大阪教区

パウロ年

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ちょっと教区的な話題ですんませんですけど、、、今年はパウロ年らしいんです。教皇さんが去年ローマで宣言しはったそうやけど、パウロ年がいったい何なんかよぉ分かりません。生誕2000年っていうことやから少なくとも2000歳の誕生日を祝おうということでしょうけど、よく考えたら何でパウロさんだけやねんって思います。ペトロさんの誕生日は何で祝ってあげへんかったんか、、、ちょっと不公平やと思いませんか?せめて一緒にお祝いしたったらええのにと思いますよ。まぁ~、どうでもええことですけどね。とにかく1年間何かせなあかんのです。スタートとしては来月5日に大司教さんのミサから始まるんです。急に言われても誰もけ~へんと思いますけど、かんちゃんそれでもこのこと担当してて準備せんとあかんから、よかったら来てちょ~だ~い。。物で釣るわけじゃないけど、、今、その日にしかもらわれへん記念のしおりを製作中です。。。まぁ、大したもんじゃないですけど、それでも希少価値はあるよん。

そうそう、このポスターのイラストはヨッシーの描いたものが採用されたのです。そのことを伝えたくて。。。

詳しくは以下のURLをクリックしてください。
(何かこの言い方迷惑メールっぽいですけど)
ファイルはPDFで1.5MBもあるので要注意です。
http://www.osaka.catholic.jp/%2Bmain/assets/pdf/paul%20year%20080705.pdf

真面目な案内は以下です。
もっと分からんようになるから見らんでもええと思いますが一応。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/2008/pauline_year.htm

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甲山墓参

今日は年に一度の甲山墓参。これまでに亡くなられた神父さんたちへの祈りとこの一年で亡くなられた3名の神父さんたちの納骨でした。

竹谷富士雄神父 小池二郎神父 稲田豊神父

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濱尾文郎枢機卿帰天

突然のことですが、昨日、2007年11月8日(木)午後6時57分、前教皇庁移住・移動者司牧評議会議長 ステファノ濱尾文郎枢機卿様(前横浜教区司教)が肺癌のため、癌研有明病院にてご帰天になりました。77年のご生涯でした。日本の教会のため、また世界の人びとのためにお働きになられた枢機卿様のためにどうぞお祈りください。

葬儀ミサならびに告別式
日時:2007年11月12日(月) 午前12時~
場所:東京カテドラル聖マリア大聖堂

<略歴>
1930年3月9日 東京都に生まれる
1957年12月 司祭叙階
1970年-1980年 カトリック東京大司教区補佐司教
1980年-1998年 カトリック横浜司教区教区長
1998年10月 教皇庁移住・移動者司牧評議会の議長に就任。大司教となる。
2003年10月 枢機卿に任命。
2006年3月  移動者司牧評議会の議長辞任を発表(75歳定年により)。
2007年11月8日 帰天。77歳。

ps:
濱尾枢機卿は震災直後、横浜教区司教としてたかとりに来て下さり、被災地のベトナム人たちの支援のため、横浜教区のベトナム人司祭(ソン神父)をたかとりに1年間派遣してくださったのでした。

ps:
今年7月29日にカテドラル聖マリア大聖堂で講演会をして下さったところでした。
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<大阪カトリック時報2007年9月号>

濱尾枢機卿 講演会
「世界の難民移住移動者の現状とカトリック教会の取組み」
日時:7月29日(日) 10時ミサ 11時半講演会
場所:大阪カテドラル聖マリア大聖堂
主催:大阪教区社会活動センター・シナピス

