆さんが宗教や宗派による違いを超えて同じ地域の仲間として「まちづくりやひとづくり」に関わることも私たちの信仰生活のひとつだと思います。そのためには自らの信仰をしっかりと持っていることが大切ですね。そして違いを超えて出会ってゆくことで神さまはきっと恵みを注いでくださることでしょう。

今度は出かけて行ってお寺でお話しを聞きに行きましょうか。(^^)

2019年7月 1日 (月)

丹波篠山に、、2

F1グランプリというのがある。カーレースでの世界選手権。昔、私がよく見ていたころはセナ選手が有名でした。新幹線よりも速いスピードで競い合うのでとても危険なのですが、市街地を走るモナコGPがとても迫力があって見入っていました。
K-1グランプリというものもある。Kは空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの格闘技のKでジャンルを超えてKINGを決める。これはスポーツなのだけど痛そうなのでちょっと見るのは苦手かな。
M-1グランプリというものもある。これはお笑い系で、漫才のナンバーワンを決めるコンクール。笑いでもってみんなを楽しくしてくれるのでいくら競ってくれてもいいですね。
H1グランプリというのもある。うん?何だろう?H1グランプリのHは法話。お話の上手いお坊さんのナンバーワンを決めるのだそうです。題して、宗派を超えて、もう一度あいたいお坊さんを選ぶ、夢の法話共演、とある。今を、そして未来を力強く生きていくためのヒントやきっかけを感じ知ってもらうためとある。ただ単に面白いだけではないのですね。そして、優勝したのは、篠山にある曹洞宗長楽寺のお坊さんだ。あっ、こないだ一緒にお蕎麦を食べたお坊さんだ。早速お祝いの電話をして、篠山集会に来てお話しくださいとダメもとで厚かましくも頼んでみたら快く引き受けてくださった。7月の篠山集会楽しみ!
S1グランプリというのがある?S1説教グランプリ。ほんと?神父たちの夢の説教共演?あかんあかん、これはあかん、みんな寝てしまう。

2019年6月 1日 (土)

丹波篠山に、、

5月1日から、篠山市は丹波篠山市と名称が変更となりました。10年前に氷上町あたりが丹波市となったことが発端になりちょっと騒動に、その1年後には京都に京丹波町も誕生しました。隣同士が、我こそは「丹波」だと張り合っている感もありますが、元々は広い広い「丹波国」の同じ仲間。これからは「丹波」つながりで共に協力し豊かなまちになっていってもらいたいです。
丹波篠山の○○さん宅で月に一度数人でミサをしています。風光明媚な田園に囲まれたお家で、ミサが終わり玄関の扉を開けると、目の前に丹波富士(高城山)がドンと座っている。戦国時代の山城(八上城)です。この城で、人質とされていた明智光秀の母親(明智牧)が磔になったと言われています。細川ガラシャ(明智玉)の祖母ということになりますか。このことが、本能寺の変へとつながり、ガラシャの非業の最後へとつながっていくのでしょうか。私がこれまで居た大阪カテドラルは細川忠興の屋敷跡に建っています。ここでガラシャは壮絶な最後を遂げました。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と。戦国時代の悲しい出来事です。
来年のNHK大河ドラマは明智光秀の生涯です。「丹波」に注目が集まり、それぞれの地域で、よい「まちづくりひとづくり」へとつながって行けばいいですね。
余談ですが、名称変更と言えば、震災10年たった2005年1月17日に、同じ神戸中ブロックにある「カトリック鷹取教会」は「カトリックたかとり教会」へと名前を変えました。震災からの再建が単に復旧ではなく新生であるとの教区の方針に沿って、新たに歩み始めるシンボルとしての変更でした。
新しいぶどう酒は新しい革袋に、、「名」「実」ともに新たにされていきたいですね。

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2019年5月 1日 (水)

ご復活おめでとうございます!

三田教会のみなさま、ご復活おめでとうございます! 受難の主日から聖週間に入り、聖なる3日間を過ごし、そして春の喜びとともにご復活を祝うことになりました。

受難の主日には、枝を掲げて、主のエルサレム入城を迎えました。その枝は聖書の記述からすると本来はナツメヤシですが、みなが掲げたのは、奄美大島の大笠利教会から送って頂いたソテツでした。大島にはたくさんのソテツが生息しています。そのソテツは島の人たちの生活を支えピンチを救ってきたのだそうです。

