たきび 情報誌

2025年1月17日 (金)

たきび131号 かんちゃん日記

追悼と新生のはざま

1995年1月17日。被災地は孤立し孤独が襲ってきた。たかとり教会は瓦礫となり、そして救援基地となった。毎日たくさんの人々が入れ代わり立ち代わり来てくださり、仮設建物も皆で即席に作り寝泊まりしながら活躍くださった。寂しくなんかなかった。ただ同じ場所にずっといると心身ともに疲弊してくる。教会を離れるわけにもいかない。時々2,3日部屋に籠って出ない日があった。出たくなかったのだ。食事も殆んど取らずまるで修行僧だ。みんな心配してくれたけど、ほっといてくれたらそれでよかった。独りになっている時はロクなことを考えない。仲間たちと一緒にいる時の方が寂しくもないし元気だ。ただ自分の殻に閉じこもる時間も大切だった。心と体が要求したからだ。

“1.17追悼と新生の祈り in たかとり” 毎年1.17にはたかとり教会で追悼の祈りをする。30年目だ。追悼は寂しさや悲しさを皆で共有するとき。新生は共に生きる力をつけるとき。そのはざまには、孤独に引き籠り自分に向き合う時間が必要だった。時々2,3日の引き籠りが必要だった。30年を振り返って思うのは、人は皆、所詮孤独で、だからこそ孤独同士が互いに手をつないで生きて行くのが大事だと思った。それが新生の祈りだ。
震災後の歩みは人生の歩みそのものと言ってもいいかもしれない。100m走ではなくマラソンだ。他の人のペースに翻弄されないように、自分のペースを見つけてコツコツと “出たとこ勝負” に挑むのだ。

カンダ ヒロシ

たきび131号 たかとり救援基地

『大阪教区が目指す阪神大震災からの「再建」計画は、単に地震以前の状態に復旧することではない。キリストの十字架と復活(過越の神秘)の新しい生命に与る「新生」への計画である。』(「教会新生への基本方針」1995年2月2日 カトリック大阪大司教区)

30年前の震災によって全壊焼失した “カトリック鷹取教会” で、教会内で被災した8人と焼け跡のど真ん中での生活が始まった。駆け付けた近所の信徒や友人たちと一緒に“たきび” で暖を取り “たきび” で狼煙を上げた。狼煙に呼応するかのように全国各地からたくさんのボランティアの人たちが集まり “たきび” を囲み “鷹取教会救援基地” がスタートした。

焼け跡の片づけ、公園での炊き出し、地域医療支援、避難場生活支援、仮設生活支援、言葉や文化が違う人たちへの生活支援などなど。集まったボランティアたちが被災地を自分の目で見て確かめて、感じ取っていったものを自由に考え、そして形にしていった。地元地域住民の震災復興会議も始まり、教会も勿論参加した。

震災1000日目を迎えた日に “たかとり救援基地” と名称を変えた。名実ともに教区が目指す「新生」へと歩み始めたからだ。5年後の2000年には、NPO法人格を取った “たかとりコミュニティセンター” が立ち上がり、10年後の2005年には、教会も “カトリックたかとり教会” と名称を変更した。教区がどこまで想定して「新生」と言ったか分からないが、現場としては一過性の言葉ではなく、新しい生命に与る「新生」として重く受け止めてきたのは確かだ。

ただ「新生」への歩みはそう容易くはない。時がたてば、喉元過ぎれば熱さ忘れるで「どこまでやるねん」「いつまでやってるねん」の声は、この30年間幾度となく何回も聞かされ続けてきた。だがしかし現場はますます進化している。地域あっての教会とNPOだ。教会と地域とNPOがともに肩を並べ “ひとづくりまちづくり” に関わることに終わりがあるのか。

“たかとり救援基地” は裏方として、教会と地域とNPOの大切な繋ぎ役をし続けてきた。そして今も、これからも、教区の「新生」への歩みを軸に希望を持ち、み旨のままに前へと進むのだ。