濱尾枢機卿、玉造で語る
「谷間」の人たちにこそ教会はかかわるべき
7月29日、玉造教会の主日ミサ後、濱尾文郎枢機卿の「世界の難民移住移動者の現状とカトリック教会の取り組み」についての講演会が、教区社会活動センター・シナピスの主催で行われ、約300人が参加した。全般的な現状の説明と共に、「難民」については、「亡命」を認めずに移住者として扱う日本、公的機関が関われない膨大な数の「国内難民」。「移住者」については、女性や臓器目的の人身取引。「移動者」については、ホームレスの人・ストリートチルドレン・無国籍・船員・国際空港・流浪の民<ロマ>・サーカス・留学生・旅行者・巡礼者の「道の司牧」など、いわゆる「谷間」の人たちの課題こそ、教会がかかわるべきであることを強調した。質疑応答では、日本の難民認定率が低い理由は、近隣の国に学び文化を取り入れていた日本が、明治以降「大東亜共栄圏」思想などの影響で閉鎖的になったのではないか。信徒の奉仕については「にっこり笑うだけでも良い」という教皇の言葉をあげ、身近にできる奉仕の話など、横浜教区司教やローマ教皇庁移住移動者司牧評議会議長を務めた枢機卿の豊富な経験と広い視野に裏打ちされた親しみやすい話に耳を傾けた参加者は、今後の歩みに新たなヒントを得た。講演のあと、シナピスの外国人支援のために募金が行われ、30,030円が集まった。スタッフらは、演者の枢機卿と猛暑の中参集した聴衆に心から感謝した。(石井望神父)

世界の目でみる活動現場
7月に行われた濱尾枢機卿の講演は私がはじめて耳にする内容がたくさんありとても新鮮でした。講話中、枢機卿は「バチカンの中で難民移住移動者部門があまり重視されないのは残念」と言われました。教会組織はどうしても小教区中心に動くから、小教区を持たない人々には関心が薄いのだそうです。面白いのは関心が払われない中に「道の司牧」も入るという話でした。道の司牧とは「交通事故に遭った人や路上生活者、道の子ども、家はあるのに道にいる子どもなど」が対象だとか。「道」で括るとはバチカンもユニークな司牧の分け方をするものです。「教会は場所じゃない。聖書に出てくるテサロニケなどの教会は今は廃墟ですよ。教会とは神と人との親しい交わりだから場所にこだわるものではない。」と枢機卿。そしてそんな移住者たちに関わる仕事が世界中に数知れずあるのです。女性や子どもの人身売買の犠牲をなくそうと働く修道女がいる、サーカスやロマの人々に関わる司祭がいる、欧州の空港の多くにはチャペルがあり常駐する司祭や女性たちが困っている人を見つけて声をかける、道化師になって寂しい子どもたちに笑顔を与える司祭がいる。世界の教会の生き生きとした姿を垣間見るようでした。どんな活動でもそうですが、現場で働き続けるとつい近視眼的になり全体像が見えなくなり勝ちです。そうすると、独善的になるし僻みっぽくもなるし燃え尽きそうにもなってきます。私のようにあまり真面目でもなく、適当に息抜きをする人間は簡単には潰れませんが、確かに近視眼的になるのは否めません。枢機卿から世界の教会の取り組みを聞き、「そうか、今の現場で地道に活動することは世界中で活動する人々とつながることになるんだ。」との連帯感を抱くことができました。講演後、濱尾枢機卿は「大事なことは現代世界憲章にある通り、共感すること、共感に敏感になることだよ。」との言葉を残して大阪を後にされました。(シナピス難民移住移動者委員会 ビスカルド篤子)

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前駐日教皇大使帰天

2007年10月10日(水)、前の駐日教皇大使、現オーストラリア教皇大使エンブローズ・デ・パオリ(Ambrose De Paoli)大司教様が、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミにあるシナイ山病院で白血病のために帰天されました。73歳でした。デ・パオリ大司教様は、日本にいらした間、日本の教会のために献身的にお働きになり、大阪教区にも2回お見えになりました。1回目は、松浦悟郎補佐司教の司教叙階式のとき、2回目は、2005年の神戸阪神淡路大震災および新生計画策定の10周年に際してでした。  2005年1月には17日をはさんで3日間、公式訪問のかたちで来神され、神戸中央教会でミサを捧げられました。この間、震災10年当日の午前5時46分にはたかとりで共にミサを捧げてくださいました。(写真右から2番目)

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その直後にオーストラリア教皇大使として着任されましたが、3月に白血病と診断され、長期療養生活を余儀なくされたとのことです。どうぞ、デ・パオリ大司教様の永遠の安息をお祈りください。