その昔、江戸時代後期、薩摩藩に収める年貢が米から黒糖に代わりました。米作りには島の土壌が適してなかったのですね。島中の畑や水田はほとんどサトウキビ畑になってしまいます。たくさん作らなくてはならないため山も段々畑になりました。段々畑は、普通は石で縁を固めますが島には石があまりなく、代わりにソテツを植えて段々畑にしました。ソテツは丈夫な根をしっかり張って段々畑を支えたのでした。それでも島の人たちはその黒糖を口にすることはできませんでした。島の人たちの主食はサツマイモでしたが、ソテツはいざというときの食糧にもなりました。ソテツはそのままでは毒ですが、島の人たちは実や幹を刻んで水にさらして天日に干し何度もその作業を繰り返して毒を抜いてでんぷんを取り出し食糧難の時に飢えを凌いだそうです。また鉄分が多い貧しい土壌から工夫をして、島の人たちは泥染めを生み出してきました。古くから伝わる絹織物、大島紬ですね!それも、島の役人以外は着られなかったそうです。そう考えると、受難の主日にソテツを手にするとき、自らの受難を乗り越えてきた島の人たちのことも思い起こしますね。

鉄分の多い島の土壌で育ったソテツは、漢字で蘇鉄と書きます。枯れてしまいそうになる時に鉄くぎを打ち込むと元気を取り戻すと言われているからだそうですよ。くぎを打ち込まれて蘇る、、だれかからイエスの受難と復活みたいですねと言われて、そういえば、、いえいえ、違いますよ!キリストの復活はただの蘇生のことではないですからね。

聖金曜日はピンクムーンでした。4月の満月のことをネイティブアメリカンの人たちはそうよんでいるのだそうです。でも月がピンク色なのではなく、春になって色鮮やかに咲くシバザクラなどの花の色から来ているそうですよ。悲しみに暮れた受難の時が、終わりの時ではなく新たないのちの始まりの時であると、今年はピンクムーンも教えてくれましたね。

そして、今年も復活の日を迎えました。でも、喜べと言われても日常が辛くて喜べないのも私たちですね。辛い人生はなくなることはないのでしょう。だからもっと自分は慰められたい、でも、いま目の前にいるあの人のことを慰めてあげよう。もっと理解されたい、でも、隣にいるあの人のことをちゃんと理解しよう。もっともっと愛されたい、でも、それよりもあの人のことを愛そう。。。きっとその中にこそほんとうの喜びの秘密が隠されているのかもしれませんね。

受難と復活の神秘は、そんな祈りへと、そして喜びへと私たちを導いてくれるのでしょう。

2019年3月 1日 (金)

三田教会ノースエリア

三田教会のエリアはとっても広いですね。篠山、柏原、丹波へと、兵庫県の真ん中を越えてまだ北に延びて、ちょっとした遠足になります。

バレンタインデーの日、雪が降る中、午前中は篠山の○○さん宅で数人が集まりミサとお話しで楽しいひととき。焼き栗いただいておいしかった。午後からは車に乗って遠足に出た。柏原の〇〇さん宅へ。お母さんと三男の息子さんと初めてのご挨拶。ここのお家の敷地をお借りして宣教師の神父さんたちが集会所を建てて拠点としてられたのですね。大阪教区に柏原集会所が20年ほど前まであったのを覚えています。挨拶の後、息子さんが親切に案内くださってcafé Bon Neurへ。柏原で結構老舗の喫茶だそうですが、お店の看板はとても垢抜けていておしゃれな感じ。お店の名前もフランス語。幸せっていう意味なのかな?ここは○○さんのお店。お母さんと一緒に経営してられる。若い頃はサーファーだったそうですよ。そういえばまだその雰囲気が。柏原の駅前にはからくり時計櫓が珍しい。そして、そこから一気に青垣町へ。一部無料の専用道路があって北へスイスイと。たどり着いたのは、散髪屋さん。○○さん宅です。明るく元気なお母さん。しばらくしてお父さんも戻ってきた。今度はムジカ神父のことで話しの花を咲かせましょう。隣の新聞配達所で仕事していたのは娘さん。再び車に乗って今度は、春日局に会いに春日町へ。○○さんのお宅はどこだろう。あたり一帯のお家は何とみな同じ苗字だ。名前は、お福ではないし、困ったな。電話をかけてみたらおじいちゃんが出てきたけど耳が聞こえない。結局お留守でお局さんにはお会いできずまた次回に。最後に、もう一度篠山に戻り、曹洞宗長楽寺へ。1.17にたかとりで一緒にお祈りくださったお坊さんにご挨拶を。1時間以上もおしゃべりして、今度一緒に蕎麦を食べに行く約束をして、丸一日かけた遠足を終え帰途についた。

兵庫各地に点在する三田教会の信者さんたち。遠くてなかなか教会まで来れないけど、みなさんそれぞれの地で、お店やご近所づきあいを通して、町の人たちとよい交流を持ち、まちづくりひとづくりに貢献しておられることでしょう。明るく元気に地域の人たちと交わることこそ、大切な福音宣教ですね。

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