たかとり救援基地 神田裕

2024年1月17日 (水)

たきび130号 かんちゃん日記

能登半島での大きな地震で新年がスタートしました。一年で一番平穏に過ごしたい元旦に、地震、津波、火災に見舞われた被災地、被災された方たちのことを思うと心が痛みます。被害は想像以上の大災害であることが日に日に明らかになってきました。神戸が過ごしてきた日々を今から始められるのかと思うともう言葉が出てきません。そんな中、神戸から真っ先に救援に駆けつけて下さっている方たちもおられます。29年の間に培ったノウハウを届けるために、否そうではなく、これまで受けた感謝の気持ちと恩返しと、そして何よりもほっとけない思いをもって駆けつけて下さっている。今は苦しみ悲しみのどん底におられる方たちへ少しでも生きる勇気と希望を無くさないでほしいとの熱い思いを持って寄り添って下さっている。それは何も神戸からだけではなく東北からもみな同じ思いで駆けつけて下さっている。古くからの文化を継承し続けてきた能登でもあります。時間をかけてでも再興して行って欲しいものです。すぐには飛んでいけない私たちも長い時間をかけて繋がりをこれから持って行くことになりましょう。祈りを込めて。

カンダヒロシ

2023年1月17日 (火)

たきび129号 かんちゃん日記

あの日あの時はずいぶん昔の出来事のようになってきたが、家族を失った人たちの記憶は決して過ぎ去らない。こうしていればという悔しい思いは今も続いている。また、その日から始まった復興そして新生のプロセスも、過去のことではなく、人との交わりの中で、被災地では今もリアルタイムで日々の出来事が続いている。

南海トラフで巨大地震が発生する確率も高くなってきた。大災害が再びいつ突然襲ってくるかわからないので不安な気持ちは無くならない。少しでも被害が少なくてすむように普段からの心がけを忘れないようにしたいもの。何が起こったとしても、時を重ねつつ未来へのプロセスを歩んできた希望と勇気は忘れないでいたいもの。

自然がもたらす災害での破壊は、避けることができずに恐ろしいことだが、私たちが自然の中の一員として、自然と調和しながらして生きて行くことで、気づきを重ねて、恐ろしさから少しずつ解放されて行くことだと思う。しかし、、、

人間がもたらす災害での破壊は、避けることができるはずなのに、そうはならない恐ろしさがあり、残念でならない。始まってしまうと、破壊し尽くしてしまうまで終わらず、憎しみで傷ついた心のプロセスは、時を超えて癒えることなどほとんど難しい。

自然の脅威などは、ほんとうは何もなくて、自然は常に恵みをもたらすものだと思う。脅威なのは私たち人間のおごり高ぶりなのだとつくづく思う。

カンダヒロシ

https://youtu.be/uOUjj3GSFXo

 

2022年1月17日 (月)

たきび128号 2022/01/17

<かんちゃん日記>
コロナ禍の中であっという間に時が過ぎていきます。震災から27年が経ちました。思うように人と向き合って関われない寂しい思いの中で過ごすことが日常になってきました。孤独の中での閉塞感からか悲しい事件も増えてきているような気がします。TCCの仲間たちは、それでも、忘れ去られようとしている一人ひとりとのつながりが切れないように、たくさんの工夫の中で活動を続けてきています。手紙一つでも、LINEやメールでも、つながりが切れないようにしていきたいです。27年前にたかとりから発信したメッセージは今もそのまま生きています。カンダヒロシ