略歴は以下の通りです。
1934年  8月19日  アメリカ合衆国ペンシルバニア州 ジャネット市に生まれる。
1960年    マイアミ教区にて司祭叙階。
1966年    教会法博士課程を修了後、バチカンの外交官になり、ザンビア、ベネズエラ、カナダでの勤務を経て教皇庁国務省に入る。
1983年    司教叙階。その後、スリランカ、南アフリカ、レソト、スワジランドの教皇大使を歴任。
1994年    南アフリカの教皇大使に就任
1997年11月   日本の教皇大使に就任。
2004年12月   オーストラリアの教皇大使に任命される。
2007年10月10日  帰天。73歳。

PS:
上の写真は震災10周年の朝のミサですが、ミサの終わりに「たかとりタオル」をプレゼントとして贈り首にかけてもらいました。ミサが終わって別室に行ったときに彼はそのタオルを私に返しました。「あっ、失礼なことをしてしまったかな」と一瞬恐縮したのですが、その時、彼から声をかけてくれました。「このタオルにサインください」と。。。明るくて気さくなやさしい教皇大使でした。

Message to TAKATORI Church by the Apostolic Nuncio to Japan.

“Come to me all who are burdened and who grieve and I will give you consolation and peace.”
This is the invitation of Jesus to us at all times. But, this invitation is especially needed today as we commemorate the 10th anniversary of the great Hanshin-Awaji Earthquake, at the time when it hit an unsuspecting community just beginning to prepare itself for another day of work, of school, of life.
Today, your presence in this church, which reflects the results of the earthquake, is your response to the invitation of Jesus. Yes, Lord! I accept your offer to give me consolation and peace! I need that consolation and peace so much!
First of all, Lord, for your peace and consolation for those who have died as a result of the earthquake. And then, to those families who still weep at their loss.
Then, I ask for your peace and consolation for myself so that I, in turn, can help bring your peace and consolation to others.
I know that you cannot bring back those who died, but help us to understand the part they have played in our life and how much we owe to them and how much they would want us to go on with our lives.
I know that your peace and consolation will guide us all in rebuilding the homes and communities which are ours.
In this hour of our trial we have learned so much about how we need each other and how much it means to experience the help of others who care, who love, who sacrifice themselves for us.
Into your hands, O Lord, we place ourselves this morning, in this Eucharist.
To whom other can we go, as St. Peter said: you have the words of eternal life and, yes, you can bring peace and consolation to our hearts, if we let you.
I bring to you all the prayers and love  of the Holy Father.

The Most Reverend Archbishop
Ambrose De Paoli
Jan. 17 2005

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次のステージへ

西尾神父さんが今日から姫路の仁豊野ヴィラに引越しする事となった。荷物をまとめて車に乗ってさぁ出発。本人はちょっぴり寂しそう。なぜって、やっぱり神父は最後まで現役でいたいと思ってるからね。でも、体がいうこときいてくれへんかったらしゃーない。今日は司祭生活最後の日ではないですよ、西尾神父さん。これから次のステージに移るんです、、って以前に言ったら、「そうやそうや」というてはりました。「咲かせ方は違っても最後まで花を咲かせんとなぁ」というてはりました。

10時に司教館を出て、たかとりでちょっと寄り道。。。歩くのんしんどいのに、引き連れて建物内を全部見学してもらった。すんませ~ん。。。新築になってからは初めて来たのに、ここ、こないだ来たでっていうてはった。神父さんまだボケるの早いでぇ。。。
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私が16年前にたかとりに来た時に黙想会のミサに来てくれてた。二人とも若かったなぁ。
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転入届を出すために市役所に行ったら昼休み。仕方がないので二人で近くの店で「たぬきそば」を食べて出直し。西尾神父におごってもらった。それから、市役所に行って車を止めるんやけど、駐車場から歩かなあかん。道路はさんで向こう側にある。西尾神父さんなかなか亀さんやから道路なかなか渡られへん。ボチボチボチボチ歩いてようやく1時半に手続き開始。新しい通帳を作るので住民票がいるので待っていたが50分かかるので仁豊野の近くの出張所で受けることに。2時半に受け取って、3時ちょっと前に銀行にスベリ込みセーフ。。。前の神父さんの手続きの時もそうやったけど、私はどうも人相が悪いらしく、奥から必ず支店長がやってきて「どういうご関係ですか」って聞かれる。年寄りの年金だまくらかしてるんとちゃうかと思われてる。でも、今回はよかった。「こないだも来てらした方ですね。大阪からわざわざご苦労様です」って言われてしまった。それにしても、よー覚えてるなぁ。これは喜んでいいのか悲しんでいいのか?考え方によっては私の顔はビデオにとっててチェックされてたのかも知れない。。。4時ごろやっと無事に仁豊野に到着した。。。
じゃ、神父さん、また来るわなぁ。。。

