かんちゃん日記

2015年1月17日 (土)

たかとり20年

阪神淡路大震災20年

20年前にたかとりから配信されたビデオレターです
青池憲司監督が撮影してくれました。
4部作でたかとりの1年が記録されています。
FMYYスタート時の映像やアジアタウンのイベントなど...
たかとり救援基地の活動が収録されています。

2015年1月 2日 (金)

《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》

みなさまお元気でおられますか?

あの日からもう20年になろうとしています。
長きにわたってたかとりとともに歩んで下さり
ほんとうにありがとうございます。

1月には以下の企画を行うことにしました。
これまでたかとりに関わって下さった皆さまとの
再会の場づくりとして企画しました。

今年はちょうど17日、18日が土日となり出かけやすいかと思います。
是非にお立ち寄りくださいませ!
たかとりスタッフ一同 心よりお待ちいたしております。

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《 現在・過去・未来 ~たかとり20年~ 》
イベント開催のご案内 2015年1月16~18日

16日(金)「テーマ:現在」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    19:00 これまでのボランティアさん方との交流会

17日(土)「テーマ:過去」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
     5:30 1.17追悼と新生の祈りinたかとり
        祈りの後、豚汁をみんなで一緒に! 
     9:00 もちつち
    11:00 交流会
    15:00 1.17 KOBE 灯りin 長田(新長田駅前)

18日(日)「テーマ:未来」 たかとり救援基地(たかとり教会) 
    10:00 日曜日ミサ
    11:30 イベント開会
           多国料理・歌・踊りなど...
    15:00 閉会

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2011年3月26日 (土)

東松島市野蒜(のびる)地区へ

今日は朝から松島町町役場に行きました。松島町の町役場の副町長さんは以前たかとりに救援に来てくれた方でした。松島町は島々に囲まれて比較的に被害は少なかったのだそうですがそれでも被害は大変です。

松島町よりも被害の大きい隣の東松島市に一緒に行くことになりました。副町長さんも震災後初めて行くのだそうでちょうどよかったのです。天然ガスで動いているタクシーを手配して回ることにしました。タクシーの運転手は女性の方で実家が東松島市野蒜(のびる)地区の方でした。彼女も震災後初めてその地域に入るのでした。

タクシーに乗って20分ほどで、周りの様子はガラッと変わってしまいました。私も阪神大震災後、新潟、台湾、コロンビアの被災地に行きましたが、ここの現場に来て、これまでとは比較にならない惨状に言葉をなくしてしまいました。隣町の副町長さんでさえ言葉をなくしていました。運転手さんは精一杯地域の説明をしてくれてますがとても悲しそうでした。

道はなんとかタクシーで通れましたので直後はもっと酷かったのだろうと想像します。瓦礫の広がっているところに家々が立っていたとは想像もつかないです。なぎ倒された松の木に生活用品がぶら下がっているのに胸が詰まりました。野蒜駅の時計は2時46分で止まったままでした。一か所で自衛隊の人たちが行方不明者の捜索をしていましたが、それ以外にはほとんど人影はなくまだまだ手が回っていないのを知りました。ただここはボランティアのレベルではないと思います。

タクシーで町役場に戻る途中で運転手さんは「あっ」と言って、外の人に向かって手を振っていました。どうしたんですかと聞くと、「震災後、今初めて出会った同級生なんです」と涙ぐんでおられました。

添付の写真には入れていませんが野蒜小学校に行きました。地震後にこの小学校の体育館に避難した人たちが津波の被害にあった場所でした。被害にあった避難してきたの人たちの自動車が百台ほど無残にも放置されていました。写真はネットにアップしました。 https://picasaweb.google.com/108810211903027290027/20110325#

この度の災害はあまりにも広大で何に手を付ければいいのかさえ分からずにいます。ただ言えるのはご縁があってつながりのあるところとつながることしかないのでしょう。そういう意味ではたかとりは松島町とご縁があってつながるのかなと思います。そしてまた、これまでたかとりとご縁があった町々とも間接的につながって行くのでしょう。被災地では隣にいながら隣町の状況もテレビなどでしかわからず、副町長さんは今回こうして実際に自分の目で現状を目の当たりにし、改めて隣町の支援をなお一層強化することを心に決められました。

日本三景の一つ松島。いつか観光に行ける日を夢見て。。。
http://www.town.matsushima.miyagi.jp/

ps:日比野さんが撮った写真は以下です。
https://picasaweb.google.com/109868242949559116365/_325#

2010年7月 7日 (水)