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<ベトナム夢KOBE>
ベトナム夢KOBEは、2021年で8年目を迎えました。現在の団体名に変更する前のNGOベトナムin KOBEは2001年に発足したので、昨年はたかとりコミュニティの一員として「在日ベトナム人支援」を開始して20年という節目を迎えたことにもなります。団体発足当時から、私たちは被災時のベトナム人と日本人との協働の精神を忘れずに、ベトナム人と日本人が一緒になって活動を行うことを大切にしています。「ベトナム人のため」でもなく「日本人のため」でもない、「同じ社会の一員としてのベトナム人と日本人のための団体」であるということが私たちの原点です。しかしながら、「一緒に活動を行う」ということは、決して綺麗事だけで語ることはできません。文化の違いを乗り越えようとする場合、往々にしてどちらかが「我慢」をすることになります。これまでスタッフ同士でも「我慢をし合う」ことが何度もありました。でも、最近になって少しずつ感じ方が変わってきました。それぞれが我慢をし合っているのではなく、互いを尊重し合っているのだと感じるようになりました。だからこそ、ベトナム夢KOBEはここまで続けてこられたのだと思います。8年目を迎えた私たちは、これからも多文化社会に暮らすベトナム人と日本人として異なる文化を尊重する大切さを伝える活動を続けていきます。ノガミエミ

<リーフグリーン>
阪神淡路大震災から27年が経ちました。当時幼かった我が家の子供たちも親となり、春には13人目の孫が生まれてきます。今振り返ってみると、あの未曽有の体験が私の人生のターニングポイントであったように思われます。それまでの私はいろんなものに縛られて、ただ生かされてきたようなところがありました。それが、神田神父様から背中を押されて、3人の仲間と「リーフグリーン」を自ら立ち上げることになりました。団体の運営も事業の計画も初めての事ばかりで四苦八苦、資金繰りも大変で救援基地から随分助けていただきましたが、自らの意思で行動することは楽しく、苦にはなりませんでした。「こんな事で困っているから助けて欲しいと思っている人と、こんな事なら提供できるよと思っている人がうまく出会い、助け合ってお互いに幸せであること」を理念に掲げて、これまで歩んできました。私自身、良い関係が築けた時ばかりではなくお互いに傷つけあった事もありましたが、多くの仲間に支えられ、多くの方々との出会いと別れを繰り返す中で育てていただきました。これからの「リーフグリーン」を若いスタッフたちがどう育てて行ってくれるのか、楽しみに見守っていきたいと思います。ヨシモトカツコ 

<多言語センターFACIL>
昨年もコロナ禍に振りまわされた一年でした。1月から9月まで事務所の人数が半分以下になるようにテレワークをしていました。緊急事態宣言の解除後、10月からやっと全員が出勤できるようになり、それまで止まっていた対面の事業も動きだしました。そんななか、医療通訳システム構築事業で培ってきた実績と経験を活かし、神戸市コロナワクチン接種会場での通訳を行いました。7月はハーバーランド大規模接種会場に木曜日と土曜日、日曜日、祝日に、8月から11月まではノエビアスタジアム大型接種会場に土曜日、日曜日に(10~11月は祝日も追加)、英語、中国語、ベトナム語の通訳者が常駐しました。延べ英語39件、中国語18件、ベトナム語465件、計522件の対応をしました。件数もさることながら、接種に来られたみなさんと医療従事者や会場スタッフの方々のあいだの「ことばの壁」を乗り越えるサポートすべく臨機応変に駆けまわる通訳者の姿は現場に大きなインパクトを与えました。地域社会に外国にルーツを持つ人々がたくさん住み、働き、学び、みな同じように不安を感じ過ごしていること、そして同時に「ことばの壁」を乗り越えるために活躍し、多文化・多言語化した地域社会を支える人でもあることが可視化したのだと思います。2022年こそはコロナ禍が収束し、いろいろな人と会い交流できる年となりますように。リユミ