今日は西尾神父にとっては新しいステージへの第1日目。途中でラジオでニュースを聞いてたら、他にも色々ある日やったなぁ。郵便局が民営化、阪神百貨店と阪急百貨店の正式な統合、御堂筋の禁煙スタート、首相の所信演説。。。そして、甲子園球場のリニューアル工事も始まる。

やっと帰ってきてホッとしてたら、、、、以下は報告。
本日(10/1)21時20分頃、何者かによって司教館の玄関に投石された。石の大きさは直径20センチ強のコンクリート片。一応警察には連絡し、今夜は重点警らを行ってもらっているが、現時点では被害届は出していない。私が姫路から車で戻ってきたのは20時頃。M司教が戻ってきたのは21時頃。私は3Fの休憩室にいて大きな音を聞いた。M司教も3Fの自室で大きな音を聞き窓から外を見たが分からなかった。K神父はちょうど散歩に出かけて戻りしなで、南の入口あたりに来たときに大きな音を聞いている。I司教もちょうど投石された時刻に東口から戻って来ていた。しかし誰も人影は見なかった。悪戯にしてはちょっと度が過ぎる感じである。
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教会も物騒やなぁ。。。防犯カメラも必要になってくるんやろかぁ。。これも新しいステージに???
長い一日やったなぁ。。。。

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稲田豊神父帰天

2007年9月11日(火)午後12時37分、姫路聖マリア病院にてご療養中だった教区司祭スタニスラオ稲田豊神父様が 肺炎と消化管出血のためご帰天になりました。81年のご生涯でした。通夜・葬儀は以下の通り執り行われます。御花料は一切ご辞退いたします。勝手ながら受付も設けません。感謝を込めて神父様のためにお祈りいただければ幸いです。

通夜
 日時:2007年9月12日(水) 午後7時~
 場所:大阪カテドラル聖マリア大聖堂
 司式:松浦悟郎 司教

葬儀ミサならびに告別式
 日時:2007年9月13日(木) 午前10時~
 場所:大阪カテドラル聖マリア大聖堂
 司式:池長  潤 大司教

略歴は以下の通りです
1925年11月8日     神戸市に生まれる
1952年12月22日   司祭叙階
1953年~1957年    阿倍野教会助任
1957年~1963年    北野教会主任
1963年~1971年    阿倍野教会主任
1971年~1974年    幼きイエズス会大阪信愛修道院チャプレン
1975年~1984年    住吉教会主任
1985年~1990年    海南教会主任
1990年~1992年    三田教会主任
1993年~1994年    佐用教会主任
1994年~1995年    姫路聖マリア病院入院
1995年~2000年    小野原司祭の家居住  この間、ガラシア病院入院を繰り返す
2000年~現在        カトリック仁豊野ヴィラ入所  この間、姫路聖マリア病院入院、介護老人保健施設マリア・ヴィラ入所を繰り返す
2007年9月11日     姫路聖マリア病院にて帰天  81歳

ps:
稲田神父さんは3年前から食事はおろか水も飲むことが出来ませんでした。大変な3年間でした。亡くなられる前日も水がほしいと言ってられたそうです。今は神様の下で浴びるほど水を飲んでおられることでしょう。

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070815 神父さんこけた

西尾正二神父さんが法事で三田に出かけて帰りに駅前あたりで仰向けにこけてしまいました。後頭部を7針縫いまして首が鞭打ち状態です。誰かに殴られたのではと警察が心配してくれましたがそれはありませんでした。しばらく入院です。1ヶ月ほど前にも道で足が思うように前に出ずに顔から倒れて顔面傷だらけになってられました。この時はたまたま横を消防車が通っていて消防士に助けられました。この時は1泊2日の入院ですみました。これから気をつけなければなりません。