初めてのボランティア

今から30年ほど前の正月のことを薄っすらと思い出しました。とある食堂のボランティアに行ったのです。食堂の奥では、おじさんがトントントントンと食材を刻んでいます。大きな鍋から湯気がムクムクと立ち上がって、刻んだ食材をおばさんがポンポンとほうりこんでいます。大きな炊飯器からはご飯の炊ける匂いがしてきます。味噌汁のいい匂いも立ち込めてきました。私は、食堂のテーブルを拭いて、茶碗やお箸、お皿などの準備に取りかかりました。

いよいよ開店です。入口を開けると、もうすでに長蛇の列。外は寒いです。並んでいる人たちの口元から白い息がフーっと出ています。食堂の中に入るとすぐにメガネが白く曇ります。私はレジの係です。お金は先に頂きます。並んだ人たちは次々にポケットからお金を取り出して渡します。出されたお金に応じて、ご飯やおかず、味噌汁を配ります。真ん中あたりで並んでいたヨボヨボのじいさんが先頭まで来ました。ギュッと握った右手の拳が指し出されました。ジッとその拳を見つめました。力の入った右手の拳が少しずつほぐれて、しわしわの手の中から汗で光った100円玉が出てきました。しばらくジッとその100円玉を見つめていました。薄っすらとした記憶の中に、その手の中の100円玉は今でも鮮明に記憶の中に残っています。きっと精一杯、段ボールを集めた報酬だったのでしょう。

初めての釜ヶ崎。食堂に行くまでの道のりは勇気がいりました。体験したことのない不思議な空間で、正直、背筋がゾクッとしました。目を合わさないように小走りで通り抜けました。緊張の中でボランティアをしていました。でも、そのじいさんの右手の拳が少しずつほぐれて行くと同時に、私の心もほぐれて行きました。ボランティアをすることで、人の表面ではなく、人の人生を思うことが出来ました。

神田裕
Volo (ウォロ)7・8月号 (No.457)

2010年1月 1日 (金)

震災とキリスト像とベトナム人

震災で焼失した長田のまちの片隅に教会がある。カトリックたかとり教会だ。焼け残った奇跡のキリスト像で話題になった。何が奇跡かと言うと、キリスト像が火を止めたというのである。まさかそんなことはない。

キリスト像は1992年にベトナムから船に乗ってやってきた。いわばボートピープルだ。不審物の疑いがあると1カ月ほどは港から出してもらえなかった。やっとのことでたかとり教会にやってきた。

たかとり教会に最初のベトナム人家族がやって来たのは1980年のことだった。ベトナム脱出を何度も失敗し投獄され、やっとのことで日本に、そしてたかとり教会にやってきた。ちょうど15年たった1995年1月17日早朝、大きな揺れに揺り起こされ、気が付いたら潰れた家もろとも外に放り出された。貧しい家に住んでいたから自分の家だけが突然潰れたと思い、その瞬間子どもたちはとても恥ずかしかった。幸い家族みんなの命は助かった。

当時たかとり教会のベトナム人たちは信徒全体(約650名)の三分の一程になっていた。みんな家や職は失ったものの命だけは助かった。被災者はみんな、学校の校舎や公園のテントで生活をした。ベトナム人たちももちろん同じだった。ただ言葉や文化や習慣の違いで別の苦労もあった。

そんな彼らと共に歩もうと、全国から多くのボランティアの人たちが駆けつけてくれた。言葉のハンディや文化や習慣の違いを一緒に担ってくれた。教会の中に救援基地ができ、震災復興や新しいまちづくりに力を尽くしてくれた。震災情報の通訳、翻訳、そして電波を使っての多言語情報伝達FM放送局へと発展していった。地域のお祭りでもベトナム料理が食べられるようになり文化も少しずつだが浸透してきた。

救援活動からまちづくりへとの思いを持って、2000年にたかとり救援基地はNPO法人格を取得し、たかとりコミュニティセンターとなった。2007年5月には教会建物もようやく再建され、その中にNPOセンターやFM放送局も共存している。多文化なまちづくりの新たなスタートが始まっている。

つい先日、たかとり教会で一人のベトナム人女性が帰天した。くも膜下出血での突然死だった。子どもたちのために働き続けたのに、小学生の末っ子を含め4人の子どもたちを残して神様の元へと行ってしまった。彼女が小学生の時、ボートピープルとして親に連れられ命からがらこの日本にやってきた。神様に守られて命があることに感謝した。それから15年目に震災にあった。家は潰れたが、やはり神様に守られて命があることに感謝した。それから15年。神様は「ご苦労さん、もういいよ」と言って彼女を身元にお呼びになった。まだ若いのに何故に「もういいよ」なのかは私には理解できない。