<ワールドキッズコミュニティ>
ワールドキッズコミュニティは、あの震災で気づかされた多くのことの中で、外国につながる子どもたちの教育環境の改善が、日本の教育環境そのものを問い直すことになるのだということにこだわって、活動を続けてきました。日本には、何らかの理由で義務教育を学び直したいと思う人たちの最後の砦となっている夜間中学があります。そこに、不登校になってしまって学べなかった人、貧困により幼少の頃から家業を手伝っていた在日コリアン、外国から親に連れてこられて日本の学校の授業についていけなかった日系人など、識字率の高さを誇っているはずの日本社会で、形式的な卒業をせざるを得なかった人たちが通っています。不登校になってしまっている子どもたちの数がどうして増加しているのか、子どもの貧困状況から生まれている子ども食堂がなぜ必要なのか、どうして日本語が母語ではない子どもたちが授業についていけないのかなど、根本的な解決が叫ばれている日本の教育環境そのものの現状が浮き彫りになっています。外国ルーツの子どもたちの教育環境を、その保護者とともに改善しようという活動の意義が、こうして可視化されてきました。すべての子どもが、楽しく学べる環境は、多様性を生かしたまちづくりにつながっていきます。これからのキッズの活動は、昨年からFACILの一つのプログラムへと移行を進めています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ヨシトミシヅヨ

<ひょうごラテンコミュニティ>
新年あけましておめでとうございます。昨年もコロナによる影響で、大変辛い年でしたが、皆様のご支援のおかげで活動を続けることができました。本当に感謝の一年でした。ありがとうございます。昨年も、フィエスタペルアナやラテンクリスマスなどイベントを開催せずに、情報発信に力を入れました。その成果だったのか、会えなくても遠くても繋がりが広がったと思っています。そうした中で、嬉しいニュースがありました。それは、私たちの防災に関する活動を知り、学びたいと言ってくださるペルーの現地の方たちと繋がれたことです。日本だけではなく、世界で、私たちの活動を見ている人がいるんですね。今年は、その、繋がった現地ペルーの方たちと新しい計画が進んでいく予定で、さらに忙しくなりそうです。また、国内に目を向けても、コロナ終息は、まだまだ先のようですが、皆が明るい気持ちで安心して暮らしていけるように、支援を頑張っていきます。では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。2022年、皆様にとって、幸多き一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。オオシロロクサナ

<アジア女性自立プロジェクト>
今年は団体設立して28年目、2024年には30周年を迎えます。10周年、20周年には、講演会やパネルディスカッションなどを開催し、多くの方に参加いただきました。さて30周年にはなにをしようか、スタッフの間でも話題に上るようになりました。あと2年、まだ先のような気もしますが、コロナの2年間を考えるとあっという間にやってくるように思います。この28年の間で私たちとともに活動してきたアジアの女性たちとともに28年重ねてきました。ライフサイクルが次第に変わり、それぞれのニーズや環境も変わってきつつあります。私たちの側も、新しい感性で新しい活動を展開しようとするボランティアが参加してくださり、大きな力になっています。昨年は新しいフェアトレード製品ラインナップを投入しました。販売環境が厳しいのは承知の上、仕事づくりを支えあうという思いだけで乗り切ってきました。おかげさまで買ってくださった方から「これいいね!」と言っていただけたり、オーダーがすごくうれしいと生産者のアジアの女性たちの励みになったりと、やっててよかった、と感じます。またコロナも相まって人の孤立の問題が深刻になっています。AWEPでも国籍などにかかわらず女性ならだれでも気軽におしゃべりできる集いを定期的に開催しました。とても緩やかではありますが、場を開き続けることでいつでも、だれでもどうぞ、気軽に集いましょうというメッセージを伝え続けたいと思います。今年もみなさんとともにAWEPを様々な活動の場としていきます。ナラマサミ