8月21日(火) 本日三田の病院からガラシア病院に転院しました。

<報告>http://phknd.tea-nifty.com/phknd/2007/10/071001.html

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小池二郎神父帰天

2007年7月13日(金)午後8時20分、ガラシア病院ホスピスで療養しておられた教区司祭ラウレンチオ小池二郎神父様が膵臓ガンのためご帰天になりました。78年のご生涯でした。6月下旬から今日まで毎日切れ目なく訪れるお見舞いの方々に朗らかに丁寧に応対され、最後の瞬間までご自分を捧げて司祭職を全うされました。感謝を込めて神父様のためにお祈りいただければ幸いです。
通夜・葬儀は以下の通り執り行われます。御花料はご辞退いたします。勝手ながら受付も設けません。

通夜
 日時: 2007年7月15日(日) 午後7時~
 場所: 大阪カテドラル聖マリア大聖堂
 司式: 池長 潤 大司教
 説教: 池長 潤 大司教
 
葬儀ミサならびに告別式
 日時: 2007年7月16日(月) 午前11時~
  場所: 大阪カテドラル聖マリア大聖堂
  司式: 松浦 悟郎 補佐司教
  説教: 梅原 彰 神父

喪主   池長 潤 大司教

略歴は以下の通りです
1928年8月7日  大阪で生まれる
1959年3月18日  司祭叙階
1959年~1961年  カトリック阿倍野教会助任
1961年~1965年  カトリック香里教会助任
1965年~1970年  カトリック夙川教会助任
1970年~1975年  ローマ・グレゴリオ大学社会学部に留学
1975年~1985年  カトリック北浜教会主任
1985年~1991年  カトリック宝塚教会主任
1991年~1995年  カトリック岸和田教会主任
1995年~2002年  カトリック藤井寺教会主任
2002年~現在     カトリック甲子園教会主任
2007年7月13日    帰天(78歳)

ps:
小池神父が亡くなられる日の朝、彼の病室に友達の神父から電話がかかってきた。彼は受話器をとって言ったのです。「あ、もしもし、あのね、僕ね、いま臨終なんだよぉ」って。。。そして、彼はその日の夜8時過ぎに息を引き取ったのです。ビックリするね。不思議にすごい神父さんだね。

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竹谷富士雄神父逝く

1988年に私が神父になって初めての教会は阿倍野教会だった。その時の主任神父が竹谷(たけや)神父だ。私が最初に世話になった神父だ。竹谷神父は温厚な方でいつもニコニコとごんたな私を見守っていてくれた。彼は足を引きずっていた。戦争中に鉄砲の弾が足を貫通したのだ。当たった時は気がつかなかったらしい。腰にぶら下げていた水筒の水を飲もうとしたら何故か水が空っぽ。おかしいなと思ってみたら水筒に穴が開いていて水が全部出てしまっていたらしい。その時初めて玉が水筒を突き抜け、そして足を突き抜けていたことに気がついたらしい。今から2年程前にその左足を膝から下の部分を切断することになった。ほっとけば命に関わることになってしまったからだ。本人は非常に残念がっていたが仕方がない。そして今日彼は息を引き取った。そして彼の戦争は今終わった。私が教区事務局の仕事をして最初の仕事だ。臨終の知らせを聞いてすぐに仁豊野に飛んでいった。間に合った。私自身これまで多くの人たちの死に立ち会ってきたが、実は目の前で息を引き取る人の側にいたのは人生初めてだった。彼は私にとっていつも始まりを導いてくれたことになる。ありがとう!