たかとり周辺のまちづくりにとっては色んな意味でベトナム人たちの存在はとても大きい。彼らを取り巻く人々の力がこの地震の後のまちを支えてきたと言っても過言ではない。彼らがたかとりに住み始めてちょうど30年たち、震災を挟んでちょうど折り返し地点に差しかかった。これからは2世、3世たちが新しい時代を創って行ってくれるのだろう。

キリスト像が奇跡を起こしたと騒がれた。そんなことはないと自ら否定した。しかし15年たった今、もし問われることがあったとすれば、きっと言うだろう。キリスト像は奇跡を起こしたと。30年前に船に乗って私たちのところにやってきたベトナム人たちは、本人たちの意識のせぬところで、たかとり、そして神戸のまちづくりの大切な要素になっている。

キリスト像の台座にはベトナム語、韓国語、日本語で聖書の言葉が刻まれている。「互いに愛し合いなさい」と。お互いを大切にし合って関わるならば、きっと奇跡は起こるのだと確信している。

2010年1月17日。私たちは震災から15年を迎える。

2009年7月16日 (木)

夏祭り

京都では祇園の宵祭り。。そこまでは行けませんが、ご近所のTさんに誘われて、すぐ近くの玉造稲荷神社のお祭りに行ってきましたよ。
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Tさんはまずお祈りから。。私は教会でちゃんとお祈りしてるから別にいいよね。。
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たかとりでももうすぐ地域の夏祭りがあるけど、いつも「駄菓子屋かんちゃん」のお店のおっちゃんやってるから、実は祭りを楽しめないんだけど、今日は別。。ほんとに久しぶりに金魚すくいなんかしちゃったのですよぉ。。。
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隣の子供たちの方が断然うま~い!私も負けずに、、、でも、7匹目で破いちゃいました。
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演芸舞台では太鼓の音に合わせてお姉さんが踊ってた。私も小学生の時は地元のだんじりに乗って夏祭りには太鼓を叩いてたんだですよ。
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ところで、今日はTさんのお誘いもあって出てきて、子ども心に戻って、100円もしたけど、おみくじなんかして、、、そしたら何と「大吉」!これは幸先がいい!?去年の7月からそれこそ「大凶」が続いていたこの一年だったけど、これで好転するかな?
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みなさん聞いて下さい!おみくじの後にTさんに券をもらって抽選くじをしたのです。そしたら、なんと一等賞!!びっくり!私はあんまりくじ運良くないんだけど今日は別。カランカランってカネを鳴らされてちょっと恥ずかしかったけど、素直にうれしかったなぁ。
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これで、きっと何かが好転する!と希望を持ったんだけど、、、もしかして、今日で運をすべて使いつくしたかも。。。┐(´д`)┌ヤレヤレ

ps:小学生の時の祭りの写真を見つけた!
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2009年7月14日 (火)

もっちんが死んじゃった

小学校1年生の時からの同級生のもっちんが死んじゃったよォ。同級生が亡くなると悲しいねぇ。周りを楽しくしてくれる子だったから余計に。。

実はほんとに久しぶりに3月21日にメールが来たんです。こんなメールをもらってて、会って励ましてあげられなくて、とても残念だぁ。。。crying

「こんばんは。助からない病気になりました。夢なら覚めてほしいけど覚めない。神戸の名医のもとで治療中です。一度話し聞いてね〓」

「なんか大変そうですが、よろしければ入院先をお教え下さい。時間を見つけて尋ねます。」

「ありがとうーひっそり入院してます。病院名も告げてせんー今の姿はみられたくないしm(__)m病名は大震災に関連ありますーとても信じる事できませんー外来治療になったら神ちゃんに会いにいきます。」

「それはそうだね。了解しました。大震災に関係あるってなんだろう?心的にはPTSD。外的にはあの当時石綿のことが問題になっていたからね。あとは分からないなぁ。でもまぁ、こんど言える時になったら教えてください。待ってます。」

「こんばんはm(__)m神ちゃんの予想通りの病名ですー毎日死と向き合ってる。でもこの神戸大好きな神戸に転院でき素晴らしい先生に僕なら治せると言ってもらい今まだ生きてる事に感謝。神ちゃん、あたりまえって凄い事やねーどんなに大事なことか。私は今流行りのおくりびと。あの仕事してたんよー二ヶ月やけど。子供の湯潅は泣いて出来ないなと思いやめたけどやり甲斐あったよーでも私がおくられびとになっちゃうわ(>_<)退院したら必ず会いに行きます。私に力下さいー絶対こんな病に負けたくないーおやすみ追伸神戸の夜景泣ける程綺麗p(^^)q」