<AMARC>
新年おめでとうございます。阪神淡路大震災と東日本大震災の経験を活かして、JICAの支援を得てインドネシアで2017年7月から取り組んできた「コミュニティラジオを活用した地域防災力強化事業」が今年3月に終了します。日本とインドネシアにおける「コミュニティラジオと防災」に関する経験を両国の関係者が共有し、互いの活動に活かすとともに、国を越えた人的なネットワークを広げることができました。特に、大きな災害が発生した際に日本と同様にインドネシアでも、情報通信省の省令に基づいて臨時災害ラジオ局開設の放送免許が被災地の団体に交付されるようになったことが大きな成果となりました。臨時災害放送局の制度化は日本に続いて世界で二カ国目です。セミナー開催、地域防災計画の改訂支援、SNSを活用した広報、書籍やブックレットの発行など、可能な限りの活動と手段を使って、災害時にすぐさま臨時災害ラジオ局が開設され、被災者が生き抜いていくたの情報を受け取ることができる、中身の伴った制度にするための活動に現地の仲間達とともに尽力してきました。その原動力となったのは、2004年のスマトラ沖地震・津波以来、大きな災害が発生しても臨時災害ラジオ局を開設できなかったり、あるいは開設が月単位で遅れてしまったことの悔しさであることを、一緒に活動をして感じる場面が幾度となくありました。草の根レベルの活動ですが、こうした思いが社会を動かし、国を超えて協力できたことはい大きな喜びです。昨年12月にインドネシアのジャワ島東部で火山が噴火し、火砕流で60人が犠牲になり、5千人以上が避難生活を送っています。現地の仲間たちが早速、被災地に駆けつけて、火山から近い町で緊急放送を始めています。ヒビノジュンイチ

<FMわぃわぃ>
こんにちは、コミュニティメディアFMわぃわぃです。1995年阪神・淡路大震災、神戸長田にはたくさんの在日コリアンが住み、地域のお役をする人、本名で自分らしく暮らすコリアンがたくさんいました。にもかかわらず、避難所の登録には「思わず通称名(日本名)で登録した」と忸怩たる思いを語る友人たちもいます。その思わず「日本人のふりをした」というこの社会にある圧力や、マジョリティ目線の常識から見落とされる人々の存在を顕在化させる、そのために生まれそして発信し続けているのがFMYYです。違いを持つ仲間がいることで多くの気づきが生まれます。先日一緒にお昼を食べながらふと見たテレビの紛争、難民のニュース、ベトナム人の友人が一言、「わかるわ、あの気持ち」。さっき見たニュースは遠い世界の話ではなく、私の前にいる人が経験したこと、今まさにミャンマーでアフガニスタンの人々が、どんな思いで、自分の住まいを自分の国を捨てるのか、友人の一言に気づかされ胸が迫ります。震災から2週間後に「FM여보세요(ヨボセヨ・もしもし・韓国語)」が生まれ、そして3ヶ月後に「FM Yêu Mến (ユーメン・友愛・ベトナム語)」が生まれ、言語だけではなく、震災という災害が浮き彫りにした社会の中で孤立したり、排除されることがあったり、あるいは声が上げにくい状況にあるいろんな人々がいることを発信し続けてきました。その形態はラジオからネットへと変遷しましたが「誰もが自分のままで幸せに生きる」そんな社会を目指すという基本は変わりません。社会は確かに前進しよくなってきました。しかしながら、暗澹とするニュース、信頼に足る政権とは言い難いという思いがあるのも事実です。たとえ何が起きても、一人ではない、取り残されはしない、排除されたりはしないという温かな社会になっているとは言いにくい?でも震災の時確かにあった「人が他人のことを気に掛ける」そんな声を届け続けるため、FMYYのスタジオはいつでもあなたのおいでをお待ちしています。キムチアキ