阿倍野時代に竹谷神父と一緒に写っている写真は3枚あった。
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以下はお知らせ

2007年6月11日(月)午前11時26分、一昨年から仁豊野ヴィラでご静養中だった教区司祭ヨゼフ竹谷冨士雄神父様が肺癌のためご帰天になりました。86年のご生涯でした。
通夜・葬儀は以下の通り執り行われます。御花料は一切ご辞退いたします。勝手ながら受付も設けません。感謝を込めて神父様のためにお祈りいただければ幸いです。

通夜
     日時:2007年6月12日(火) 午後7時~
    場所:大阪カテドラル聖マリア大聖堂
    司式:松浦 悟郎 補佐司教
        説教:宮本 勝美 神父
葬儀ミサならびに告別式
        日時:2007年6月13日(水) 午後1時~
        場所:大阪カテドラル聖マリア大聖堂
        司式:池長 潤 大司教、松浦 悟郎 補佐司教
        説教:宮本 勝美 神父

略歴は以下の通りです
1921年03月21日  長崎県仲知に生まれる
1951年12月23日  司祭叙階
1952年 ~ 1955年  夙川教会助任
1956年 ~ 1963年  武庫之荘教会主任
1963年 ~ 1968年  園田教会主任
1968年 ~ 1971年  ガラシア病院付き
1971年 ~ 1974年  旧大阪教区壮年神学院付き
1974年 ~ 1982年  枚岡教会主任
1982年 ~ 1992年  阿倍野教会主任
1992年 ~ 1995年  泉尾教会主任
1995年 ~ 2000年  今福教会主任
2000年 ~ 2005年  ガラシア病院付き
2005年 ~ 現在      カトリック仁豊野ヴィラ

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ムジカ神父天国へ

ヴァンサン・ムジカ神父が今日(12月2日)午後2時25分に仁豊野の聖マリア病院で亡くなった。87歳だった。1949年12月1日に来日し神戸に来て今日まで57年と1日。私の人生よりも長い。この長きに渡って私たちのために人を大切にする心を伝えてくださった。ほんとに話好きで愉快で明るいユニークな神父さんだった。フランス人だが生まれはバスク。祖国を後にして日本で生きそして日本で骨を埋める。最近、愛国心って言葉がよく話題になったりするけど、この日本を日本人を一番愛しているのはムジカ神父をはじめ外国人宣教師たちではないのかしら。キリスト教宣教師たちは文化の侵略をしているとも言われたりもする。そんなことはない。日本を学び、日本の良きものを日本人以上に大切にし、そして彼らの豊かな心で包んでくれる。生まれた祖国を離れてまで愛してくださっているんだから。でもその祖国にとっては彼らは非国民ではなくきっと祖国にとっての誇りでもある。私たちも国籍を越えてお互いを大切にする心を学び実行することによって日本人としての誇りを持ちたい。

ムジカ神父は私が生まれたときの尼崎教会の神父だった。そして幼稚園の園長先生でもあった。小学校に上がったときに転任されたのだが、次の赴任地は何とたかとり教会だったのだ。そこでも園長先生をされていて、その時の子供たちが野田北部の仲間たちだ。

略歴は以下の通り。
1920年11月02日  フランスに生まれる
1946年06月29日  司祭叙階
1946年08月~1948年08月 バイヨンヌ教区ウスタリツ教会助任
1948年09月~1949年06月 パリ外国宣教会入会
1949年12月~1952年04月 来日、旧中山手教会で日本語勉強
1952年05月~1954年04月 三田教会助任
1954年09月~1957年03月 尼崎教会助任
1957年04月~1965年03月 尼崎教会主任
1965年03月~1968年10月 たかとり教会主任、鷹取幼稚園長
1968年11月~1973年10月 明石教会主任
神戸刑務所教誨師(~2000年4月)
1973年11月~1978年08月 三田教会主任、聖母幼稚園園長
1978年09月~1993年04月 旧中山手教会主任、あけの星幼稚園長
1993年04月~1995年04月 玉造教会助任
1995年04月~2000年04月 玉造共同宣教司牧チームメンバー
2000年04月~   カトリック仁豊野レジデンス
2006年12月2日(土)14時25分   帰天

神戸刑務所の教誨師を32年間勤められた。2000年からはバトンを託された。

PS:
私の家族は私の誕生日には必ずムジカ神父のところに行き、記念写真を撮っていた。

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6歳の誕生日はムジカ神父と一緒にいたシャユー神父とも。。シャユー神父は私が神学校へ行く直前に亡くなられた。

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おまけ。初聖体の時も、、、

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もひとつおまけ。洗礼はシャユー神父だった。

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写真はいずれも尼崎教会にて。。。

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