「と言うことは、PTSD・・・外傷後ストレス障害なのね。大丈夫だぁ。。でも、がんばらないでね。ゆっくり時を待ちましょう。おくりびとの仕事をしてたんだぁ。すごいね。大切な仕事だよ。生きてる間に死と向き合うことってとっても大事なことだからね。死があるから生きる意味があるんだよ。短い人生だからこそ、精一杯、今のこの時を生きようと思うんだよ。私も生きてるって何だろうって時々考えるんだ。今の仕事はとても辛いから投げ出したくなってしまう。いつも笑顔でいたいけど、今の仕事は笑顔になかなか出合えないんだ。人間の憎悪の中に埋もれてしまいそうなんだ。でもやっぱり、そんな私をいつも救ってくれるのは、笑顔なんだ。人の笑顔を見てると生きる勇気が湧いてくる。私、いつも笑顔を探してるんです。99人笑顔がなくても、100人目の人から笑顔をもらうと、それだけで、99人をやさしく迎えることができる。そんな魔法の笑顔をいつも探していますよ。それが私の生きがいかしらね。そんな私にも笑顔を下さいな。じゃね、おやすみぃ。。。」

「有難うー最後にわたしは悪性中皮腫です。(>_<)忙しい遅い時間にゴメンねー」

「そうなんやぁ。そっちなんや。でも、さっきのメールはそれでも同じだよ。アスベストね。もっと辛いね。尼崎は震災に関係なくアスベストの被害が多いよね。住んでるところがクボタに近かったの?先生が治せるっていうから信頼しようよ。人間は自然治癒力ってものも持ってるよ。それを発揮するためには、心のストレスから解放されることだよ。きっと病気のショックでPTSDになってるからね。がんばろうって思わないで、ゆっくり今を感じることができれば、必ず乗り越えることができるよ。必ず会いに来てね!睡眠の邪魔をしてごめん。おやすみぃ。。。」

「神ちゃんにメールしてほんとよかったよ。(:_;)なんか落ち着いたよ。ゆっくり寝れるよー絶対行くから。おやすみ」

2009年5月11日 (月)

人気者

ペーパードームが台湾に移設されて半年ほどがたちました。本日、実行委員の垂水さんから連絡が入りました。ペーパードームは人気があるようです!

垂水@台湾台北です。
昨日一昨日の週末桃米へ行っていました。聞きしに勝るというか、人が来るわ、来るわ、毎週イベントという状態でした。私が行ったときも、どこかのカトリック教会の1団が来てミサをしたり、わが同業である南投県建築士会のイベントで多くの子どもたちを連れて写生大会をしてました。また、アメリカ系のテレビの取材もあり、私も少しインタビューを受けました。(921特集番組) 予想以上の人気ですが、新故郷のメンバーもかなり疲れ気味と見受けました。。。。。

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2009年1月16日 (金)

明日、震災14年

1月17日午前5時46分 今年もこの時を迎えます。14年の思いを込めてこの日を送ります。今年も、全日本仏教青年会の僧侶の皆さんとたかとり教会内で祈りの時を持ちます。ご一緒に祈りませんか。

2008年12月31日 (水)

ゴミ出し

いよいよ年の瀬も押し迫ってきましたね。みなさん、正月の準備はいかがですか?さっき、たかとりのMLに以下のメールを出したんです。。。

さて、先ほど野田北部の自治会長さんから電話が入りまして、教会前の地域のごみステーションに出された2つのゴミについて注意がありました。ごみの中身を調べられたのですが、神戸アジアタウン推進協議会と書いたものもあったのでTCCから出たものと思われます。指定のごみ袋ではないことと中身がむちゃくちゃに入っていること。回収されないので教会の方に戻してもらうこととなりました。火曜日の朝にゴミが残されたので、捨てられたのは月曜日の夜中から火曜日の朝にかけてです。

わけが分かったので、すぐにまたMLを流しました。

原因が分かりました!こちらに戻された2つのごみ袋は、業者用の不燃ごみ袋に入ったFMYYのゴミと一般の燃えないごみ袋に入ったねねのゴミでした。それらの2つのごみ袋はそれぞれに月曜日にまとめられて教会内の業者用のゴミステーションにおかれていたそうです。火曜日の朝、いつものようにベトナム人のおじいちゃんおばあちゃんがミサに来ました。今年最後なのでミサの後にお掃除をしてくれました。ごみステーションも綺麗に掃除をしてくれました。その時ステーションの中にあったごみ袋があったのでちょうどゴミの収集があるということで外に出してくれたそうです。おじいちゃんおばあちゃんは日本語が読めないので区別がつかなかったそうです。せっかく気を利かせてくれたことがアダになってしまいましたね。

ということで、、、地域のみなさん、ごめんなさいね。
そして、、、ベトナムのおじいちゃんおばあちゃん、いつもありがとー!

みなさん、よい年をお迎えくださいね!

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