<野田北キッズ>
「コロナに勝つには」自然を味方にするがよい。今年は「コロナ」のことばに生活のリズムをふり回されている状態が続いています。最近は、新型コロナウイルスの新型異株「オミクロン株」による感染拡大を止める為のワクチン接種を米国では義務受けると伝えられています。私たちはいつになったら、落ち着いた日常生活を送ることができるのでしょうか。コロナで不登校、ひきこもりの子供が急増しています。2020年度の小中学生の不登校児童生徒数は19万6127人、高校でも不登校数43051人、自主休校9382人となっています。中学では、24人に1人の割合です。近々では、地震や天候異変が発生、日々の生活のサイクルが思うように回っていない実情があります。この状態を見るに、将来の日本の国の展望を深刻に考えなければと思う。ところで、本誌の題名が、「たきび」とあり、毎年それぞれの団体の皆さんからの主張を楽しみにしています。「たきび」とあれば、童謡を思い出し、口ずさみながら登校前を楽しみました。家の前の稲を刈り取った田んぼの真ん中に、稲藁、枯葉、枯れ木、枝豆のさやをおじいさんが燃やしでくれ、束の間の暖を楽しみに近所のガキ大将とたわいのない話をするのが、日課となっていました。たまには、焼けたサツマイモを取り出して振る舞ってくれるのを楽しみにしていたのを思い出します。暖をとりながら、家での話、学校での話、放課後の話等今思い出しても楽しいです。翻って、現在の子供たちの家や広場での生活を見ていると、マスクをつけた子供たちが人数グループになって精々鬼ごっこやゲームかを見るにとどまります。また、自転車に乗ってグループで横道を走りまわっているか手打ち野球などをしているかです。高学年では四阿の下で、ほたえているか、宿題を出して友達と考え合いをしたり、家の中で遊んだりしているのを見かけます。兎に角。戦後の様に群れて遊ぶことを忘れた子供集団が多いことです。遊びをつくり出し、面白さ楽しさ、考えて生み出す。面白くして遊びを楽しむことがあまりないようです。学習することは机の前に座ってすることばかりでなく、自然界に飛び込んで課題を見つけて挑戦することでしょう。野田北部自治会の青少年部では、「キッズクラブ」としてこれまで色々と活動しています。11月13日(土)に「望遠鏡を作って、秋の夜空を見ませんか。」の会を夕方6時から3時間ほどかけて、様子に高校生のOB会、地元の中学生・会社員に応援を求めて開催しました。参加者の感想。「作るのもとても楽しかったし、自分の作った望遠鏡で見てとてもきれかった。夜空はお月様がなくてさみしかったけど、町のかんばんや街灯の光もきれかったです。」と。参加された親御さんは、「3D宇宙旅行を初めて見て感動しました。すごくわかりやすかったです。工作も丁寧に教えていただきうまく作れました。予想以上に楽しかった。また開いてください。」と。参加された親御さんが機して、少し程度が高くても、丁寧にアドバイスすれば、友達やお家の方と楽しく理解きる証となっていることが解ります。この事に気が付かれたてこの催しが来てよかったと思われているのです。「人間的な成長の機会と造る」ことが子供の成長の土台になる。黒田浩平様(希学園学園長)が、書かれていたのを新聞で見て、同じことだと思い大変嬉しかったです。野田北部自治連合会 イワタマサユキ

<ひょうごんテック>
久々のテックカフェを実施しました。2011年の3月と4月に「LibreOfficeオンライン講座です。新たにYouTubeチャンネルを作成し、その内容を公開しています。定例となったオンライン・公開世話人会も、会議はもちろんグチやマニアックな話題もでてきて、世話人以外の方の参加もときどきあります。事務局のオガタさんからたかとりの様子も聞いたりします。9月には世話人会に「最近のパソコン事情ってどう?」というサブタイトルをつけたりしました。興味ある方は tech@tcc117.jpにどうぞ連絡を。ここ数年でNPOのIT事情も変化していきます。クラウドベースのデータベースや会計システムを導入している団体もあります。一方手元のパソコンを中心に作業を行っている団体もあります。たかとり内外でさまざまなパターンがあります。NPOの基本業務も改めてクラウド化が進んでいます。しばらく前にWeb上にある古くからのデータベースが、技術的メンテナンスがなされないままサイトが消滅し復活の必要があるという問い合わせがありました。「最近インターネットが使われ始めた」と言っていたのは昔のこと、古い情報を残すためのシステム作りも重要になっています。そして、多くの人がデータを共有して作業していくときの、団体内・団体間のセキュリティ運用の取り決め作成・確認という話題も出はじめています。することは尽きません。また一年よろしくお願いいたします。ヨシノタロウ

 

2021年1月17日 (日)

たきび127号

<かんちゃん日記>
今から30年前、たかとり教会に赴任したとき、前任者であるA神父に教わったことがある。それは「我慢」と「忍耐」は違うのだと言うこと。

先の見えない今のこの時をじっと我慢してやり過ごすにも限界がある。ただ我慢ではなく忍耐する。逆境にあってもものごとをプラスに捉えることが忍耐ということになる。コロナ禍にあって、自らの気づきに目覚め、自身を超えた幸せを願い考え行うことができるなら忍耐となり、自らの未来をも呼び込むことができるのだろう。

コロナ災害だけではなく、今までに経験したことのない猛暑や、巨大な台風、豪雨や洪水など、私たちが生活しているこの自然環境も激変してきている。地球温暖化という言葉もこれまでよく耳にしてきた。

いま体温が37.5度以上になるとコロナの疑いが出てくる。どうも私たちの住むこの地球も体温?が37.5度を超えたようだ。つまりこの地球も「コロナ」に感染している!? 原因は、私たち人類。つまり、地球にとっての「コロナ」は、実は私たちなのだ。

「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気がつかないのか。」という聖書の一節がある。私たちを攻撃してくるコロナ(おが屑)には敏感な私たちだが、この地球を攻撃している「コロナ(丸太)」にはまだまだ鈍感なようだ。

ステイホームが続く今、「忍耐」を以てして、自らも「コロナ」であることをしっかりと認識し、アフターコロナを見据えていきたいものだ。

震災から26年を迎える。

2020年5月 6日 (水)

FMYYメッセージ

https://youtu.be/q8y6ijtktDY

みなさん こんにちは たかとりコミュニティセンターの神田裕です。

新型コロナウィルスが猛威を奮ってきました 緊急事態宣言も延長され益々この脅威は広がり続けています たかとりコミュニティセンターのある教会も 日曜日の公開ミサ及び集会の中止が3月から続いており 更なる延長も発表されました それを受けて TCCの母体であるたかとり救援基地も4月からしばらく活動を休止しています

25年前に大震災を体験し 「災害」の怖さを嫌というほど知りつくし それをきっかけに多くの人たちの支えによってこれまで前向きに歩んできた私たちです 災害が発生すれば進んで現地に赴き対策を練ってきました 直接に顔と顔を向き合わせての「出会い」や「つながり」を支えにしてこれまで歩んできました

ところが まさかこんな「災害」を体験することになるとは夢にも思っていませんでした 今回の「災害」はこれまでの常識が通用しないものだと知りました 何かしたいのに何にもできない 駆け付けたいのに駆けつけることができない 体を動かして顔と顔を向き合わせないことが「災害」を防ぐことなんだということを知りました

ただそれでも この「災害」に顔と顔を向き合わせて闘っておられる方々がおられます 医療や介護の現場で実際に体を張って働いておられる従事者の皆さんに 心から敬意を表したいと思います 

今は不安でいっぱいですが こんな時にこそ 自分のことだけでなく隣の人を思いやれますように 人と人とが分断されてしまわないように お互いが傷つけ合うことのないようにしたいものです

そして今から コロナが終息した後のことをみんなで考えてみましょう 「国境を持たない見えないウィルス」に今は翻弄されていますが ポジティブに考えれば 私たちもいっそ このウィルスに倣って 「国境を持たない見えない思考」でものごとを捉えなおし 見えないウィルスの正体が分かった時には 「国境を持たない見える世界」を創り上げていきたいものです

みなさん 今は25年前に比べると 通信事情も格段に発展し 直接に顔を向き合わせなくてもつながって行くことができます 今は 直接に向き合うのはしばらく控えて 逸る思いを抑え 十分にエネルギーを蓄え また復活して動き始めるときに 心機一転心を一つにして 前に進んで行こうではないですか!

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

2020年4月12日 (日)

TCC 新型コロナウィルスの対応に関して

たかとりコミュニティセンター各団体のみなさま

新型コロナウィルスが猛威を奮ってきました。緊急事態宣言も出され益々この脅威は広がり続ける様相です。現時点で教会は4月末まで日曜日のミサ及び集会の中止延長を発表をしました。それを受けて、TCCの母体であるたかとり救援基地も来週からしばらく活動休止することにしました。連絡会議、TCC/IT委員会や昼食なども中止をします。各団体のみなさまもそれぞれに適切に判断し対応なさってください。

連絡会議や委員会へは、開催予定であった日までに各団体のメモをTCC宛に送ってください。議事録にまとめて配信します。TCC内部で感染者が出た場合はTCCはしばらく閉鎖されます。そのことも想定の上対応を考えておいてください。

25年前に大震災を体験し「災害」の怖さを嫌というほど知りつくしそしてそれをきっかけに多くの人たちの支えによってこれまで「新生(新しく生まれる)」を合言葉に前向きに歩んできた私たちですが、まさかこんな「災害」を体験することになるとは夢にも思っていませんでした。

25年間、心臓の鼓動のように動きを止めることなく前に進んできました。他に災害が発生すれば進んで現地に赴き対策を練ってきました。直接に顔と顔を向き合わせての「出会い」や「つながり」を支えにしてこれまで歩んできました。

ところが、今回の「災害」はこれまでの常識が通用しないものだと知りました。何かしたいのに何にもできない「災害」があるんだとあらためて思い知らされました。体を動かして顔と顔を向き合わせないことが「災害」を防ぐことなんだと。私たちの活動の限界を知りました。

ただそれでも、この「災害」に顔と顔を向き合わせて闘っておられる方々がおられます。医療現場で実際に体を張って働いておられる医療従事者の皆さんに心から敬意を表したいと思います。

みなさん、今は、25年前に比べると、通信事情も格段に発展し、直接に顔を向き合わせなくてもつながって行くことができます。ですので、直接に向き合うのはしばらく控えて、はやる思いを抑え、十分にエネルギーを蓄え、また復活して動き始めるときに、心機一転、心を一つにして前に進んで行こうではないですか。

2020年412日 復活祭の日に

たかとりコミュニティセンター
代表 神田裕

2020年1月 1日 (水)

たきび126号

<かんちゃん日記>
震災から9131日たちました。25年たったのではなく、300ヶ月たったのでもなく、9131回の朝と夜を過ごして今日の日を迎えました。悲しい日があって、苦しい日があって、辛い日があって、逃げたい日があって、、心が震えた日があって、心に刻みたい日があって、嬉しい日があって、楽しい日もあって。。震災の中で共に生きてきた人は、被災者も支援者も、9131通りの毎日を過ごしてきました。しっかりと心に刻んで明日につなげていきたいですね。

2019年1月17日 (木)

たきび125号

<かんちゃん日記>
欧州のとある国の首相が、新年に向けた挨拶で、「他国の利益にも配慮することが結果的に問題解決につながるというのが、2度の世界大戦の教訓だったはずなのに、こうした考え方は、もはやすべての人に共有されているわけではない」と語っていた。2019年世界は益々自国中心主義の道を歩むのだろうか?たかとりの震災復興は、多文化なまちづくりを目指しての歩みだ。外国からきた人たちが心細い思いをしないで住めるように配慮することでもあるが、それよりも、外国の人たちが同じまちに暮らしていることが、まちにとって迷惑なことではなくて、実は、まちが活性化し豊かに潤っていくことだと知っているからだ。たかとりの仲間たちはその考えを共有している仲間たちだ。たかとりのキャッチフレーズ「ゆるゆる多文化 いとをかし」とともに、風潮に流されずに信念を持って世界に発信していきたい。

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